Uncategorized

9-4  小畜之蒙・19-3  臨之屯・64-31  未済之咸

本文(小畜之蒙)

機関不便、不能出言。精誠不通、為人所冤。

注釈

坎為機関、坤閉故不便、故言不能出。震為言、為出。坎為心、為精誠、坤閉故不通。坎為冤、震為人。(風天小畜から山水蒙へ)

坎は機関(内側に入り組んでいるため)、坤は閉ざすなので「不便」「言葉が出せない」。蒙の互体震は言(迭象の口)・出る(動くからの連想)。坎は心(説卦伝の心病から)・精誠(出典不明)、坤は閉ざすなので「通ぜず」。坎は冤(説卦伝の陥れる?)、震は人(出典不明)。

本文(臨之屯)

機関不便、不能出言。精誠不通、為人所冤。

注釈

坎為機関、坎陷故不便。坤閉故不能出言。震為言、為出、為精、為通、為人、坤閉故不通。坎為冤。(地沢臨から水雷屯へ)

坎は機関(内側に入り組んでいるため)、坎は陷る(説卦伝)なので「不便」。坤は閉ざすなので言葉が出せない」。震は言(迭象の口)・出(動くから連想?)・精(出典不明)・通(春の雷は気を通じるため?)・人(出典不明)、坤は閉ざずなので「通ぜず」。坎は冤(説卦伝の陥れる?)。

本文(未済之咸)

機関不便、不能出言。精誠適通、為人所冤。

注釈

坎為機関、三上互大坎、故曰不便。震為言、震伏、故不能言。乾為精誠、為往、故曰精誠適通。適通、即感通也。乾為人、兌為言、正反兌、故曰「為人所冤」、言被誑也。易林每遇正反兌或正反震、不曰讒佞、即曰誣罔、皆本易與左氏。(火水未済から沢山咸へ)

坎は機関、三上互大坎(後で解説します)なので「不便」。咸の裏卦の互体震は言(迭象なので口)、震は裏卦なので「言えない」。乾は精誠(純陽から連想?)・往く(出典不明)なので「精誠適通(適を行くと読んでいる)」。適(往)いて通ずるなので、感(咸)は通じる。乾は人(出典不明)、兌は言(説卦伝の口舌)、上下で兌が向かい合っているので「人に冤(陥れられる)」になって、誑かされることを云う。『易林』では上下で兌や震が向かい合っていると、「讒佞」と云わないときは「誣罔」と云っていて、これは皆『周易』と『左伝』に依っている。

日本語訳

機関は便ならず、言葉が出せない。精誠は通ぜず、人に冤(間違って受け取られる)。

解説

とりあえず、どこから書くべきか悩むのですが、まずは機関の訳について。

機関は、機械・奇怪・詰屈・詭譎・滑稽・結構などと同じ擬態語から生まれた言葉で、内側に入り組んでいる複雑なものという意味です(機械は複雑な木組み細工・奇怪は中身が分からなくて不気味・詰屈はがたがたと詰まっていて意味が取りづらい言葉・詭譎は何を云っているのか分からない言葉・滑稽は面白いけど何を考えているのか分からないこと・結構は複雑な構造のこと)。

そして、機関の用例として『鬼谷子』権篇に「故口者機関也、所以関閉情意也(故に口は機関にして、情意を閉ざしておくもので……)」とあるので、機関はすぐ後にある言とあわせて口のことだと思われます。

そうなると、まず小畜之蒙・臨之屯を読んでみると、小畜は「風が天の上を行く。遠くを吹いている風なので、文徳を整えて待つ(風行天上、小畜。君子以懿文德)」、蒙は「山の下に険しいものがあって、険しくて止められるのが、蒙。君子はそんな人をみて果然として行い德を育てる(山下有険、険而止、蒙。君子以果行育德)」、臨は「澤の上に地があるのが、臨。教える思いは無窮で、民をどこまでも受け容れて守る(澤上有地、臨。君子以教思无窮、容保民无疆)」、屯は「陰と陽の始めて交わって難も生じる。君子は経綸(まとめ上げる)とき(剛柔始交而難生。……君子以経綸)」とあります。

なので、小畜・臨は静かに待っている様子、蒙・屯は難の中にある人に教えている様子だとすると、ふだんから思っていることはいいのに、言葉が上手く出せないことかもしれないです。

ということを知った上で、未済之咸の「三上互大坎」なのですが、まずは注釈内で他に似ている表現でどのようなことをあらわしているかを見ていきます。

最初に「大坎」については、「大きい坎になる」という意味で、下から陰・陽・陰の順で並んでいるときには他の箇所でも「大坎」としていて、乾之随などに例があります。

つぎに「三上・互」or「三・上互」は切り方としてどうするかなのですが、「三上」と「上互」の用例を見ていきます。

「三上」だけでの用例だと、師之蠱では「蠱の三爻~上爻が、上下で向かい合う震になっている(三上正反震)」という形、升之萃では「萃の三爻~上爻が上下に向かい合う艮になっている(三上正反艮)」という形で出てきます。ちなみに、萃の三爻~上爻は下から順に陰・陽・陽・陰なので、陰一つと陽一つでも艮の一部として見做すらしいです。

「上互」だけの用例では、坤之井では「井の、上の互体が離、下の互体が兌(上互離、下互兌)」、解之損では「損の、上の互体が坤、下の互体が震(上互坤、下互震)」というように、上にある互体という意味で使っています。ちなみに「上互大坎(上にある互体が大坎)」という用例では、随之剥で「随の、三爻~上爻を互体として、上の互体は大きい坎」というのがあります。

さらに「二五互大離」の例として、解之節で「節の二爻~五爻の互体では、大きい離」、「二五五大坎」の例では、未済之旅で「旅の二爻~五爻では、大きい坎になる」という例があるので、「大きい坎・離が途中に含まれているのも広義の互体らしいです。

ということで、未済と咸を改めてみてみると、未済は三爻~上爻は大きい坎ではないので、咸をみるとどうやら二爻~上爻に大きい坎があります。なので、「三上互大坎(三爻~上爻の互体は大きい坎)」は「二上互大坎(二爻~上爻の互体は大きい坎)」です。

つづいて、「『易林』では上下で兌や震が向かい合っていると、「讒佞」と云わないときは「誣罔」と云っていて、これは皆『周易』と『左伝』に依っている」なのですが、これもやや長いです。

まず上下で兌や震が向かい合うというのは、先にあげた升之萃で「萃の三爻~上爻が上下に向かい合う艮になっている(三上正反艮)」のように、萃の三爻~上爻は下から順に陰・陽・陽・陰なので、陰一つと陽一つでも艮の一部として見做すことに依っていると思われます。陰一つと陽一つで艮をあらわすと、実際は震も同じ形になってしまい、この注釈では『周易迭象原本考』に依る象意も用いているので、兌は説卦伝の口舌、震は迭象の口で、それが向かい合うというのは讒佞誣罔のことになるらしいです。

ちなみに『左伝』は、昭公五年の占例で、明夷之謙というのがあって、そこに「讒人を以て入れる」という解釈が出てくるのですが、明夷の初~三爻に向かい合う兌or震があるので、それと絡めているらしいです(『左伝』で主流の説とは異なるけど)。

色々あったけど、大きくまとめると、未済は「位は正しくないと云っても、剛柔はかみ合っている。……君子は慎んで物を辨じて正しいところに居させる(雖不當位、剛柔應也。……君子以慎辨物居方)」、咸はまわりの人が未整理なときにみて感応してしまい、「精誠が適(たまたま)通じてしまい、人に冤(間違って受け取られる)」だと思います。
(読まなくていいですが、蒙の「君子以果行育德」は『周易正義』だと「果然として行って教え、静かに徳を育てる」みたいになっているけど、『周易集解』の虞翻説「山水蒙は、二~上爻に山雷頤を含んでいるので養うの意があり、それが果然として行い徳を育てること」というのもあるので、蒙の君子は黙って徳を育てるだけではない説もあるらしいです)

ABOUT ME
ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています