創作・エッセイ

困之大過

溝瀆不渫、銀泥溺溺。
鰍穴其宮、榭萊光溢。

溝瀆の渫せられずして、銀泥は溺溺。
鰍は其の宮に穴して、榭萊は光溢。

 急にどうした?って云われそうだけど、これは今日、家の裏にある用水路の泥をさらったことを書いた詩です(易林風に四言絶句にしてみた)。

 ここ数日、家の裏にある用水路(田んぼに水を入れるあれです)がものすごく臭いというか、家の中に居ても気になるほどだったので、別にうちは田んぼがあるわけではないのですが、勝手に水路を渫わせてもらって、そのときの様子を詩にするとこんな感じです。

 溝瀆は水路のこと、銀泥は銀色っぽく耀いている泥のこと(唐の李賀という詩人が作った表現だった気がする……)、鰍は泥鰌(泥を渫うとものすごい数の泥鰌が出てくる。水がないときは土に埋まって生きている感がある)、萊は草で榭は楼閣のことなので、泥鰌が泥の宮のなかに穴を作って住んでいることと、その上に楼台のごとく聳える草という縁語、光溢は水の淫淫とした感じと春の光がまぶしすぎる感じを混ぜた表現みたいなイメージです(解説するとくどいな……。解説しないと何云っているかわからない詩だけど)。

 ちなみに、泥を渫ったら臭いはしなくなったのですが、その様子を易林で占ってみるとどうなるのかということで、出た卦は困之大過です。

 これを易林で読んでみると、こんな感じです。

雷行相逐、無有休息。戦於平陸、為夷所覆。
雷行して相逐し、休息する無し。平陸に戦い、夷に覆される。

 雷行は雷のごとく行くこと、それゆえあちこち逐い回して休む暇もなく、平陸は何もない広いところ(東南部の夷が住む地のイメージ?)、夷に覆されるは攻めていって敗けることです。

 あと、沢水困から沢風大過は、困の三爻が変わるときと同じなので、爻辞も読んでいきます。

六三:困于石、據于蒺蔾。入于其宮、不見其妻。凶。
石に困り、蒺蔾に據(のる)。其の宮に入りて、其の妻を見ない(ように)、凶。

 困の六三は、上爻とは応じておらず、陰爻なのに陽の位にいるのでみずから動こうとする。でもすぐ上の四爻と比することを望んでも、四爻は初爻と応じているので入れず(上に石があって止められているようで)、二爻は陽爻なので乗れるものでもなく(蒺蔾の実は棘があるので、下には蒺蔾があると、據ることもできず)、その助けを得られないことは宮に入ってその妻がいないように凶、という意味です。

 沢水困は、沢(水辺)の下に水が入って、上では涸れているように困ることなので、その困っている中でも、とりわけ石に阻まれ蒺蔾の棘に悩まされてどっちにも行けず……という様子です(あるいは用水路にくずれたアスファルトの破片がごろごろしていて、これが泥を堰き止めるものになっていた感もあるので、もしかすると「石に困る」はこれかもしれないし、泥に根を張っている草が多く生えていたので、水と泥は蒺蔾のような草に據っている、とも読めそうです)。

 さらに象意からも読んでみると、沢水困は真勢中州先生の生卦法でみれば、易位生卦でみていくと水沢節(沢の上に水があって、ほどよい形に収まっている)の内卦沢が上に来ていると沢水困になっているとも読めるので、用水路(沢)の中に水がほどよい形に入っていた水沢節から、用水路の底が上がって(内卦の沢が外卦に来て)、水が泥の下に入っている沢水困になっているという感じでしょうか。

 それが大過(大きい水の流れが木々を押し流していく)になると、既に困で水が足りてないのに大過したいときには勢いが足りず、水が弱り切っているので、「(今までは)雷行して相逐して、休まずに流れていたけれど(少しずつ泥が溜まってきて)、平らなところで夷と戦って、敗れて覆される」ということだと思います。

 辞で読んでも、象で読んでも、易林で読んでもそれっぽい卦がでている例としてかなり不思議な気がします(あと、易林はけっこう飛躍した比喩を使っていることが改めてわかった感がある。今思ったけど、「平陸に戦う」は勢いが落ちているのに関わらず、平地に大軍を敷いて大過したいけどできない様子かもです)。

 どうでもいいですが、易林の記事の下書き。とにかく汚い……。

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ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています