最近(といっても結構前だけど)、李白や蘇軾を読んでそのことを記事にしたのですが、李白や蘇軾の神仙趣味を帯びた詩というのは美しいと思って(李白・蘇軾って、中国文学では王道すぎて今まで何となく読まずにきたけど、あらためて読んでみるとやはり魅力的すぎる)、それなりに前に作った詩の中から、神仙的な趣き、あるいは李白・蘇軾のような雰囲気があるかもしれないものを選んで載せてみます。
古意
秋霜白茫茫、水霜明溺溺。
君遺以金釵、逍遥戴復溯。
秋の霜は白茫茫として
水霜の明るくして溺溺としていて
君は遺るに金釵を以てすれば
逍遥として戴いて復た溯る。
昔游詩 其二
珊珊連璐水、靡靡湧千琅。
瓊樹蔭古階、繍甍雲暗霜。
璨璨白灘褙、琳琳青瀾裳。
既游霊女宅、更観其汨揚。
錦襞縈翠室、素素戯清房。
珊珊たる連璐の水、靡靡として千琅を湧かす。
瓊樹は古階に蔭して、繍甍に雲は霜に暗く
璨璨たる白灘の褙、琳琳たる青瀾の裳。
既に霊女の宅に游び、更に其の汨揚を観る。
錦襞は翠室に縈り、素素として清房に戯れる。
二つめの詩は、かなり前に白山比咩神社にいったときの様子を思い出して作った詩です。川(日本有数の急流として知られる手取川)の近くにあって、少し山に入ったところにある様子を書いてます。道教的なきらぎらしい形容詞と日本っぽい陰翳がそれなりにうまく合わせられた気がする。
ひとつめは、家の周りの田んぼが秋の半ばを過ぎると(たぶん10月終わりくらいの朝だった気がする)、霜が短い草の上におりて、朝の陽射しがあたると茫々と広がっている中で、溺れたような雰囲気になって、そんなときに川の側を歩いた様子から思いついて作った擬古的な作品。