本文
臨河求鯉、燕婉失餌。屏気攝息、不得鯉子。
注釈
通明夷。坤為水、為河、為魚、坤柔順、故曰燕婉。巽為餌、坎失、故燕婉失餌。震為気息、坤閉、故屏氣攝息。震為子、坤魚、故曰鯉子。坤喪、故不得。(沢火革から天水訟へ)
革から明夷になるときに通じる。訟の裏卦の坤は水・河・魚(迭象)、坤は柔順なので「燕婉(ゆったり)」という。革or訟の互体巽は餌(迭象の蟲?)、坎は失う(連想?)なので「燕婉として餌を失う」という。震(どこから取ったか分からない)は気息(出典不明)、坤は閉じる(連想解釈)なので「屏気攝息」という。震は子(長男)、坤は魚(迭象)なので「鯉子」という。坤は喪うなので「得られず」。
日本語訳
河に臨んで鯉を求めて、燕婉として餌を失う。屏気攝息(ひっそりと静まり返ってしまい)、鯉子は得られない。
解説
とりあえず「臨河求鯉」が一癖ありそうです。調べてみると『淮南子』説林訓に
臨河而羨魚、不如帰家織網。
河に臨んで魚を羨(欲しがるなら)、家に帰って網を織(編んだ)ほうがいい。
とあります(幾つか似た言い回しがあるので、たぶん当時の慣用表現)。もっとも、ここでは、革(変える)から訟(もめる・たがう)への変化の様子なので、「川に臨んで鯉を求めていたけれど、燕婉(ゆったりとして)いつの間にか餌を失っていた」という意味で「革(魚を求めていたのか、河で遊び始めたのか一定しない。燕婉には夫婦の和好する様子ともあるので、河の釣殿かも)」です。
「気を屏(蔽いて)息を攝(収める)」は直訳すると「息を殺す」だけど、ここではたぶん気まずくなったときに息の音をさせるのすら嫌な様子です。「鯉子」の子は、今の中国語でも「袴子」「衫子」「盤子」などの接尾辞だと思います。
なので、余計なことを革めて(水と火がぶつかり合って変わる)、もともと思っていたことができなくなって却って悪くなる(天と水がたがうように揉める)です。
占例
このサイトは、当初は『易林』をみんなで占えるようにするための基本的な解説をする場として始めたのですが、最近は解説の部分が長くなり過ぎで、却って読みづらいかもしれないので、最初に日本語訳を置くスタイルに変えようか占って出たのがこれでした。
注釈も一部は解釈に取り入れることはあるし、解説を読まないとその微差がわからないような作品が多いので、あるいはより細かい解釈を足していることもあるので、解説と訳が近いほうがいい・訳だけ最初にあっても、それで占えるわけではないのでむしろ不調和な感じになる、だと思います(なので、書き方は変えてない)。