創作・エッセイ

群経之首、大道之源

 中国の文化の本質のひとつに“対”があると思っていて、『易』の陰陽や都城の形、対句……などがあるのですが、対句は律詩などにも入っているけど、対句だけで作る文学として“対聯”があります。

 例えば有名なものに、李白の

水天一色、風月無辺。

があって、これについては一つ不思議な話がついています。あるとき、李白が岳陽楼(洞庭湖の近くの楼)に登ってみると、楼の壁に「一、虫、二」と書いてあって、これは何だろうかと人々が集まって話していた。そんなときに李白が来たので、人々は李白にどう読むのか聞いてみると、李白はしばらく考えて、これは神仙の残した対聯で「水天一色、風月無辺」のこと(「一」は「水天一色」、「虫、二」は風の構えをつけると「風月」になる)だと云ったらしいです。

 これは対聯の初めにして字謎の一種でもあるのですが、渺茫たる洞庭湖の雰囲気がすごく出ていると思います。

 そして、対聯にもいろいろあって、春聯(新春に飾るもの)・楹聯(門の両側の柱に飾るもの)・賀聯(慶事で飾る)・晩聯(葬儀で貼られる)・自勉聯(みずからの座右の銘)・名勝聯(名所に飾るもの)などの用途での分類や、字数による分類(十字以下を短聯、十~百字を中聯、百字以上を長聯)などがあって、さっきの「水天一色、風月無辺」は名勝聯の短聯です。

 また、文体の雰囲気で分けると、律詩的なもの(五字or七字で律詩的な平仄がある)、詞的なもの(句形が不規則な対句)、民歌的なもの(同じ字を繰り返し使うなど平易なもの)、散文的なもの、戯文的なもの……など、中国にあった様々な文体を擬した“広義の駢文”(駢文:対句を用いた美文)なのですが、律詩・詞・民歌・散文などにも対句はあるので、或る意味では中国の詩のもっとも本質的な形かもしれないです。

 律詩的なもの
軽風扶細柳、淡月失梅花。
軽風は細柳を扶け、淡月は梅花に失う。
(蘇軾の妹とされる蘇小妹の作。もっとも蘇小妹は実際にはいなかったらしいけど)

 詞的なもの
大江東去、浪淘尽千古英雄、問楼外青山、山外白雲、何処是唐宮漢闕;
小院春回、鶯喚起一庭佳麗、看池辺緑樹、樹辺紅雨、此間有舜日尭天。

大江は東に去り、千古の英雄を浪淘尽(流し尽す)、楼外の青山に問えば、山外に白雲ありて、何処が漢宮唐闕だったのか。
小院に春のめぐり来て、鶯は一庭の佳麗を喚起する。池の辺の緑樹を看れば、樹辺の紅雨にして、此の間に舜日尭天あり。
(明の建国期の名将 徐達の作。上聯の「大江東去、浪淘尽千古英雄」は蘇軾「念奴嬌・赤壁懐古」から)

 民歌的なもの
金水河辺金綫柳、金綫柳穿金魚口;玉欄杆外玉簪花、玉簪花插玉人頭。
金水河辺の金の柳、金の柳は金の魚の口に垂れて
玉欄杆外の玉の花、玉の花は玉の人の頭に挿している。
(明初の文人 解縉の作。八歳の解縉が、南京の金水河で上聯だけ先に出来ていたものを見せられて、下聯をついで作ったもの)

 散文的なもの
打仗不慌不忙、先求穏当、次求変化;
辦事無聲無臭、既要精到、又要簡捷。
打仗(やり合うときは)慌てず不忙(急がず)、先ず穏当を求め、次に変化を求めて
事を辦(為すのに)聲無く臭い無く、既に精到(精確にして)、さらに簡捷(削るところを心得る)。
(散文的な対聯は、清末の曾国藩より起こったとされている。これは曾国藩の箴言のひとつです)

 戯文的なもの
海水朝朝朝朝朝朝朝落;浮雲長長長長長長長消。

これは「海水潮、朝朝潮、朝潮朝落;浮雲漲、常常漲、常漲常消。」のことで、朝は「あさ・潮」のふたつの意味があって、長は「いつまでも(常)・長じてくる(漲)」のふたつの意味があります。なので「海水は満ちて、朝な朝なに満ちて、朝に満ちて朝に落ちて、浮く雲はみなぎって、いつまでもみなぎっていて、いつまでもみなぎっていつも消えていく」などの意味になります(これ以外にも読み方はあるらしいです、これは南宋の王十朋の作です)。

 ……というのはネットにも載っている話なのですが、個人的に書きたいのはここからで、『紅楼夢』第十七回には実際に対聯を作っている様子が出てきていて、そこでは上手い対聯とそうでもないとされる対聯が出てきて、こんな感じになっています(『紅楼夢』の訳は、平岡龍城訳をみています。これだけは一生読める気がしない)。

賈政因見両辺俱是超手游廊、便順著游廊歩入。只見上面五間清廈連著巻棚、四面出廊、緑窓油壁、更比前幾処清雅不同。賈政嘆道「此軒中煮茶操琴、亦不必再焚名香矣。此造已出意外、諸公必有佳作新題以顏其額、方不負此。」衆人笑道「再莫若“蘭風蕙露”貼切了。」賈政道「也只好用這四字。其聯若何?」一人道「我倒想了一対、大家批削改正。」念道是「麝蘭芳靄斜陽院、杜若香飄明月洲。」

衆人道「妙則妙矣、只是“斜陽”二字不妥。」那人道「古人詩云“蘼蕪満手泣斜暉”。」衆人道「頹喪、頹喪。」又一人道「我也有一聯、諸公評閱評閱。」因念道「三径香風飄玉蕙、一庭明月照金蘭。」賈政拈髯沈吟、意欲也題一聯。

忽抬頭見寶玉在旁不敢嘖聲、因喝道「怎麼你応説話時又不説了?還要等人請教你、不成!」寶玉聴説、便回道「此処并没有什麼蘭麝・明月・洲渚之類、若要這様著跡説起来、就題二百聯也不能完。」賈政道「誰按著你的頭、叫你必定説這些字様呢?」寶玉道「如此説、匾上則莫若“蘅芷清芬”四字。対聯則是「吟成荳蔻才猶艶、睡足酴醾夢也香。」

賈政笑道「這是套的“書成蕉葉文猶緑”、不足為奇。」衆客道「李太白鳳凰台之作、全套黄鶴楼、只要套得妙。如今細評起来、方才這一聯、竟比“書成蕉葉”猶覚幽嫻活潑。視“書成”之句、竟似套此而来。」賈政笑道「豈有此理!」

賈政(屋敷の主人)は両側に超手游廊(四方への廊)があったので、その游廊に従って入っていった。上には五間の清廈が連著巻棚(その屋根を繋げていて)、四面に廊が出ており、緑窓のまわりは油壁(磨き壁)で、今までのところとも清雅なることが上回っていたので、賈政は嘆じて「ここで茶を立てて琴を奏すれば、名香を焚かなくてもいいほどだろう。この造りは既に思った以上のものなのだから、諸公はここに必ず佳作新題(新しくて佳い対聯)をつけて飾って、華を添えてもらいたい。」

付き従っていた人は笑って云う「ここはもう“蘭風蕙露”がいいでしょう。」賈政は「その四字にするのでいいでしょうが、その対聯はどんなのです?」と聞くので、一人が「私が一つ思いついたのですが、皆さん批削改正(色々と直してください)」といって「麝蘭の芳靄 斜陽院、杜若の香飄 明月の洲」と出した。

他の人は「妙といえば妙だが、“斜陽”の二字が合わない」という。そうすると、最初に出した人が「古人の詩に“蘼蕪は手に満ちて斜陽に泣く(香草を取っていて、いっぱいになったけど夕陽をみて泣く)”というのがあります」と云うと、周りの人は「頹喪、頹喪(暗い、暗い)」といった。また或る一人が「私も一つ思いついたので、皆さん評閲評閲(聞いて何か云ってください)」といい、「三径の香風は玉蕙を飄(漂わせ)、一庭の明月は金蘭を照らす」と出した。屋敷の主人の賈政は髯を捻りながら沈吟(小声で吟じてみて)、もう少し別のが欲しそうだった。

そんなとき、賈政はみずからの子供の賈宝玉がそばで何もいわないで居るのをみて、「何でこんなときに黙っているのだ。他のものに請われて作るつもりなのか」と云った。宝玉はそれを聞くと、「ここには何の蘭麝(蘭)・明月・洲渚などもないのに、このようなものばかり作っていては、二百個ほど作ってもいいものは出ないでしょう」と云った。賈政は「誰がお前の頭を抑え込んで、このようなことを云わせているのか?」ときくと、宝玉道は「そういうのでしたら、匾額には“蘅芷清芬”の四字が佳くて、対聯では“吟成りて荳蔻の才は猶お艶にして、睡足りて酴醾の夢はまた香(香りよし)」がいいでしょう、と云う。

賈政は笑って「これは使い古された“書成りて蕉葉の文は猶お緑”と同じで、大したことはない」というが、多くの客たちは「李白の「鳳凰台」の詩は、全体が崔顥の「黄鶴楼」から来ていて、それでいてその妙を得ている。今 細やかに評してみると、さきの一聯は、“書成りて蕉葉……”よりもさらに幽嫻(幽雅な淑やかさ)があって活潑(生き生きとしています)。“書成りて……”の句のほうが、却ってこれを真似したようです」と云ったので、賈政は笑って「そんなことはない」と云った。

 これをみてみると、上手い対聯とそうでない対聯については

 上手い対聯
吟成りて荳蔻の才は猶お艶にして、睡足りて酴醾の夢はまた香りよき(蘅芷清芬について)
書成りて蕉葉の文は猶お緑、吟は到りて梅花の句はまた香る(作者未詳の古い対聯)

 そうでもない対聯
麝蘭の芳靄 斜陽院、杜若の香飄 明月の洲(蘭風蕙露について)
三径の香風は玉蕙を飄(漂わせ)、一庭の明月は金蘭を照らす(蘭風蕙露について)

のようになっていて、上手くない対聯について賈宝玉は「蘭麝(蘭)・明月・洲渚などがないのに詠みこんでいるから」としていますが、横批(横披・横額とも云う。対聯の意味を補いつつさらに深める三つめの文で、楹聯だと聯は左右それぞれの柱、横批は入り口の上に懸けられる)の「蘭風蕙露(蘭も蕙も香草)」とそれぞれ字が重なっています(麝蘭・玉蕙・金蘭)。ちなみに、荳蔻はびゃくずく、酴醾は薔薇の一種、杜若・蕙・蘭・蘅・芷はそれぞれ香草です。

 一方で、賈宝玉が出した対聯では、横批の「蘅芷」は出てこなくて、対聯のほうでは詩・眠りを対にしています。

 上手くない対聯では、横批で植物を出したのに、さらに対でも植物を出していたり、斜陽・明月、香風・明月、玉蕙・金蘭などを対にしているけど、上手い対聯では「吟成りて荳蔻の才は猶お艶にして、睡足りて酴醾の夢はまた香りよき」という対聯で「蘅芷清芬(蘅芷の清い香り)」から飛躍するように書いていて、さらに吟と睡、才と夢、荳蔻(ふっくらしたびゃくずくの蕾)の艶やかさと酴醾の香りの漂うような夢というあまり似ていないものが蕾の艶と花の香りという点で一すじ似ているところがある……みたいになっています。

 さらに云うなら、「書成りて蕉葉の文は猶お緑、吟は到りて梅花の句はまた香る」は、芭蕉の葉に書いたような文は緑したたる色を帯びているようで、梅の花を詠んだ詩はその句も香りを帯びているよう……という感じで、詩と文の対になっていて、詩と睡の対よりどことなく粘りついている感じがするけど、ここで上手いとされている対はさらに「幽嫻にして活潑」とされています。

 この「幽嫻にして活潑」って、おそらく「幽嫻(奥深くほのめかすように書いていて)活潑(それでいて飛跳跌宕の趣きがある)」という雰囲気をなんとなく書いている感じかもしれないです。

 この感覚で、さきの「水天一色、風月無辺」をみてみると、「水天一色」は洞庭湖の渺茫たる風景ですが、「風月無辺」の風月は清風明月・風花雪月というより大きく広がっている景色のようで、実際の風景(水天一色)とその雰囲気(風月無辺)みたいな対です。

 そうなると、対聯にできる対句と、対聯らしくない対句というのがあるかもしれなくて、『文選』から幾つか思いついた対句をあげてみます。

 王褒「洞簫賦」
其巨音、則周流氾濫、并包吐含、若慈父之畜子也;
其妙聲、則清静厭㥷、順敘卑達、若孝子之事父也。

其の巨音は、則ち周流氾濫、并包吐含して、慈父の子を畜(養う)ごとく
其の妙声は、則ち清静厭㥷にして、順敘卑達、孝子の父に事(つかえる)ごとし。
(并包吐含:水が涌き上がったり沈んだりする様、厭㥷:深沈な様子、順敘卑達:低く順うようでするすると入ってくる様子)

吸至精之滋熙兮;稟蒼色之潤堅。
至精の滋熙(きらきらした露)を吸って、蒼色の潤堅(潤い緊まったもの)を稟ける。

 焦延寿「魯霊光殿賦」
旋室㛹娟以窈窕;洞房叫窱而幽邃。
旋室は㛹娟(くるくるとして)窈窕(奥深く)、洞房は叫窱(ひっそりと深くして)幽邃たり。

據坤霊之寶勢;承蒼昊之純殷。
坤霊の寶勢に拠り、蒼昊の純殷を承ける。
(坤は地のこと、昊は天のこと、殷は中正の徳のこと)

 古詩十九首  其二
青青河畔草;鬱鬱園中柳。
青青たる河畔の草、鬱鬱たる園中の柳。

 古詩十九首  其十
迢迢牽牛星;皎皎河漢女。
迢迢たる牽牛の星、皎皎たる河漢の女。
(七夕の風景。河漢は天の川)

繊繊擢素手;札札弄機杼。
繊繊として素手を擢(引き)、札札として機杼を弄す。
(札札は機織りの擬音)

 謝霊運「登池上楼」
潜虯媚幽姿;飛鴻響遠音。
潜虯は幽姿を媚び、飛鴻は遠音を響かせる。
(潜虯は水の中に身を潜める虯、飛鴻は飛んでいく雁)

 謝霊運「石壁精舍還湖中作」
林壑斂暝色;雲霞収夕霏。
林壑は暝色を斂し、雲霞は夕霏を収める。

 ……これをみていくと、まず「繊繊として素手を擢(引き)、札札として機杼を弄す」はちょっと対聯というには違うかも、という雰囲気があります。

「青青たる河畔の草、鬱鬱たる園中の柳」「迢迢たる牽牛の星、皎皎たる河漢の女」はまぁまぁそれっぽいと云えばそれっぽい、「林壑は暝色を斂し、雲霞は夕霏を収める」は「暝色(暗い色)」と「夕霏(夕靄の紅)」がそれぞれ「林壑・雲霞」に絡んでいる感じがやや崩れているようで対聯らしいといえば対聯らしい気がするのですが。

「其の巨音は、則ち周流氾濫、并包吐含して、慈父の子を畜(養う)ごとく、其の妙声は、則ち清静厭㥷にして、順敘卑達、孝子の父に事(つかえる)ごとし」は、上聯は大きく溢れ吐き出すような雰囲気、下聯は穏やかに入り込んで流れるような雰囲気の対になっています。「至精の滋熙を吸って、蒼色の潤堅を稟ける」も「滋熙(きらきらした露)」と「潤堅(潤って緊まっている様子)」がそれぞれ至精(透きとおっていること)と蒼色の対になっていたりします。

 個人的にさきにあげた例の中でもっとも対聯らしいと思っているのは「坤霊の寶勢に拠り、蒼昊の純殷を承ける」だったりして、これは「坤霊(地の神)」の「寶勢(美しい寶のごとき地勢)」に拠って、「蒼昊(蒼い天)」の「純殷(純粋にして中正の徳)」を承ける……のように、かなり対になるものが異なっていて、一聯の中にかなり多くのものを含み込むようになっている気がするのですが……。

 さきにあげた対聯の例を、それぞれ上聯と下聯の雰囲気を質感としてあらわしてみると

軽風扶細柳、淡月失梅花。(駘蕩と朦朧)

大江東去、浪淘尽千古英雄、問楼外青山、山外白雲、何処是唐宮漢闕;
小院春回、鶯喚起一庭佳麗、看池辺緑樹、樹辺紅雨、此間有舜日尭天。(蒼古と穠麗)

金水河辺金綫柳、金綫柳穿金魚口;玉欄杆外玉簪花、玉簪花插玉人頭。(金襴と琳琅)

打仗不慌不忙、先求穏当、次求変化;
辦事無聲無臭、既要精到、又要簡捷。(沈著と老獪)

海水潮、朝朝潮、朝潮朝落;浮雲漲、常常漲、常漲常消。(満々飄忽)

みたいになりるのですが、ところで対聯は「広義の駢文(駢文:対句を多用する美文。駢は二匹の馬がひく馬車なので、二匹並ぶ様子が対句の意になっている)」だと思っているのですが、駢文の反対は「散文(形が不規則な文章)」とされています。でも、さきの対聯らしい対句の特徴をみてみると、対になるもの同士はそれぞれ離れていきそうな方が意外とそれらしい対聯になる……という雰囲気を感じたので、きれいに重なりすぎる対句よりも、どことなく散文らしさ(不規則さ)を含んだ対句のほうがいい……ということになりそうです。

 中国の詩については、それぞれの詩体で雰囲気がかなり異なる様子を、清・劉熙載『藝概』詩概では

論古近体詩、参用陸機「文賦」、曰「絶“博約而温潤”、律“頓挫而清壮”、五古“平徹而閑雅”、七古“煒煜而譎誑”。」
古体や近体の詩を論じるに、陸機「文賦」の語を用いてみれば、「絶句は“博約にして温潤”、律詩は“頓挫にして清壮”、五言古詩は“平徹にして閑雅”、七言古詩は“煒煜にして譎誑”」みたいになる。
(博約は多くを含み込むこと、温潤はゆったりと柔らかみがあること、頓挫は曲折があること、清壮はすっきりと切れがいいこと、平徹は坦々、閑雅は優雅な含みがあること、煒煜はきらぎらしいこと、譎誑は文辞多端なこと。絶句はゆったりと柔らかい含みがあり、律詩は曲折断続を含みつつすっきりと綺麗に終わるのがよく、五言古詩は平易坦々にみえて優雅なのがよく、七言古詩はきらきらと飾られて多言多端なのがいい)

というふうに書いていて、こんな感じでさまざまな雰囲気をもつ詩体をすべて含み込むようにして生まれてきた対聯は、落ち着いているようで、はらはらと散っていくような面も兼ねるようにしたり、きらきらと濃やかな様子を描きながら、その間を大きくあけるようにして閑雅な雰囲気をあわせたり……というのが、『紅楼夢』で形にならないけど書きたかった感覚なのかもしれないと思っています。

 ちなみに、対聯にも出典が使われることがあって、例えばこんな感じで使います。

納于大麓;蔵之名山。
大麓に納めて、これを名山に蔵する。

 これは、岳麓書院の二門(二つめの門)に掲げられている対聯で、上聯は『尚書』舜典の「納于大麓、烈風雷雨弗迷(大麓に納めれば、烈風雷雨にして迷わず)」、下聯は『史記』太史公自序「僕誠以著此書、蔵之名山(私はたしかにこの書を書き終わり、これを名山に納め置くことにする)」から出ていて、麓は山のふもとの山林です。岳麓書院は、岳麓山という霊山(南岳衡山の一部でもある)のふもとにあるので、そこにこのような書院を蔵めおく……という意味です。

 あと、「大麓に納めれば……」のほうは、もともとは人を大麓(大きい山のふもとの山林)に入れれば……の意なので、もともとは人だったり書だったりを山や麓に入れていたのを書院のことを云うのに使っていて、さらに「大麓(風景)」と「名山(文化)」みたいな対にしています。

惟楚有材;于斯為盛。
ただ楚にのみ材のあって、ここに於て盛となる。

 これも岳麓書院の大門(二門の外にある門)に掛けられている対聯で、上聯は『左伝』襄公二十六年の「雖楚有材、晋実用之(楚に材があるといっても、晋がそれを用いる)」、下聯は『論語』泰伯の「唐虞之際、于斯為盛(尭舜の頃は、盛りの世だった)」からなのですが、岳麓書院は昔の楚のあたりにあるので、楚にのみ人才のあって、ここに於て盛りとなる……としています。

天行惟健;命事惟醇。
天のめぐりは健やかにして、天命のことは醇(混り気なく)。

 これは明末清初の書家 八大山人の対聯なのですが、これだけみるとすごく全うでふつうのことしか書いてないような気がするけど、この書をみてみるとかなり印象が変わります。

 この枯れ蓮の茎のような潤いがあるのかないのかわからない、諦めているのか毀れているのかわからない雰囲気の書体だと、『易』の「天行健、君子以自疆不息(天のめぐりは健やかにして、君子はみずから勉めてやまない)」、『尚書』説命中の「政事惟醇(政は混り気なく行う)」から出てきて対聯が、ほとんど「天のめぐりは健やかなので、ただできる事を天命としてするのみなのだが」というどことなく不穏なものにも見えてきたりするのですが。

 あと、これは対聯ではないのですが、北岳恒山の雁門関には、その険しい山に拠っていることを「天険」「地利」の二匾額で書いてあるのですが、これでも一応対聯らしいけど、さらに字をつけて対聯にするとしたら、色々なのが作れるけど「天険磅礴;地利済済」みたいにするかもです、これは余談だけど。

 ついでに記事の題にした「群経之首;大道之源」は『周易』について対句で評した言葉で、上聯は『周易』は五経の第一にされていること、下聯はその易の中で述べられていることの内容だと思います。これも一応、上聯は経典としての易、下聯は易の内容についてになっているかもです。

 この記事のアイキャッチ画像は、最近あじさいで有名なお寺に行ったので、そのときの写真です。ほどよく雨が降っていていい感じだったりして、そんなに広くないのに一時間半くらいみていても、場所によって複雑に見え方がかわる感じがいつまでもみていられます。

綉球閣上倚欄、鳳彩黼黻;芳綾帳中襲袿、鸞褙衯裶。

ABOUT ME
ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています