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18-4  蠱之蒙

本文

家在海隅、繞旋深流。王孫單行、無妄以趨。

注釈

艮家坤海。坎水坤水、故曰深流。震為王、艮為孫、坤寡、故曰王孫單行。震為行。坤喪坎険、故曰無妄。妄、西漢人多作望。汲古下多“固陰冱寒”四句、與上義不属、顕為別一林詞、故従宋元本。(山風蠱から山水蒙へ)

艮は家(山に囲まれるからの派生?)、坤(蒙の互体)は海(迭象)。坎と坤は水(坤は水というのは迭象)なので、深い流れという。

震(蠱の互体)は王(迭象の君から)、艮は孫(少男から?)、坤は寡(少ない)なので「王孫は一人で行く」という。震は行く(動くからの連想)。坤は喪う・坎は険しいなので「無妄(何があるかわからない)」。妄は、前漢の人は多く「望」と書いている。

日本語訳

家は海隅(海の傍)にあり、深い流れを繞旋(めぐ)って漕ぐ。王孫(その家の子)は単(ひとりで)行き、無妄(何があるかわからない)まま趨く。

解説

これは、蠱の三爻だけが変わったときなので、『周易』の爻辞も載せておきます。

九三:幹父之蠱、小有悔、无大咎。

父の蠱(してきた事)を幹(行)う。(上に応じてくれる物がいないので)ちょっと悔いることはあるが、(大きく外れたようなことはしないので)大きい咎もない。

蠱は、冷たい風が山から吹きおろしてきて、腐った毒虫(蠱)などを一掃していることで、「王孫」という語から思うに、父の頃からの生業を受け継いで(おそらく在地の貴族みたいな家系で)生きていくイメージでしょうか。

「王孫」とは、もともと貴族の子という意味だったのですが、淮南小山「招隠士」で使われて以来、山中に流離している若い貴人の意になっています。もし焦贛が『周易』の爻辞と重なるように書いていたとしたら、王孫は海隅の家の、父の蠱(してきた事)を受け継いでも、あまり支えてくれる人もなくて一人で海の上を漕ぐこともあり、何があるかわからないまま日々を過ごすという感じだと思います。

山水蒙というのも、見通しがきかない様子なので海に霧が立ち籠めていたり、山がすぐ近くまで逼っていたりする風景で、「无妄」は「無望」と同じで、思いがけないこと・「伊勢物語」宇津の山で「すずろなるめを見る」ような不安さです。(ちなみにこの詩は萃之師のときも使われますが、微妙に字が異なります)

余談

淮南小山「招隠士」は、山中に流離している若い貴人を呼び戻そうとする作品で、この作品での王孫は山に隠れているのですが、『易林』でも王孫はたぶん海沿いの土豪のような家で生きていく様子だと思います。「招隠士」は痩せた擬態語の質感が黒々しく美しいです。

  招隠士
桂樹叢生兮山之幽。偃謇連卷兮枝相繚。
山気隴嵷兮石嵯峨。谿谷嶄巖兮水曾波。
蝯狖群嘯兮虎豹嗥。攀援桂枝兮聊淹留。
王孫遊兮不帰。春草生兮萋萋。
歲暮兮不自聊。蟪蛄鳴兮啾啾。
坱兮軋、山曲岪。心淹留兮洞荒忽。
罔兮沕、憭兮慄。虎豹岤、叢薄深林兮人上慄。
嶔崟碕礒兮硱磈磳硊。樹輪相糾兮林木茇骫。
青莎雑樹兮薠草靃靡。白鹿麕麚兮或騰或倚。
状貌崟崟兮峨峨。淒淒兮漇漇。
獮猴兮熊羆。慕類兮以悲。
攀援桂枝兮聊淹留。虎豹闘兮熊羆咆。
禽獣駭兮亡其曹。王孫兮帰来、山中兮不可以久留。

桂の樹は叢がり生える山の幽(深み)、偃謇連卷(うねうねぐるぐるとして)枝は繚(縺れ)合う。
山の気は隴嵷(朦朧)として石は嵯峨(鋭く聳え)、谿谷は嶄巖(がたがた)として水は波を層(重ねる)。
蝯狖(猿たち)は群れて嘯(鳴)いては虎や豹も嗥(咆え)、桂の枝を攀援(攀じ登って)は聊く淹留(留まる)。
王孫は遊びて帰らず、春の草は生えては萋萋。
歲が暮れると自ら聊(楽しまれ)ず、蟪蛄(蝉)は啾啾(さらさら)と鳴く。
坱兮軋(ぐったりと重く)、山は曲り岪(くね)り、心は淹留(留まっている)のに洞(ぼんやりとして)荒忽(抜けたようで)、
罔兮沕(もったりとしてぐったりとして)、憭兮慄(ぞよぞよとするのは)虎豹の岤(穴)を窺き見るようで、叢薄(茂み)や深い林では、人は上にて慄(ぞっとする)。
嶔崟碕礒(からからぎりぎりとして)兮硱磈磳硊(ぐらぐらごろごろ)として、樹の輪(横枝)は相い糾(絡まって)林木は茇骫(ばさばさとして)
青い莎(はますげ)は樹に雑じり靃靡(びらびらと靡き)、白鹿や麕麚(鹿たち)は或いは騰(躍り)或いは倚りかかる。
状貌(すがた)は崟崟(きらきらとして)峨峨(ざくざくとして)、淒淒兮漇漇(しっとりと冷たく濡れている)。
獮猴(猿)に熊羆(熊)は、類を慕って悲しんでいるのに、
桂の枝を攀援(よ)じては聊(しばらく)淹留り、虎豹は闘って熊羆も咆える。
禽獣は駭(驚)いて其の曹(仲間)から亡(はぐれ)、王孫よ帰り来れ、山中は久しく留まるなかれ。

この不安さは、ある意味では「伊勢物語」第九段 宇津の山にも似ているので、一部を載せます。気象の不安さはすごく似ていると思う。あと、この記事のヘッダー画像は、斉白石という画家の絵なのですが、今回の『易林』の詩はこんな雰囲気だと思います。

行き行きて、駿河の国にいたりぬ。宇津の山にいたりて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、蔦、楓は茂り、もの心細く、すずろなるめを見ることと思ふに、修行者あひたり。……

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ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています