創作・エッセイ

尾瀬の雷

  尾瀬の雨
茫茫雲夢澤、碧羅千里敷。
俶然秋雨来、霈霈溢枯壺。

茫々たる雲夢の澤、碧羅 千里に敷す。
俶然(たちまち)にして秋雨来たれば、霈々として枯壺に溢す。

 今年の七月終わり頃に尾瀬に行ったのですが、その時の様子を詠んだ五言絶句です。最近、雨が降って多くの澤がつながっていく様子を書いた詩を読んだので、そのついでに上げてみます。

 この尾瀬旅行は、一日で20kmほど歩くというなかなか魅力的なものだったのですが(ふだん動かないわりに全く平気だった)、尾瀬って湿原に入るまでに3kmほどの木道・木段を下ったり歩いたりするのがかなり長い上に、午後の二時を過ぎると忽ち天気が悪くなってきて、雷も鳴り始めて隠れる場所はないし、湿原の中には木もほとんどないという、人生でもっとも死を身近に感じた日でした(ここで雷に打たれて死ぬ覚悟をした)。

 尾瀬はそのときの印象ですが、小さい池塘はあちこちにあって、それぞれが微妙に違う植物を生やしていたり、泥炭の地下でつながっていて互いにゆるゆると水を遣り取りしていたり、あるいはどこからか川に流れ込んで遠くの瀑に落ちていったりと、晩清の王闓運の「方廣寺至黒沙潭作」にいう「峡渓はただ一源にして、灘瀑は百でも窮らず」の様子を思わせるのですが、『周易』でいう沢地萃・水地比のことを思い出すのもありだと思います(何がありなのか……)。

 萃から比になるときのことを書いたのですが、それぞれに分かれていた水たまりが急に降ってきた雨で、尾瀬の湿原は微妙に傾きがあるようで、ふだんは黒っぽい土になっているところにも雨が降ると川ができる、さらさらとした平らな瀧のようになるという様子で書いていて、その風景は雨や雷、雰氳とした霧、遠くに霞む至仏山など、もはやほとんど死と隣り合わせの古い世のような、束の間の異界でした。木道は尾瀬の順路に沿って整えられているのですが、濡れているときに転ぶと、その下には水の増した霈々として流れる大きな川が広がっているようで、さらにそれぞれの沼に潜んでいた水の霊たち、魚や龍たちが争って往来するようなざわめきすらみえるようなのですが、あの感触は『易林』や『周易』を読むときに、象徴が芸術や絵・詩のようにみえる一つの記憶だったかも(もちろん、それだけではないが)と思います。

 天文と人文のつながりが本当はどのようなものだったかは知らないけど、こんな不思議なことを感じる時間が一生のうちにあったことが不思議だと思います。たぶん、伏羲の頃の人はみんなこんなに怖い思いに晒されていたのでしょうが……(もう一度味わいたい気もするけど、狙って行くと死ぬので次回は未定です)

  昔遊詩 其三
緬曠尾瀬原、百草紛瑟瑟。
碧綺敷蘭水、青琱披錦色。
行行灘浦續、迤迤澄泥湿。
徙倚顧清塘、彷徨臨岸側。
杳然霈雨至、龍魚喜洄潏。
淟濁如結轖、羅鱗兮媢嫉。
涸沼連無倪、湛湛盈淵室。
穿薄畏霄霆、褰裳蹈川礫。
川澌流復聚、潭潭八溟凓。
昔游難以期、大瀑沕且沕。

緬曠たる尾瀬の原、百草 紛として瑟瑟たり。
碧綺は蘭水に敷かれ、青琱は錦色を披く。
行き行きては灘浦續き、迤迤として澄泥湿り
徙倚として清塘を顧みれば、彷徨して岸側に臨む。
杳然として霈雨至り、龍魚 洄潏を喜ぶ。
淟濁として轖を結ぶ如く、羅鱗にして媢嫉す。
涸沼は連りて倪(限)りなく、湛湛として淵室を盈たす。
薄(茂み)を穿(抜)けては霄霆を畏れ、裳を褰(あ)げては川礫を蹈む。
川澌流れて復た聚まり、潭潭は八溟に凓たり。
昔游は以て期し難く、大瀑は沕(濁りて)且に沕(濁りたり)。

ABOUT ME
ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています