Uncategorized

5-18  需之蠱

本文

佩玉橤兮、無所系之。旨酒一盛、莫與笑語。孤寡獨特、常愁憂苦。

注釈

互震為玉、為華、為橤。艮為佩、巽為系、兌決、故無系。互大坎為酒、震為盛、坎数一、故曰一盛。震為笑語、巽寡、故無與。艮陽在上、故孤。巽寡、震陽在下為獨、兌為特、大坎為憂愁。凡六子『易林』皆有鰥寡孤獨象。(水天需から山風蠱へ)

蠱の互体の震は玉(出典不明)、華(迭象)、橤(華から派生)。艮は佩(迭象の簪・刀剣から派生?)、巽は系:結ぶ(出典不明)、兌(需・蠱の互体)は決(決裂)なので、結ぶところがない。

蠱は初~五爻が大きい坎になるので酒(水のように溺れる)、震は盛ん(連想解釈)、坎は数で一(九宮図)なので「一盛り」という。震は笑語(『周易』本文の「笑言啞啞」から?)、巽は独り(出典不明)なので、共にする人がいない。艮の陽爻は上にあるので「孤」。巽は独りの意で、震の陽爻は下にあって独り、兌(需・蠱の互体)は特:独り(出典不明)、大きい坎は憂愁(説卦伝)。

『隋書』巻34・経籍志三には、焦贛の他にも費直・許峻・郭璞・魯洪度の『易林』が載っており、さらに作者不明の『易林』類や梁元帝『洞林(郭璞『易洞林』もあるので、おそらく易林の一種らしい)』などがあって、すべて「鰥寡孤独」の象意がある(内容は確認できてないです)。

日本語訳

玉の芯を佩びても、それを結ぶところがなくて、旨(おいしい)酒を一盛りしても、ともに笑って話す人がなく、孤寡独特(たった独りで)、ずっと憂愁(うれいて)苦しむ。

解説

どことなく腐ったような美しさのある詩です。需は天の上に雲(坎)があって雨を待っている様子、蠱は山から吹いてくる風で腐ったものが散らされていく様子なのですが、雰囲気的に思い出すのはこれです。

紛吾既有此内美兮、又重之以脩能。
扈江離與辟芷兮、紐秋蘭以為佩。
汩余若将不及兮、恐年歳之不吾與。
朝搴阰之木蘭兮、夕攬洲之宿莽。
日月忽其不淹兮、春與秋其代序。
惟草木之零落兮、恐美人之遅暮。(『楚辞』離騒)

紛(ふわふわとして)私は既に此の内美を有(持)て、又重ねて脩めた能もある。
江離と辟芷(香草)を扈(ひらめかせ)、秋蘭を紐(結んで)佩(飾り)とする。
汩(さらさらとして)私は不及(置いていかれるようで)、年歳の私から去るのを恐れつつ、
朝に阰山の木蘭を搴(取り)、夕に中洲の宿莽(枯れない草)を攬(摘めば)
日と月はたちまちにして不淹(留らず)、春と秋はつぎつぎに代序(かわる)。
草木の零落(萎れていく)のを惟(思)っては、美人(その人)の遅暮(なかなか来ない)のを恐れる……。

江離と辟芷のような香草を纏って、その香りは内面の美しさと脩めた能のようで、秋の蘭は澄んだ白い色がきれいなのに、そんなときに花の咲いている中洲に一人でいるような、日がやや暮れていくような不安の一節です。

『易林』の詩では、玉のような秋蘭を佩びていても、それを束ねて送りたい人はいない、旨(美味しい)酒はたくさんあっても、一緒に飲んで話したい人もいない、そんな庭はしだいに緑が蒙蘢としてきて、わずかに残った花を見ていると、いつまでも独りで大きくて綺麗な院落(にわ)にいるようで、もの悲しい気持ちになる、みたいな詩だと思います。

余談

この雰囲気は宋詞によく詠まれるのですが、その中でも特に近い感じがする作品を載せてみます。

  花犯・苔梅
古嬋娟、蒼鬟素靨、盈盈瞰流水。断魂十里。嘆紺縷飄零、難系離思。故山歳晚誰堪寄。琅玕聊自倚。謾記我、緑蓑冲雪、孤舟寒浪裡。
三花両蕊破蒙茸、依依似有恨、明珠軽委。雲臥穏、藍衣正、護春憔悴。羅浮夢、半蟾挂暁、幺鳳冷、山中人乍起。又喚取、玉奴帰去、餘香空翠被。(王沂孫「花犯・苔梅」)

古めいて嬋娟(つやつやとして)、蒼い鬟(編み髪)と素い靨(面)に盈盈(つらつら)として流水を瞰る。断たれた魂は十里に漂い、紺(青)い縷(糸)の飄零として、離れていく思いを結び難いのを嘆けば、あの山はとても昔なので、花を寄せる人もいない。琅玕(きらきらとして)聊く倚れば、謾(ぼんやりと)私は昔、緑の蓑で雪の冲(中を行き)、孤(ひとつの)舟は寒浪の裡にあったのを記(おもい)出すのだけど。

三つの花と両つの蕊の蒙茸(はらはら)と破(ひら)けば、依々として恨みのある気がして、明るい珠は軽く委(落ちて)、雲の中に臥(寐るのは)穏やかで、藍衣はちょうど春を護って憔悴(弱っていくようで)、梅の花に微睡めば、半蟾(下弦の月)は明け方に挂かり、小さい鳳凰(とり)の冷たくして山中の人は乍(徐ろに)起きる。さらに玉の花の帰っていくのを喚び取(戻せば)、餘香は翠の被(苔の錦)に少し残っているのだけど。

雨に濡れて冰嫋々とした梅の花を見たいと思っていたのに、冷たい風がざっと吹いては梅の花を腐していくように美しさと悲しさを重ねて書いているのが需から蠱に似ている(ちなみに、花犯は曲名・苔梅は梅の幹に苔が生えて、長いものは垂れ下がるほどになった様子です)。

費直は前漢の人で、どちらかというと『周易』本文のみで占う方法を得意としていて、許峻は後漢の人で、三年間の病気に苦しんで泰山に詣でたところ、道士の張巨君に出会って方術を授けられ、その著『易林』は当時とても流行ったという。郭璞は西晋~東晋の詩人・占術家・注釈家(古語辞典の『爾雅』『方言』や神怪的な地理書『山海経』に注をつけた)、魯洪度は詳細不明。梁元帝は、梁代の皇帝で名は蕭繹、文章や占術、絵などさまざまなことに通じていて、個人的にこの人の作品は昔読み耽っていたので、みずからの『易林』を作っていたと知って、久しぶりの邂逅を感じている……。

歴代の『易林』作者は意外と文章家と占いを兼ねていたような人が多いのも、なんとなく『易林』が文学と占術の間にあるような気がして、蕭繹の文章に似ていてどことなく柔らかくて詩的なのに、やや修辞主義的なところもあって、作られた美しさを持っていることに惹かれたことと重なる気がして、数年前から同じようなものが好きなのかと思って驚いてますが。

ABOUT ME
ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています