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62-18  小過之蠱

本文

戴盆望天、不見星辰。願小失大、遁逃牆外。

注釈

詳賁之蒙。(雷山小過から山風蠱へ)

賁から蒙に変わるときと同じ詩なので、そちらに詳しく注釈がある(ということで、賁之蒙の注釈を一応そのまま載せます)。

震為盆。艮為戴、為天、為望、為星辰。坎隠、故不見。艮為小、震為大。坎失、故曰失大。震為福、艮為牆。(山火賁から山水蒙へ・雷山小過から山風蠱へ)

震(賁・蒙の互体でもある)は盆(迭象の樽・瓶・缶などの派生?)。艮は戴く(出典不明)、天(迭象)、望(迭象の観るから派生?)、星辰(迭象の光明から派生?)。坎(小過・蠱は互体・裏卦の互体などにも全く坎を含まない)は隠れる(説卦伝)なので、見えない。艮は小さい(少男?)、震は大きい(長男?)。坎は失う(災い・盗賊などの派生?)なので、失うものは大きい。震は福(迭象)、艮は牆(壁・塀のこと。周りを山に囲まれている様子から連想?)。

日本語訳

盆を戴いて天を望めば、星辰は見えず。願いは小さいのに失うものは大きく、牆外に遁逃(に)げてゆく。

解説

賁之蒙の記事でも書いてますが、この注釈は個人的にはあまり近くない気がします。象意の配置が絵として錯綜しているというか、きれいな形を結ばないので、やや独断の解釈でいきます。

まず、雷山小過は山の上に雷がなっている様子で、雷はもともと春の地中を震(ゆ)らすように出てくるのに、今は山上で鏜鞳と鳴っていて華々しすぎるので、小さきに過ぎるようなことをして落ち着かせる、という意味です。尤も、奢侈や放逸を矯めることが過ぎて、やや厳しく細かくなりすぎることはあります(春気の迸りが荒れているのが雷というのが易の世界観です)

さらに、山風蠱は山の上から風が吹きおろしてくる(赤城おろしみたいな)と、蠱(腐敗した毒虫)のようなものは一掃される、という様子です(山風蠱というのは、山風で蠱が一掃されることなので、蠱が消されるまでを云っているらしいです)。

雷山小過から山風蠱になるときは、最初は奢侈が過ぎているのをやや抑えようとして、ちょっと倹約しすぎの感もあるけど……というのが、次第に腐ったものはすべて吹き祓うまでいってしまい、もともとは程よいところで止めておくべきなのに、盆で天を覆ったように本質を見失って、みんな牆(壁)の外に遁逃(に)げてゆく、という意味でしょうか。

そう考えると、同じ詩を使っていても、賁之蒙のときは末節の楽しみに耽りすぎて本質的な深みを失い華美に流れた文化をいっていて、小過之蠱のときは誤りを矯めることが行き過ぎている様子ですね(合っているかは不明ですが)

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ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています