本文(巽之大壮)
乗車七百、以明文德。践土葵丘、斉晋受福。
注釈
詳兌之剥。(巽為風から雷天大壮へ)
兌から剥になるときに詳しく書いてます。
本文(兌之剥)
乗輿八百、以明文德。践土葵丘、斉晋受福。
注釈
詳巽之大壮。
巽から大壮になるときに詳しく書いてます。
日本語訳
乗車(くるま)は七百が来て、文德を明らかにする。践土と葵丘では、斉晋が福を受ける。
解説
注釈がなびり合うような形になっているので、独自解釈でいきます。
まず、践土と葵丘なのですが、践土は斉の桓公・葵丘は晋の文公が、諸侯を集めて会合を開いた地名です(斉の桓公・晋の文公はいずれも春秋時代の大諸侯)。それゆえ盟主となって、斉と晋は福を受けるということなのですが、「乗車七百」と「乗輿八百」はほとんど意味は同じで、周りの諸侯がたくさん会合にやってきたり、礼物を持ってきた様子です。
そうすると、何故これが巽から大壮、あるいは兌から剥なのかという話になります。まず、巽は謙遜の姿、大壮は天上で雷が騒ぐように威々赫々たる姿なので、初めは穏やかに始まって事を行い、しだいに「礼にあらざれば弗履(行わないけど)」大きい力を持っているようになります。
一方、兌は「説以先民、民忘其労。説以犯難、民忘其死(悦ばせるのに民を先にすれば、民はその労を忘れ、説ばせてのちに難しいことをさせれば、民はその死死を忘れる)」とあるように喜びを民にまずは与える様子、剥は「上以厚下安宅(上のものは下の者に厚く恵みを施して、その宅に安んじさせる)」ようにして、自らの力が衰えても穏やかなままにすることです。
たぶんだけど、この践土・葵丘の会はそれぞれ斉の桓公・晋の文公の治世の晩年にあったものなので(それ以外にも小さい会合はあちこちで何度も行われていた)、剥は秋の終わりのような暮年の様子だとすると、まわりに恩恵を与えた兌のときから、剥になってみずからの世が終わっても……のように、秩序を残していくことだと思います。
占例
昔、それなりに色々と話していた人と、しだいに会うこともなくなっていったけど、その人といよいよ会うことが今後はまったくないので、最後に何か興味のありそうな本でも贈ろうか、それともほとんど会ってないのでやめるべきか聞いて、巽から大壮が出ている。
(おそらく、巽のような穏やかで遠回しな方法だけだと巽から観のようになるので)内面で思っていることを伝えるような、大きくて壮なことをする方がいいという意味です。