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2-2 坤之坤

本文

不風不雨、白日皎皎。宜出驅馳、通利大道。

注釈

純坤無巽・兌象、故不風不雨。伏乾為日、大明、故曰“白日皎皎”。震為出、為駆馳、為通、為大塗、言陰極宜陽、復成震也。(坤為地から坤為地へ)

純粋な坤は巽(風)兌(沢)などの象がないので、「風もなく雨もなく」と云う。伏卦の乾は日の光・大いに明るいこと(太陽のように)、なので「白日は皎皎として」と云う。震は出づる・駆馳(はせ)る・通る・大きい路(いずれも春の気が大きく動くこと)なので、陰が極まると陽になるので、また震になるという。

日本語訳

風もなく雨もなく、白日は皎皎として、ぜひとも出でて馳せるべきで、大きい道を阻(妨)げなく行く。

解説

坤はすべて陰なので、坤から坤だと冬の穏やかな日に、まだ外は寒いけど風もないので遠くに行くにはいい日だから、そんな中に出ていけばやがて春の雰囲気すら感じられてくるので、今は少し寒くても外に出てしまって大丈夫という卦です。

余談

この文章を読んでいて思い出したのは、芥川龍之介「芋粥」の「飴のごとくなめらかな光」という言葉で、中学生のときに読んで、それ以来ずっと覚えています。風景も似ているので引用しておきます。

 それから、四五日たった日の午前、加茂川の河原に沿って、粟田口へ通う街道を、静に馬を進めてゆく二人の男があった。一人は濃い縹の狩衣に同じ色の袴をして、打出の太刀を佩いた「鬚黒く鬢(びん)ぐきよき」男である。もう一人は、みすぼらしい青鈍の水干に、薄綿の衣を二つばかり重ねて着た、四十恰好の侍で、これは、帯のむすび方のだらしのない容子(様子)と云い、赤鼻でしかも穴のあたりが、洟(はな)にぬれている容子と云い、身のまわり万端のみすぼらしい事夥しい。尤も、馬は二人とも、前のは月毛、後のは蘆毛の三歳駒で、道をゆく物売りや侍も、振向いて見る程の駿足である。その後から又二人、馬の歩みに遅れまいとして随いて行くのは、調度掛と舎人とに相違ない。――これが、利仁と五位との一行である事は、わざわざ、ここに断るまでもない話であらう。

 冬とは云いながら、物静に晴れた日で、白けた河原の石の間、潺湲たる水の辺りに立枯れている蓬の葉を、ゆする程の風もない。川に臨んだ背の低い柳は、葉のない枝に飴の如く滑かな日の光りをうけて、梢にいる鶺鴒の尾を動かすのさえ、鮮かに、それと、影を街道に落している。東山の暗い緑の上に、霜に焦げた天鵞絨(びろうど)のような肩を、丸々と出しているのは、大方、比叡の山であらう。二人はその中に鞍の螺鈿を、まばゆく日にきらめかせながら鞭をも加えず悠々と、粟田口を指して行くのである。(芥川龍之介「芋粥」)

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ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています