霊山のいろいろ

5-4  需之蒙・14-20  大有之観・21-48  噬嗑之井・33-33  遯之遯・36-51  明夷之震

本文(需之蒙・大有之観)

三塗五岳、陽城太室。神明所伏、獨無兵革。

注釈

丁云「『左伝』昭四年「四嶽三塗、陽城太室、九州之険。」注皆山名。正反艮、故山多、震為神明、坎為伏、艮為兵刃、為膚革、坤虚、故無。(水天需から山水蒙へ)

丁晏『易林釋文』にいう「『左伝』昭公四年に「四嶽三塗、陽城太室は、九州の険」とある。注では皆な山名としている。需・蒙では上下で艮の一部が幾つもあるので、山は多い。蒙の互体震は神明(出典不明)、坎は伏する、艮は兵刃(迭象の刀剣)、膚と革(外を蔽うもの)、蒙の互体坤は虚(純陰)なので、無。

詳需之蒙。(火天大有から風地観へ)
需から蒙になるときに詳しく書いてます。

本文(噬嗑之井)

陽城太室、神明所息。仁智之居、獨無兵革。

注釈

詳需之蒙。伏震為仁、坎為智。(火雷噬嗑から水風井へ)
需から蒙になるときに詳しく書いてます。井の裏卦の震は仁(震は東、仁も五行の木なので東)、坎は智(坎は北、智も五行の水なので北)。

本文(遯之遯)

三塗五岳、陽城太室。神明所保、獨無兵革。

注釈

艮為径、納丙、数三、故曰三塗。艮為山、互巽、卦数五、故曰五嶽。三塗、五岳、太室、皆山名。陽城、谷名、艮為谷也。乾為神明、為保佑、乾数無、故曰獨無兵革。艮為刀兵、為膚革。(天山遯から天山遯へ)

艮は小径(説卦伝)、納甲説では丙になって、丙は十干の三つめなので、三塗(塗は道)。艮は山で、遯の互体巽は五つ目の卦(乾兌離震巽……)、なので五嶽。三塗・五岳・太室は、いずれも皆な山名。陽城は、谷の名で、艮は谷をあらわす。乾は神明(出典不明)、保佑(守ること、出典不明)、乾の数は無(出典不明)なので、「獨無兵革」という。艮は刀兵(迭象の刀剣)、膚と革(外を蔽う)。

本文(明夷之震)

三塗五獄,陽城太室。神明所扶,獨無丘革。(丘は兵の誤字)

注釈

詳需之蒙。(地火明夷から震為雷へ)
需から蒙になるときに詳しく書いてます。

日本語訳

三塗・五岳・陽城・太室は、神明の伏(居る)ところ、獨り兵革なし。

解説

なんとなくの印象ですが、天山遯のままのときはこの詩の意味に近いらしいので、遯竄することらしいです。

『左伝』昭公四年の記事は

四嶽三塗、陽城大室、荊山中南、九州之険也。
四嶽・三塗・陽城・太室・荊山・中南は、九州の険。

のようになっています。四嶽は東の泰山・西の華山・南の衡山・北の恒山のこと、三塗山は河南省洛陽市の山、陽城は河南省滎陽市の山、太室山は嵩山の一峰のこと(嵩山を中岳とすると、さきの四岳とあわせて五岳になる)荊山は湖北省南漳市の山、中南山は終南山ともいって陝西省咸陽市あたりの山(ほとんど山脈)です。

ちなみに中国の山は、たとえば衡山は長さ38km・幅17km、泰山は東西200km・南北50km、終南山に至っては東西230km・幅は最大55km(最も狭くても15km)というように、とにかく横に大きいです(高さは2000m前後ですが)。

この連綿として数百里に亘って続く山は、全体で「~山」と呼ばれていて、その中に幾つもの峰や谷が絡み合っているというのが近いのですが、その山の中に遯竄(かくれる)様子は「神明の伏するところに居て、そこだけは兵革(兵乱)もない」という感じです。

その感覚で読んでみると、大有から観は、大有:君子の以て悪を遏(遮り)善を揚げ、天の休命(大命)に順う様子から、観:(祭儀で)盥(手を洗っても)不薦(供え物をしないように)、信は有って顒若(厳然としていてもその姿は見えない)ように身を引いている様子、

噬嗑から井では、噬嗑:罰を明らかにして法を敕(飾り)、(それでも仁智は罰せられず)井:邑を改めても井を改めないようにそのまま残ること、

明夷から震では、明夷:(日が沈んだ後のように)大難を蒙って麻のごとく乱れているときに、震:震来虩虩たりて、威は百里を驚かすけれど、匕鬯(祭りの酒器)を喪わないように生き残ることです。

需から蒙はちょっとわかりづらいですが、需:君子は以て飲食宴楽して、穏やかな世の大恵の施されるときに、山の中では蒙:山の下に険が有って、険しさに止められて入って来られずに、蒙(知らないまま)というように、先の世の兵乱を避けて、妻子邑人を率いてこの絶境に入りて、再び出ず、秦を知らず漢を知らず……という感じだと思います。

なんとなく全体的に隠田集落みのある雰囲気だと思っていれば近い気がしています(大有から観だけは少し違うかもですが)。

余談

中岳嵩山には太室山と少室山という二つの峰(峰のまとまりというのが近くて、それぞれ三十六峰を擁する)があります。

太室山は昔、禹の正妃が住んでいた山とされていて(室:妻)、少室山は禹の次妃の住んでいた山です。ちなみに少室山には、実際に金の宣宋がモンゴルに攻められて逃げ込んだという話もあります。

あと、面白いのはたぶん地方の伝承みたいなものなのですが(さらにネット情報なのですが)、太室山はもともと伏羲・女媧の住んでいた山で、この山から世界は始まったという信仰があって、世界を作る遊びに疲れた女媧はそのまま太室山の上で横になって眠っている(太室山巓睡女媧)という話で、これがとても面白いので訳してみます(ちょっと危ないサイトかもしれないので、リンクは貼れないです……。「太室山巓睡女媧」で調べると出てきます)

太室山の上はゆったりと丸みを帯びた形で(「太室は臥龍のごとく、少室は鳳舞の如し」と云われる)、玉女の寝ている姿にみえるのだが、これは人々から「眠り美人」「女媧睡像」「天女睡姿」などといわれている。

さて、『淮南子』覧冥訓には「往古之時、四極廢、九州裂、天不兼覆、地不周載、火爁炎而不滅、水浩洋而不息、猛獣食顓民、鷙鳥攫老弱、於是女媧煉五色石以補蒼天、断鼇足以立四極。殺黒龍以済冀州、積蘆灰以止淫水。(往古の時、四方の極は頽れ、九州は裂けて、天は覆い尽くせず、地は物を載せられず、火焔は燃え盛って消えず、水は浩洋として止まず、猛獣は民を食らい、鷙鳥は老弱なものを攫っていたので、女媧は五色の石を煉って天を補い、大亀の足を切って四方の極に立てて、黒龍を殺して中国の土を済い、蘆の灰を積んで溢れる水を止めた)」とあるが、これは世に通っている言である。

伝え聞くには、古くは顓頊と共工が争ったときに、共工は「この世を取れぬものなら、貴様のものでもなくしてやろう」と叫ぶと、天を支える柱に頭をぶつけてそれを折ってしまい、天は傾き地は歪んで、斜めになったところには水があふれるようになった。

そんなとき、嵩山のある洞窟には女媧と伏羲という兄弟が住んでいた。彼らはいつも山で柴刈りにいっていたが、あるとき川の側に来ると万年の寿を経たクサガメに出会った。クサガメは翁に姿を変えて「天が傾き、地が歪み、世界は滅びるだろう」といったので、二人は半ば信じ切れずにいたが、まもなく天が黒々とした雲を湧かせて、地がずるずると傾き始めたので、クサガメは彼ら二人を甲羅の中に入れてしまうと、三年間甲羅の中で過ごさせ、天地が元に戻るのを待っていた。

女媧は三年も甲羅の中にいるのは我慢できずに、クサガメに出してもらうように頼んでいたが、クサガメは許さなかった。ついには伏羲と女媧のふたりは泣き始めたので、クサガメは仕方なく外に出してあげたが、そこではただ水が広がっているだけで、天にはいくつもの裂け目があった。

女媧は伏羲の上に乗ると、獣の筋と獣骨の針で天の裂け目を縫ったが、天にはいくつもの穴があいていたので、今度は天の炎を取ってきて、それを使って五色の石を数年かけて練り上げると、それで天の穴を塞いだ。女媧の天の穴塞ぎは東南から始まったのだが、西北に至るころには五色の石を使い切ってしまい、しかも雨が降ってきてしまったので、ただ、西北だけはまだ穴が塞がっておらず、このままでは滝のような水が地上に流れてしまうことになると焦り、仕方なく地上に転がっていた大きい冰の塊を投げ入れて穴を塞いでしまった。そのため、今でもその冰の塊があるせいで、西北の雷雨は雪を帯びているのだという。

天を直したのちは、今度は蘆の灰を瓢箪に詰めて、あちこちに灰を撒きながら洪水を鎮めていったが、そうしているうちに天地もまた元に戻ってきて、植物なども生えるようになった。(民間の伝説では、禹の治水は女媧を継いだ第二の治水事業とされている)

そうして女媧は一通り天地を整えていったが、自分たちの他にはまったく人がいない状況をとても寂しく感じていると、天から突然一羽の神鳥が訪れて、ふたりで夫婦になって人類を育てるように云っていった。女媧と伏羲はそれを聞いて恥ずかしくなり、兄弟で結婚するなんて……と思ったが、それより他に方法も思いつかなかった。

そこで二人はいい方法を思いついた。まず思いついたのは「燃火婚」というもので、ふたりで別々に起こした火を一つにするというものだった。さらに思いついたのは「石婚」というもので、嵩山の北にある雪花山の石をそれぞれ磨き上げて、一つに重ねるというもので、芦の葉を結んで扇にして目を隠して飾った(少室山には今でも男女の神を吻しているような石があって、「人祖石」と呼ばれている)。

そのようにした後は、土を捏ねて人を作り、男も女もいたが、その中にはきれいにできたもの同士、うまくできなかったもの同士をまとめて置いておいた。そうして100日が経ったのち、捏ね上げた泥の人は地に満ちていたが、このとき雨が降ってきそうになったので、女媧は竹かごに泥の人形を入れて運んでいたが、最初はきれいに一体一体洞内に運んでいても、しだいに多すぎてぐちゃぐちゃと置いてしまうようになって、さっき捏ね上げたばかりの泥人はつぶされて形が歪んでしまい、さらにきれいにできたものとそうでないものが混ざってしまい、そのまま生きた人になってしまった。それゆえ、人はきれいにできていたり、歪んでいたり、雨に濡らされていたりするのだという。

このようにして一通り人間が地に満ちるほど増えたあとには、女媧はそれをみて喜んでいたが、世界を作ることにかなり疲れてもいたので、太室山の上に横になるとそのまま現在まで眠っているといい、なので「太室山の上には女媧が睡ている」という。

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ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています