東坡易伝

2:坤為地

坤:北国の忍びたち

初六:まだ小さいけど、後には怖ろしい忍びになる子

小さい子「私はまだ小さいですが、北国の忍の中でも霜衆と呼ばれる中にいて、技もまだまだ未熟ですが、いずれ雪衆、冰衆となるにつれて技も愈々静かにみえて侮りがたい物になっていくらしいです」

 初めは小さくても後には大きいものになるのは陰陽どちらもあるけど、陰は弱々しくて侮られがち。小さい霜も寒さが増していくと堅い冰になるようなので、坤の初めの陰は小さい霜みたいなもの。

六二:事に応じて忠直にして方正、さらに大道を外れない。なので習ってない場に置かれても、不利になることはないもの。

穏やかな忍び「私はどちらかというと城に入り込んだり毒を用いたりというよりは、何年も同じ村に居付いて、そこで色々な話をつかんで周りに流したり、領国内のことを隅々まで漁るほうが得意なのです。ちなみに、行った先でどんなことに巻き込まれても身を全うする術にかけては並ぶものがいないのです(笑)」

 陰爻が二にあるのは、陰柔の極みのようなものなので、それが動くときは忠実で、中に居る(二or五爻にある)ので中正さも外れず、故に大道にも合っている。このようにして、事に応じて窮まらないので、初めてみるような場に置かれてもうまくやっていける人になる。

六三:多くの技や道具を隠し持っている。王命を受けて、みずからの意を挟まない者。

剛毅朴実な忍び「……これだけ多くの道具を持っていても、衣の外からは何もないように見せるのを“章を含む”といい、そのようにして事に当たるべきでしょう。この道具や技も遊びで使うのではなく、命を受けてその為だけに使うのですが」

 三は陽の位だけど、坤は陰のひっそりとしている卦なので、目立ってしまうと坤ではなくなる故、陽っぽい技は隠しておく。さらに、坤は大人しすぎる面もあるが、陽の位にあるとほどよい荒さも出せるようになり、人に従う側にいても強さも持っていて、みずからの意を挟まずに事を行っていくのが得意。

六四:大役を受けたときは、口を括り嚢を閉ざすようにする

深沈淑慎な忍び「他国に使いに出たり暗殺誣殺などの大役を受けたときは、功を増やそうとして余計なことを云わずに、“口の嚢を閉ざして、その常言を伝えて、溢言を伝えず”というのです。事が漏れ出すのも忌むべきですが、功を焦って変なことをするのも危ないのです」

 四爻は上卦に入ったばかりで、坤は下に居るほうが落ち着くものなので、上の目立つところに置かれたときは不安に思うことになる。なので表立って動く任をうけた人は、余計なことを云ったりして功を無理に増やそうともせず、穏やかに任を終えて身を全うすることを考える……みたいになります。原文「無咎無誉」は、ひたすら慎重にして罪も受けず余計な誉も受けず……という意味です。

六五:忍びたちをまとめる位にある賢い長

長「私は一応は臣の身ですが、それでも黄裳の位にあって、黄色は黄帝軒轅氏以来、中にあって治める色とされ(後には軒轅氏が初めて忍びを用いたとされる的な説も出ている)、裳は下にあるものですから、忍び衆を宰司したりしているのです」

 五爻は上卦の中なので黄色(五行説で黄色は中央)、さらに裳は下にあるものなので、下にある者で中央に居るものです。陰爻だけど、陽&君の力も兼ねているので、坤の陰たちを司るものみたいになります。

上六:不気味な技に通じすぎて、怪しまれている幻術の名手

老幻術師「ふふふ、儂は昔あちこちで幻術を売っていたことがあるが、どうやら儂の術が怖ろしかったようで、別に何もせぬと云っているのに召し抱えるか悩んだ末に疑うものばかりだったわ。終いには儂を斬り殺そうとするものまで出てきたが、何度も逃げ延びたわ。まぁ、そんな訳でこの歳までどこにも仕えず貧乏暮らしよ」

 坤のもっとも高いところは陰柔なものが落ち着いていられる場所ではないので、それは陰の気をまとった龍のようにみえて、別に争う気はなくても不気味がられて表舞台に居る人たちから恨まれます。そんな感じなので、陰の臣らしさが無くなってしまい、うまく坤らしく居られないです。

深沈堅毅な人たち

 坤はみずから何かするよりも、下から支える地のように「主を得て」用いられるのを求めるタイプです(蘇軾の『東坡易伝』による読み方です。原文はこちら)。

 ちなみに蘇軾は

 物の中で剛にみえないものこそ実は剛なので、穏やかで静かにみえるものこそ剛なのだ。力を蓄えていて漏らさず、最も蓄まったときに漏れ出すとどろどろと溢れ出す、故に「沈潜剛克(深く落ち着いているようで、内に強いものを秘めている)」という。

みたいに書いてます。「沈潜剛克」は『尚書』洪範の語なのですが、「高明柔克(高らかで開けて明るい人が、上手く周りに合わせて事を成していく様子)」と対になっていて、坤は「じっとしていて静かにみえるけど、内には大きい力を宿している」としています。

 あと、どうでもいいけど、蘇軾の随筆集『東坡志林』巻三にこんな話も書いていたりする。

 男の子が生まれてくるときは伏せていて、女の子が生まれてくるときは上を向いている。それは水の中で死んだときも同じだ。男子は内陽にして外陰、女子は内陰で外に陽があるためだろう。

 ゆえに『易』では坤・文言伝に「坤は至柔にして動けば剛」とあり、『尚書』洪範にも「沈潜剛克」とあり、世の通じたものは皆このように云っている。秦の醫和も「天には六気があり、それぞれが過ぎると六つの疾になる。陽が過ぎれば熱疾、陰が過ぎれば寒疾、風が多すぎると身体の末がおかしくなり、雨が多いと腹を病み、暗い中に溺れすぎると惑疾になり、明るいところで過ごしすぎると心気が冴えすぎて疲れてしまう。そして女性は陽物にして暗い中で関わることが多く、故にそれが過ぎると内熱が惑い憧れてぼわぼわする病になるのです」と云っている。

 女性に惑乱するのは世に知っているものが多いが、女性は陽物(外陽内陰)にして関わりすぎると内熱させるとは、良医の中でも云っている者はいない。五労七傷(久視・久臥・久坐・久立・久行、喜・怒・悲・憂・恐・驚・思)はみな熱が籠って蒸せていることを云い、暗い中に居すぎるのは蠱惑する以外には脳が溢血栓塞したりするが、みな熱の溜まったせいだろう。醫和の語は、わたしがぜひ伝えたいと思ったので、『左伝』を読んだついでに書いておいた。

 醫和の語は『左伝』昭公元年からなのですが、坎は中男、離は中女っていうのが「男子は内陽にして外陰、女子は内陰にして外陽」の原案だと思っていて、内にある陽爻が外にある陽爻と一つになろうとして流れ出ようとすると内熱が暴れて蒸せ返すようになり、気が落ち着かず惑乱する……と読んでいるらしいです。いろいろ書いたけど、大きくまとめると「坤はじっと静かなようで、内に力を蓄えている様子」です。

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ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています