本文
戴盆望天、不見星辰。願小失大、福逃牆外。
注釈
震為盆。艮為戴、為天、為望、為星辰。坎隠、故不見。艮為小、震為大。坎失、故曰失大。震為福、艮為牆。(山火賁から山水蒙へ)
震(賁・蒙の互体)は盆(迭象の樽・瓶・缶などの派生?)。艮は戴く(出典不明)、天(迭象)、望(迭象の観るから派生?)、星辰(迭象の光明から派生?)。坎は隠れる(説卦伝)なので、見えない。艮は小さい(少男?)、震は大きい(長男?)。坎は失う(災い・盗賊などの派生?)なので、失うものは大きい。震は福(迭象)、艮は牆(壁・塀のこと。周りを山に囲まれている様子から連想?)。
日本語訳
盆を戴いて天を望めば、星辰は見えず。願いは小さいのに失うものは大きく、福は牆外に逃げてゆく。
解説
これは同じ詩が小過之蠱にあるので、それも合わせて読める注釈ということなのですが、とりあえずすっきりしないです……。象意の解釈もどことなく盤桓(うろつい)ているというか……。
山火賁は、『周易』では山の下に火があって、山の木々を飾るような光(夕映えの照りつける感じや、街の灯りに彩られた山裾の庭を想像してもらうと近いのですが)、広く美しく飾り立てること・美しく魅せることなので、きれいな文化などの意です。
一方の山水蒙は、山の中に水気が立ち籠めて見通しが利かない様子なので、山火賁から山水蒙だと同じ山間の街は、夕映えのようにきれいな文化も栄えていたけれど、あまり末節にこだわりすぎると盆で天を覆って星辰が見えなくなるように、街の明かりのような小さい楽しみに耽りすぎて、自然の星の光を忘れるようになって、福は街の牆外に逃げてゆくという意味ではないでしょうか(小過之蠱でも同じ詩が使われています)。