ガラス玉演戯

神さびの色

 “神さびる”という語は、古色蒼然として神秘的な趣きがある様子という意味だけど、古い例をみてみると

いつの間も神さびけるか 香具山の鉾杉のもとに苔むすまでに(『万葉集』巻三 259)
神なびのみもろの山に斎(いは)ふ杉 思い過ぎめや蘿(こけ)むすまでに(同巻十三 3228)

のようなものがあって、二つめは少し違うかもしれないけど、「神なびの」は“神がいるところ”という意味だから、いずれにしても苔むして古めかしい老樹の神々しい様子を“神さびる”としているのがみえます。

 これが平安初期になると

神垣のみむろの山の榊葉は 神のみ前にしげりあひにけり(『古今集』巻二十 1074)
わが門の板井の清水 さと遠み人し汲まねば 水草(みくさ)おひにけり(同巻二十 1079)

のようになって、同じく老邁にして凄愴、あるいは冷艶にして神秘的な趣きが“神さびる”(もっと云えば、古くなったものが、少しずつ水藻や苔につつまれて自然の神趣を帯びていく様子)なのですが(平安初期の詠み人知らずの和歌は、神前で歌われた神楽歌とかなり重なるものがある)、ところでこの「寂(さびる)」には「神さびる(古色蒼然たる趣きがある)」と並んで、「寂しい・悲しい(寂寞・孤寂)」の寂でもあって、(“淋しい”がどちらかというと「水が多くて淋瀝(しとしと)して情感的」なさびしさとすると、“寂しい”は「さびしい中にも寥落としていて凄じい美しさがある」みたいな違いがある)もしかすると、この二つの感情の間にあるものとして

 荒彫の牛  生蕃作品
高砂の牡丹社の子か、命こめ、荒く彫りけむ。つたなけど静立(しづた)つ牛の、をさなけどゆゆし力や。男ごころよ、ひたぶる恋ふと、下ふかく燃ゆる思の、えは堪へね、なほし堪ふると、遊びつつ、遊び彫りけむ、くるしくも寂びつつ寂びけむ、外には見せずも。

荒彫の木彫の牛のみぎり角ほきり欠きたり思ひかねきや(北原白秋『篁』より)

があると思っていて、この「寂びつつ寂びけむ」の一つめの「寂ぶ」は“寂しい”の寂びる、二つめの「寂ぶ」は“神さびる”の意味なのだと勝手に感じています(古語の「寂ぶ」は、神さびる・寂しく思うと並んで、“荒れすさむ”の意もある)。

 さらに、遊びつつ寂びて神さびるような作品として

 壺二曲
  一
タレコメテ今日モアヤシキ土クレヲ
ロクロニカケテ、ナニトスカ、
日ネモスカガヤク壺ツクリ、
タレコメテノミシヨンガイナ。

  二
モトヨリ悲シキ土ノクレ、
タタキツケラレ、独楽トナリ
ロクロ廻レバクルクル廻リ、
光リ極マリ壺トナル。(北原白秋『白金之独楽』より)

もあると思っていて、「たれこめて」は戸を閉ざして一人とじ籠もる、「シヨンガイナ」は「まぁそれより仕方ないでしょう」のような雰囲気なのですが、ここまで来るともはや殆んど芸道思想的な匂いも入っている気がします。(伎芸・工芸などを通して神秘主義的な境地に入ることorただの技法を越えて自然や芸そのものと一つになるような感覚を重んじるのを芸道と云ったりします。日本の中世あたりに多く生まれている思想ですが、その源流的なものとして『荘子』養生主篇の庖丁解牛の話があります。もっとも、これから書く禅竹の場合は、『荘子』の芸道的なものに、王国維の境界説的なものだったり、「芭蕉」「定家」ふうの日本的蒸湿さにみちた植物との交感、土地神信仰などが混ざったものになっている)

 この神さびた相をさらに詳備に書いたものとして、室町期の能楽家 金春禅竹の『至道要妙』で、能楽の作品の趣きを喩えたところに、

闌曲は、たけたる位。是は……松杉の年経たるすがた、……山風、塩風に揉まれ、萎れて、枝葉もまれに、禿木(かぶろき)になるまで、其性位あらはれ、さびたけたる、物の本なるべき哉。
閑曲、此位雅び、しづかに、たけたる性位也。……たとへば、吉野、大原、小塩(大原・小塩は京都の西の山の神社)の名木の、年経て少なき枝の苔に、花の所々に咲きたるに、雨のそぼ降りたるを見る如くなるべし。静にうるはしくて、而もさびたけたる位……。以前の闌位はあらし、此閑位は静也。

のように云っていて、年を経て神さびたものにも閑かで穏やかに神さびたものと、荒れてガサガサになりながら何とか生きている枯樹のごつごつと魚龍の起伏したり、臃れてごてごてになって神さびた木の二つがあって、

 あれたると粗きとは、心かはるべし。……わざとあれたる風体は妙也、根本あらき物は、ただあらきのみなり。根本閑静なる所より、かりにあれたる物は、しづかなるよりも、又感あり。性海、風なくして、金波おのづから涌くともいへり。根本麁きが、しづかなるは、沈まる也、閑にはあらず。(金春禅竹『歌舞髄脳記』より)

ともあれば、

 笛
笛取リ吹ケバカガヤカニ
コノモカノモニ笛ノコエ。

笛ヲ吹キヤメ、キキスマス、
タエテ音コソナカリケレ。

麗ラカナルカナ、マタシテモ、
ワガ笛吹ケバ笛ノコエ。(北原白秋『白金之独楽』より)

は闌曲の根本は穏やかなるものが仮に荒れて爛斑として光りさびているすがた、一方の閑曲は

 丹沢山
丹沢山のあなたに
澄みつつ青き空あり。
つづきて目に見ぬ空あり。
つづきて遠き空あり。(北原白秋『水墨集』より)

のように、静かなる中にさらに神さびて深く沈んだ嫺雅な淵のような色がみえる姿なので、いずれにしても閑寂にして燦爛、真実にして幻法の神遊び。

ABOUT ME
ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています