占例

32-48  恒之井・30-16  離之豫・27-36  頤之明夷

本文(恒之井)

五岳四瀆、合潤為德。行不失理、民頼恩福。

注釈

伏艮為山嶽、巽卦数五、故曰五嶽。坎為江河、巽後天数四、故曰四瀆。坎為合、為潤、為衆、故曰民伏。震為恩福。(雷風恒から水風井へ)

井の裏卦の互体の艮は山嶽(説卦伝)、巽の数は五(乾兌離震巽……)なので、五嶽という。坎は江河(坎は水)、巽の後天八卦の数は四(東南)なので、四瀆(四つの大きい川)という。坎は合(水が合流する?)、潤う(水)、衆(出典不明)なので、民は伏するという(民頼恩福のこと)。震は恩福(迭象の福)。

本文(離之豫)

五岳四瀆、潤洽為德。行不失理、民頼恩福。(注釈なし。離為火から雷地豫へ)

本文(頤之明夷)

五岳四瀆、潤洽為德。行不失理、民頼恩福。

注釈

震為山、坎為五、故曰五嶽。震卦数四、坤坎皆為水、故曰四瀆、曰潤洽。『淮南子』「河潤百里。」坤為理、為民。(山雷頤から地火明夷)

震は山(出典不明)、坎は五(納甲説では坎が戊にあたり、戊は十干で五つめ)なので、五嶽という。震の数は四(乾兌離震……)、坤・坎(明夷の互体)はどちらも水(坤は迭象で水)なので、四瀆・潤洽(潤いが広がる)という。『淮南子』氾論訓に「赤地三年而不絶流、澤及百里而潤草木者、唯江・河也(地が赤く焼けること三年にして流れが絶えず、恵みは百里に及んで草木を潤すのは、江河だけ)」とある。坤は理(説卦伝の文:模様から派生して、複雑な模様の中にある一種の理りのこと?)・民(乾の君から派生)。

日本語訳

五岳と四瀆は、潤い合わさって德を為す。行いて理を失わず、民は恩福に頼る。

解説

五岳は泰山・華山・衡山・恒山・嵩山、四瀆は江・河・淮・済(長江は江、黄河は河)です。どちらも古くは帝王の祭祀で重んじられていたのですが、それらを祀って天地の安寧なるを願えば、それに応えるように山河の徳は人々を守るという詩です。

というわけで、それぞれの卦によって雰囲気にどのような違いがあるのか見ていくのですが、まずは恒から井のときから。恒は雷が上、風が下で、激しい動きの雷に柔かく風が従う様子なので、それが井になると井戸を枯らさないように丁寧に使う様子だとすると、国の興ったばかりのときから安定期に入っていく様子を思わせます。

離から豫だと、離はきらびやかな文化、豫だと「利建侯行師。……雷出地奮、豫。先王以作楽崇德、殷薦之上帝、以配祖考。(諸侯を置くのに善く、兵も動かせる。……雷が地から出て躍っているのが、豫(みなゆったりと和している様子)。先王は楽を作って德を崇め、殷(大いに)その曲を上帝に薦め、そうして祖考(祖先の霊たち)を配して祀る)」のように咲く花の匂うが如く今盛りなる様子で、天地山川の神を祀るにも向いていそうなときです。

最後に頤から明夷なのですが、頤は君が下の者にどのようなことを重んじるかを示す卦で、明夷はやや変則的な解釈ですが「明入地中、明夷。君子以蒞衆、用晦而明。(明が地中に入っていることが、明夷。君子は民に臨むとき、晦さを用いて明となる)」に依っているらしいです。

明夷はふつう、日が沈んだ後のように暗いものが覆い尽くしたときみたいな意味なのですが、ここでは敢えて晦いことによって本当の明を民に示すという意味でも読んでいます。喩えとしては『老子』六十五章が近いと思っていて

古之善為道者、非以明民、將以愚之。民之難治、以其智多。故以智治国、国之賊。不以智治国、国之福。知此両者亦稽式。常知𥡴式、是謂玄德。玄德深矣、遠矣、與物反矣、然後乃至大順。

古の善く道を得た人は、民を明にさせず、これを愚かにさせていた。民の治め難いのは、その智が多いためであり、それ故智によって国を治めるのは、国の賊であり、智によらずして国を治めるのは、国の福なのだ。この二つはまた稽式(顧みるべき法)なのを知る。常に𥡴式を知っているのは、これを玄德(深い徳)という。玄德は深く、遠いもので、物とともに帰っていき、そうして後に大いに順(治まる)。

のように、民があれこれ賢しいことをしないようにぼんやりとしながらも穏やかに生きていけるような世を昔の王は作っていたという考えです。頤(賢い人を養う)から明夷(ぼんやり穏やかに過ごしても大丈夫)だと、落ち着いた世ではぼんやり生きられて、そのような時は山川の鬼神たちも害を為さずに人々を守るように穏やかという意味が近い気がします。

そんな感じで、恒から井だと勢いのある草創期から安定期、離から豫だと文化が整ってゆったりとすべてが靡くような美しい都のような華やかさ、頤から明夷だと察々とせずにぼんやりしていても安心できるようにしていくとき、いずれも山川の神たちが徳を一つにしているかのようにする様子が通じてます。

占例

この詩は、別の卦だけど過去の占例で二回も出てきたことがあるので、個人的に思い入れが深い詩です。古代的な雄渾さと嫋やかさの同居しているような雰囲気が美しいです。

まずは恒之井のときなのですが、去年の12月頃にブログを書きたい、書きたいことは多くあるのに書いている時間がない、下書き(手書きでコピー用紙にまとめたメモ)ばかり溜まって苛々する……みたいな時期があって、どうすればいいか占ったときにこの詩が出ています。おそらく、今は書き始めたばかりだから気が急いているけど、次第に安定期に入っていくという意味です(実際、その後はほどほどに落ち着いています)。

つぎに頤之明夷なのですが、これは二月に行ってみたい美術館の展示が多すぎて、一日に二件回るか、あるいはそれぞれ日を分けるか占ったときに出ています。過去に二件回ったこともあったけど、二件目はかなり見るのが雑になっていた(一件目で感覚を使い果たした)ことを思い出して日を分けました。詩の意味としては時間配分とか色々細かいことを考えるより、ぼんやりとその雰囲気を楽しむように(明夷)するほうがいいという感じですね。この歌占と周易が混ざった感じ、とても面白いです。

ABOUT ME
ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています