創作・エッセイ

王闓運

 詩の匂い、あるいは色・質感というのは何によって生まれるかと問われれば、人の生まれ持った心の色から生まれるのかもしれないということを一つ書いてみます。

  王闓運(おうがいうん、1833-1916)は、晩清の詩家にして学者を兼ねていて、別号は湘綺といいます。湘は湖南省の大きい川の名で、湘水のほとりに綺羅のごとき文を重ねて江山を飾り、古書を注しては彩って、その詩は漢魏六朝の古朴にして兀然、さらに優艶にして柔を含む気象に似ていて、さらに王氏独得の汪洋縦恣の気韻を含んでいます。この大きい水が漾㵝するような雰囲気はおそらく王闓運らしさの本質だと思っていて、雑記箋注の文も詭譎にして堂皇、雲羅の水を孕みて霆を沸せるような趣きを思わせます。

 その生まれ得た境界を、わずか四句にして多くの茅(ちがや)が叢生雲蒸して出てくる淵のように含んでいる作としてこの一篇の中に詩境の秘宮を見るような心地がする。

泛棹臨晚景、明湖澄碧流。霜清歴城静、水落孤軒浮。(『湘綺楼詩集』巻五)
棹を泛べて晚景に臨めば、明るい湖は碧流に澄む。霜は清らかにして歴(重なる)城は静かに、水は落ちて孤軒は浮けり。

 この詩は、ちょっと滅茶苦茶な譬えを出すと、あるいは凝縮すれば一尊の大日如来、あるいは散り広がって金胎両部の曼荼羅の瓊宮玉閣のような感じで、その人の生まれ得た境域をたっぷりと兼ねています。水辺の薄暗がりの渺々たる光にみちていて、傲然として冷ややかで重々しい色に囲まれた雰囲気、汪々として水の相い撃(ぶつかって)溶けあう色を為している感じなのですが、この一篇が分かれて二つになればこんな感じです。

已作三年客、愁登萬里台。異郷驚落葉、斜日過空槐。(同巻六)
已に三年の客となりて、愁いて萬里の台に登る。異郷にして落葉に驚き、斜日は空槐を過ぎる。

嵐樹晚蒼々、千家閉夕陽。雲低一水白、山占半城荒。(同巻六)
嵐樹は晚に蒼々たりて、千家は夕陽に閉ざす。雲は一水に低くして白く、山は半城を占めて荒たり。

 三年の間、客として迎えられて用いられず、その愁いから萬里を見下ろす台に登れば、異郷の山は枯れ始めた紅葉が苦い夕陽に照らされて、からからに痩せた槐の木が翳ってゆく。また別の日は、嵐気の薄暗い山に漭々と渦巻いて、麓の家々は残った夕陽の中で蒼く閉ざしたように静か、そんな日には雲はふもとの池を蔽うように白く、向かって立つ山は街の半分を占めて秋の終わりの荒涼とした姿をみせるというように、先の一篇は乾いて廓落としていて、後の一篇は湿っていて晩(おそ)く、水の落ちては高い岸の四阿が浮き上がるように立っている様子、あるいは水に陸離として映る晩照の冷たい色めきをそれぞれ受け継いでいるような感があります。

 さらに、これら三首が重なりあって六句になれば

空山霜気深、落月千里陰。之子未高臥、相思共此心。一夜梧桐老、聞君江上琴。(同巻三)
空しき山の霜気は深く、落ちてゆく月は千里に陰る。之く子(者)は未だ高臥せず、相い思いては此の心を共にする。一夜にして梧桐の老いて、君の江上の琴を聞く。

のようになって、空しくがらんとした山は、嵐気の凍ったような霜気に満ちて、高朗で寂寞――空、落、高などの字はたびたびに「霜清歴城静、水落孤軒浮」の広くて冷たい質感の形を変えてあらわれる様子を示していて、さらにこれが八句になれば

人去高斎冷、烏啼獨坐聴。寒愁先落葉、秋步感空庭。王屋年年緑、湘流嫋嫋青。欲帰倶未得、瑤瑟夜淒冷。(同巻二)

人去りて高斎冷たく、烏の啼きて獨り坐し聴けば、寒愁の落葉より先(早く)、秋の步みは空庭に感ず。王屋は年々に緑にして、湘の流れは嫋々として青し。帰らんとして倶に未だ得ず、瑤瑟は夜に淒冷たり。

のように、これも高、冷、寒、落、空の重なって、寒い愁いと落ちる葉は「愁いて萬里の台に登れば、異郷にして落葉に驚く」の景を小さい庭の中にみるようになり、「王屋は年々にして緑、湘流は嫋々として青し」の二句は、寂寞とした中に暮れてゆく湖が碧の流れをわずかにとろりと浮かべるような鮮やかさがあります。

 これらは主に王闓運の前半生の作品の中で、特に多く用いられる語などによって感じられる特徴を並べたものなのですが、後半生、特に晩年に至ってはいよいよ雄渾にして微妙、曼荼羅の十方玲瓏の流雲花障の飾り一つ一つが、或いは幻法の涽溟、或いは邪法の炫赫、或いは神妙の優美さ、或いは縹緲たる風韻を極めながら、茅(ちがや)の根があちこちに絡み合って、どこからが一本の茅か分からないように連なりあっていて、何度もても飽きない深みがあります。

巨魚喜大壑、積水便修航。不有千里池、豈恣孤舟翔。
揚帆順回風、激浪逆東行。横舲往復來、轉帆忽飛光。
軽雲上靡靡、長飆浩茫茫。碧漣遠為煙、夕陰秀無央。
巴丘延翠蘋、波湧無低昂。随流縦所如、未暇従軒皇。
寂寥余懐曠、始見秋日長。行行何所期、攬古慰羈傷。(同巻十二)

巨魚は大壑を喜び、積水(溜まった水は)修航に便なり。千里の池の有らざれば、豈に孤舟の翔を恣にせん。
帆を揚げて回風に順い、激浪の東行に逆らう。舲(舟)を横たえて往いては復た来て、帆を転じては忽ちに光を飛ばせり。
軽雲は上に靡靡として、長飆(長い風)は浩く茫茫。碧の漣(さざなみは)遠くに煙と為りて、夕陰は秀(美しくして)無央(限りなし)。
巴の丘は翠蘋(翠の浮草を)延べ、波は湧きても低昂する無し。流れに随いて如くところを縦(ほしいままにし)、未だ軒皇(黄帝)に従う暇なし。
寂寥として余(我が)懐の曠たる、始めて秋の日の長きを見る。行き行きて期するところを何(どうするもなく)、古を攬(見ては)羈傷(旅の悲しみを)慰めよ。

 この凄まじいまでの気魄、雄大さ、それでいて細部まで綺羅で彩られた重厚な詩風こそ王闓運の晩年特有のもので、「帆を揚げて回風に順い、激浪の東行に逆らう」の二句は順・逆の二字がぶつかり合って、その周りを激浪回風のそれぞれにすれ違いながら取り巻く姿、「舲(舟)を横たえて往いては復た来て、帆を転じては忽ちに光を飛ばせり」の二句はただ水の上を滑るように流れる小舟の、忽ちに陸離(ぎらぎら)と飛び交う光に包まれていく様子で、この荒れてはぶつかる気象は千里の池を弄ぶ大魚の大きい楽しみを思わせます。

 大魚はたまたま空を見る。雲は薄く小さく風の飛ばされるようで、その割りに茫茫(びょうびょう)とした風が湖の上を流れてゆく。この湖の水はとろりと藻が豊かなので、遠くにはのろりと漂う煙になって、日が暮れていけば赤い靄となって彩っている。洞庭の湖は、遠く巴蜀の丘まで広がっているから、その丘は遠くの蘋(浮草)と一つになってどろりと広がり、波がこんなに揺れているのに、遠くの水は揺れているようにも見えない。巨魚はさらに泳いでゆく。その身体は嗷然としていて、今でも洞庭の上で囂々たる仙楽を奏している黄帝のところに従うよりも大きい喜びに満ちているのだから。日はさらに傾いて、空が少し冷え始める。それでもまだ秋の日は暮れていない。あぁ。まだこの湖の内を流れ歩き、一人で漂う悲しみを癒し尽くしたいのだが――。

 この巨魚は、洞庭湖の中をまわるように泳いでいて、その水は、まだ夏の名残があって水草も多く茂っているから、遠くは生温かい碧緑(みどり)になってあちこちが岸の色と溶け合っている。巨魚はそれをたびたび見ているゆえに「碧漣は遠くに煙と為りて、……巴丘は翠の蘋を延べたり」と重ねれば、巨魚のまわるような動きは何度もあらわれる風景からも感じられ、また冷たく、高く、空しく、がらんとした本質は、それぞれの風物を纏うようにあらわれる感じがします。

 この窿々嗷々としてきらびやかな色が渦巻いている中に雪を散らせば、豪宕の趣きは忽ちに変じて清貞、雄邁の気象は忽ちにして燦爛になり、明湖を以て飛英と為して、冰の華は曼荼羅の奥にある碧流の澄んでは耀くように流れを碎き、煽っては翳るような姿を湛えて重なるような気がします。

寒川静無聲、浮雪被岡原。漠漠紛未已、滃然庭宇間。
竹柏愈清貞、無人守芳妍。深院重其門、忽聞輿従喧。
清談既霏玉、新詩復明玕。坐移蓮峰秀、置我寒階前。
飛英碎冰華、繁響瀑松泉。舟去日亦冥、空堂坐寒煙。(同巻十三)

寒川 静かにして無聲、浮雪は岡原に被る。漠漠として紛として未だ已まず、庭宇の間に滃然たり。
竹柏いよいよ清貞にして、芳妍を守る人なし。深院 其の門も重ね、忽ちに輿従の喧を聞く。
清談既に霏玉にして、新詩復た明玕。坐を蓮峰の秀に移しては、我を寒階の前に置く。
飛英は冰華を碎き、繁響は松泉に瀑となる。舟去りて日亦た冥(暗く)、空堂にして寒煙に坐す。

 わずか十六句の詩に「寒」の字を三回。それほどにこの庭は寒さに満たされています。どこをみても吉祥艶妙の天女の楼台のように檐は白い蓮華を聳えさせていて、雪の中にあらわれた客人との清談は忽ちにして霏玉瑠璃の清色を帯び、応酬の詩はさらに明るい真珠を散したようにも見えて、そんな中、雪は縦に、斜めに、右に、左にと逆らってはふわりと飛んで、飛ぶ花は互いに白い空を翳らせ合っては虚空の内に碎き合っては大きい冰の華となり、その澎沛とした静けさを亂すように松の築山からの水は鳴っています。そんな日はひと時の客人の去りても寒い煙の如く紗の如く私は閉ざした中に坐っているのですが――。

「清談既霏玉、新詩復明玕」の二句は、降る雪の物に応じて愈々無窮な様子を思わせて、「明湖澄碧流(明るい湖は碧の流れに澄む)」の湖と流れがそれぞれ雪になれば「飛英碎冰華(飛ぶ英は冰の華を砕き)」の句になり、この融々として変幻する境域の質感こそ大きい水のように詩の間を流れているように思います。

雲陰照空春満天、初雷應峡聲空圓。珊珊濺濺下灘浪、千聲迸送孤舟前。
乗波捩拕轉深曲、山水無言但芳緑。清吟萬壑人不聴、飛雨添濤漱寒玉。(同巻十二)

雲陰(暗く)空を照らして春 天に満ち、初めの雷 峡に応じて聲 空圓たり。
珊々として濺々として灘浪を下れば、千聲 迸りて孤舟の前(すす)むを送る。
波に乗りて捩拕(柁を拗りて)深曲を転じ、山水 言無くして但だ芳緑たり。
萬壑に清吟して人 聴かず、飛雨の濤を添じて寒玉を漱ぐ。

 雲の氤氳たるは春の気の升る故です、雷の峡に応じて響くに声は空しく虩虩(がらがら)として、霏玉明玕は左右に浪を立てて皓く浮かんで、千条(ちすじ)の濤は小さく声を立てて舟の周りを迸(はしっている)。この風景は先の一篇とほとんど同じ趣向から生まれているようですが、珊々は玉の連なって跳ねる様子で、末の句にもまた寒玉となってあらわれ、その中に満ちている声はあるいは雷、あるいは濤、あるいは雨、あるいは歌となって巡るごとく濤の音が幾重にも玉を跳ねさせるように顕現している感があります。

 冬の風景の、雪がとけて草が育ち春になって、その境域もまた穠然艶然とした趣きを帯びて、しかも同じ庭の冬から春になったことを思わせる作品もあります。

平堤疏柳晴初緑、軽舟掛楫驚鳧浴。津吏憑闌意思間、茶税未登塩課縮。
澄江百里作雙回、官舫鳴鉦早晚来。莫向芳洲尋杜若、年年水退草空肥。(同巻八)

平堤の疏柳 晴れて初めて緑にして、軽舟の楫を掛けては鳧(かも)の浴(ゆあみ)を驚かす。
津吏は闌に憑りて意思 間(のどやかにして)、茶税はまだ登らずに塩の課(税)も縮めらる。
澄んだ江の百里に双回(双つの曲がり)を作(な)し、官舫の鉦を鳴らして早晚(朝と夕に)来たる。
芳洲に向かいて杜若(藪ミョウガ)を莫尋(探すなかれ)、年々にして水退きて草空しく肥ゆる。

 舟の度々来ることは、あるいは巨魚の遊び巡る様子に似ていて、あるいは雪のあちこちに降るにも似ているのですが、先の「波に乗りて捩拕(柁を拗りて)転じた深曲」は「澄んだ江の百里に双回(双つの曲がり)」になって、さらに初句の緑の溢れる様子は澄んだ色となって重ねられて、末尾の句は水辺の草が江を埋めるほど育っているのを云っています。初句と五句目は風景の緑色を重ねたようでもあって、度々少しずつ形を変える春の緑や、先の詩で玕玉になっていた雪と水は、どちらもどぼどぼと大きいものを内に充たしつつ、外には萬物を備えて悠々と流れている大きい江のような姿の一部というか、雄渾の気象・大きくて重く、それでいて柔かい味わいが涌き出ては落ちて流れていくような形にみえませんか……。

 王闓運の詩は、すでに見たように色は綺羅綺羅しく、霧にも紅碧の色を帯びていたり、小さい欄干の上に平楚の浩然たる雑樹を束ねて見るような絢爛さがあり、もともとの漢魏六朝のややぼんやりとして小さい詩風とはある点では異なっている面があります(本人は漢魏六朝風を学んだとしているのですが、それでも生まれ持った風景の質感のほうを感じます)。その例を示してみると

東城高且長、逶迤自相属。迴風動地起、秋草萋已緑。
四時更変化、歲暮一何速。晨風懐苦心、蟋蟀傷局促。
蕩滌放情志、何為自結束。燕趙多佳人、美者顏如玉。
被服羅裳衣、當戸理清曲。音響一何悲、絃急知柱促。
馳情整中帯、沈吟聊躑躅。思為雙飛燕、銜泥巣君屋。(古詩十九首 其十二)

東の城壁は高く且つ長く、逶迤(うねうねとして)どこまでも属(つづいている)。
迴(めぐる)風は地を動かして起こり、秋草は萋(重い色で)すでに緑も濃い。
四時のさらに変化して、歲の暮れること偏に何とも速く、晨風(灰色の鷹)は苦しい心を懐いていて、蟋蟀は局促(うずくまっているのを)傷(悲しむ)。
蕩滌(思いを漱いで)情志を放ち、どうして自ら結束(まとめられる)。
燕趙は佳人(美しい人)多くして、美き者は顏も玉のようで、被服は羅裳の衣にして、戸の前に居て清曲を理(奏でる)。
音響(おと)はひとえに何とも悲しくて、絃の急(緊りつめて)柱の促(きつく立っているのを)知る。
情(思いを)馳せては中帯を整え、沈み吟(歌いて)は聊か躑躅(うろつく)。思いは双飛の燕と為りて、泥を銜えて君の屋(家)に巣を作りたいのだけど。

のように、漢魏の頃の詩はむしろ土っぽくてその中に入れば埃が舞うように乾いていて、激越で吐き切れない感情は綺麗な景色を覆ってしまうのですが、王闓運がこの詩に擬したときにどうなったかを見てみれば、その境域の質感は乾いた土の衣裳をまとっても変わらず、本質的には迷眩させてくるような秘宮にあふれる大江の妙体、みたいな感じがあります。

厳駕出東城、山川何邐迤。秋気従西来、涼風浩千里。
良時忽如遺、緬塗将安始。草蟲多憂心、月出傷予美。
平路騁軽軒、去去従所止。京洛工遨遊、方春粲桃李。
弾箏顧我笑、玉手明繊指。知聲不識曲、彼意終難理。
婉孌懐芬芳、徘徊坐中起。願為雲間月、待君遥徙倚。(同巻十二)

厳駕(馬を整えて)東城を出れば、山川は何とも邐迤(ぐるぐるとして)、秋の気は西より来たりて、涼風は千里に浩たり。
良い時は忽ちにして遺(去る)如く、緬塗(広い路は)どこに向かって始まるのか。草も蟲も憂う心多くして、月は出でて予の美を傷つける。
平路に軽い軒(車)を馳せて、去去(行き行きて)止まるところに従う。京洛は遨遊(あそぶ)に工(良く)、方に春にして桃李に粲たり。
箏を弾きては私を顧みて笑い、玉手は繊指に明し。声を知りても曲を識らず、その意はついに理(収めがたく)、
婉孌(ゆらゆらとして)芬芳を懐き、徘徊して坐っては起てば、願わくは雲間の月となって、君を待って遥かに徙倚(彷徨っていたい)。

 これは今までの作に比べれば随分と土の色が目立つような化粧を施されていますが、「去去(行き行きて)止まるところに従う」は「流れに随いて如くところを縦(ほしいままにする)」と同じ傲然恣肆とした趣きがあって、「涼風は千里に浩たり」は「長飆は浩くして茫茫」に似ていて、今まではたびたび水を帯びた風物を何度も出して滋潤にして艶麗の気を漂わせていたのを、今回は車を駆って秋の枯野を馳せる様子をたびたび見せて、薄の茫々として枯色の中に妓楼と桃華が粲然としてわずかに色を添えています。また、「玉手は繊指に明し」の一句は、どこまでも「明湖は碧流を澄ませ」「碧漣は遠く煙と為りて、巴丘は翠蘋を延べ」さらに「飛英は冰華を碎き」「飛雨は濤を添えて寒玉を漱ぐ」姿が行き場なく溶け込んできたようにしか見えなくて、この一時のきらめきが綺麗な艶めきをかさついた風景の中に置いたようにみえたりします。

 ちなみに王闓運の晩年には、自ら晩聯(死した人を祀る聯)を撰して

春秋表未成、幸有佳児読詩禮;縦横計不就、空留高詠満江山。
幾春秋も表は未だ成らずして、幸いに佳児の詩礼を読むあり;縦横の計 不就(ならずして)、空しく高詠の江山に満ちるを留(残す)。

 その詩風は、高朗にして傲然、四情の紛至してあるいは抑えあるいは歪みあるいは乱れてあるいは縮まりながら、萬物を籠罩し、一盛一衰する濤の寄せてくるうちに大壑の水を呑む如き荒翳たる冷たさと霊湖の玉を漂わせる如き瑩明たる艶やかさを湛えていて、一清一濁する流れを過ぎるうちに、絳碧の灘瀑中に琪花を並べて植え橋に透かして、黿鼉の大水裡に雷霆を躍らせるような気勢を蓄えるごとく……という雰囲気にみちていて、それでいて上表未だ成らずしてその心術方策は盈々漫々としてその水を割って溢れそうになり、縦横の計もとうとう用いるところ無くして、その高情逸志は忿々蕩々として江山や詩書礼楽を飾って猶飽き足らず瀾を捻るようで、また、王闓運は最も五言古詩に長じていたのですが、その五言古詩は憤懣の気があちこちより漏れ出て、愉楽を貪りても猶飽き足らずという作品を上品としていて、王闓運の律詩絶句もまた五古の風韻を帯びているような気がします。

小雪猶衣夾、深山復掛単。月如春夜暖、燈避曉光残。
人静空聲湧、天長遠夢難。無眠復無憶、蕭灑得心安。(同巻十三)

小(少しく)雪ふりて猶 夾(綿入れ)を衣て、深山にして復た単(ひとえ)を掛ける。
月は春の夜の如く暖かにして、燈は暁光を避けて残(小さくなる)。
人は静かにして空声湧き、天は長くして遠夢は難し。
眠る無くして復た憶う無く、蕭洒にして心安きを得たり。

 雪は降っていても、その寒さはぼんやりとした月や淡い燈によって乱され、山の裾にいる人々の家は静かだが、音にならない音がどこからか湧いてくる。天はどこまでも広がっていて、それなのに夢は遠くのことが見れず、傲然として眠るともなく憶うともなく臥せている。この雪を楽しむともなく、笑うともないのが心安いということなのだろうが――。紛々浡々ですね。

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ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています