霊山のいろいろ

45-8  萃之比

本文

德施流行、利之四郷。雨師灑道、風伯逐殃。巡狩封禅、以告成功。

注釈

詳益之復。(沢地萃から水地比へ)

益が復になるときと同じなので、それを載せます。

震為德、為行、卦数四。坤為郷、故曰四郷。坤為師、為水、故曰雨師。坤為風、震為伯、故曰風伯。『独断』云「雨師畢星、風伯箕星也。」古者天下太平、天子必巡狩四方、封太山、禅梁父。震為言、故曰以告成功。(風雷益から地雷復へ)

震(萃の伏卦の互体?)は德(出典不明)、行く(動くから連想)、数は四(乾兌離震……)。坤は郷(地から連想)なので、あわせて「四郷(四方の郷)」という。

坤は師(出典不明)、水(迭象から連想)なので、「雨師(雨の神)」。坤は風(迭象)、震は伯(長子)なので「風伯(風の神)」。蔡邕『独断』に「雨師は畢宿で、風伯は箕宿。」という。古くは天下が太平になると、天子は必ず四方を巡狩(視察)し、泰山で封(天を祀り)、梁父山で禅(地を祀った)。震は言葉(迭象の口から連想?)なので、「功を成したのを告げる」という。

日本語訳

德は施され流れ行き、四方(よも)の郷を利す。雨師は道を灑(清め)、風伯は殃いを逐い、巡狩しては封禅し、以て功を成すを告げる。

解説

(震をかなり重く読んでいる解釈はさすがに無理がありそうなのですが)、これは益之復の詩と同じなので、それと近い意味になりそうです。さらに、萃の四爻だけが変わっているので、もしかすると爻辞に近い内容かもしれないです。

萃は水たまりの多い土地で聚まるの意で、その爻辞は

九四:大吉。無咎。
大いに吉で、咎もない。

という何とも言えないものなのですが、萃の四番目の爻は陽で、下にある多くの陰に拠っているので、居る場所は正しくないが(陽の爻は偶数の場所にいてはいけない)、大きいことを成す様子です。

つづいて、比は輔と同じで、横並(比)びで助け合うように、地の上にある多くの水がつながりあっていることです。そのような様子だと、遠くのほうで不寧(やすらかでない)者もやってきて、後(遅)れると凶(よくな)いと云って、多くの人が横並(比)びで助け合うようになる。

これをもとの詩に重ねてみると、多くの陰に拠っている陽というのは「德施流行、利之四郷」のように居る場所は正しくなくても、「雨師灑道、風伯逐殃」という大きいことを成しては、巡狩(地方を視察)すれば寧(穏やか)でない者もやってきて、封禅(天と地を祀り)しては功を成したことを告げる、という流れでも読めます。

ちなみに、益之復ではもっと穏やかに春の陽気が育っていくような様子を描いていたのですが、この萃之比ではもっと荒々しいものを一時挟みながら安定していくこと、――きっと小さい池塘の並んでいる尾瀬の湿原に、ざっと激しい雨が通り過ぎればいくつもの池塘どうしはさらさらと繋がって大きい一つの湖のようになって、北のほうにある大きい瀧からざらざらと今までよりも激しく落ちていくようにして尾瀬の全体がさらに潤うことを書いています(たぶん)。

余談

封禅は『史記』五帝本紀などにみえる祭儀で、泰山で天を祀り、その近くのやや小さい梁父山で地を祀るのですが、泰山は東の山(東岳)・衡山は南岳・華山は西岳・恒山は北岳・嵩山は中岳として五岳(五つの大きい霊山)になってます。

この霊山は、それぞれ微妙に信仰の性格が違っていて、西岳華山は西(金)の粛殺の作用と結びついて、東岳泰山は東(木)の成長と結びついたりしています。ちなみに南岳衡山は火のような炫耀、北岳常山は水のように深い険艱、中岳嵩山は土のように安定した中心という信仰や伝承が多いと思います。

ちなみに、このときの風伯・雨師は、幸田露伴『運命』の一節によく似た描写があって、後半は少し『易林』の詩から外れますが、水の澎湃としてあふれ出す様子は近いです。

事態は既に決裂せり。燕王は道衍を召して、将に大事を挙げんとす。
天耶、時耶、燕王の胸中颶母(ばいぼ)まさに動いて、黒雲飛ばんと欲し、張玉、朱能等の猛将梟雄、眼底紫電閃いて、雷火発せんとす。燕府を挙って殺気陰森たるに際し、天も亦応ぜるか、時抑(そも)至れるか、颷風暴雨卒然として大に起りぬ。蓬々として始まり、号々として怒り、奔騰狂転せる風は、沛然として至り、澎然として瀉ぎ、猛打乱撃するの雨と伴なって、乾坤を震撼し、樹石を動盪しぬ。燕王の宮殿堅牢ならざるにあらざるも、風雨の力大にして、高閣の簷瓦吹かれて空に飄り、砉然として地に堕ちて粉砕したり。大事を挙げんとするに臨みて、これ何の兆ぞ。さすがの燕王も心に之を悪みて色懌ばず、風声雨声、竹折るる声、樹裂くる声、物凄じき天地を睥睨して、惨として隻語無く、王の左右もまた粛として言わず。時に道衍少しも驚かず、あな喜ばしの祥兆や、と白す。本より此の異僧道衍は、死生禍福の岐に惑うが如き未達の者にはあらず、膽に毛も生いたるべき不敵の逸物なれば、さきに燕王を勧めて事を起さしめんとしける時、燕王、彼は天子なり、民心の彼に向うを奈何、とありけるに、昂然として答えて、臣は天道を知る、何ぞ民心を論ぜん、と云いけるほどの豪傑なり。されども風雨簷瓦を堕とす。時に取っての祥とも覚えられぬを、あな喜ばしの祥兆といえるは、余りに強言に聞えければ、燕王も堪えかねて、和尚何というぞや、いずくにか祥兆たるを得る、と口を突いてそぞろぎ罵る。道衍騒がず、殿下聞しめさずや、飛龍天に在れば、従うに風雨を以てすと申す、瓦墜ちて砕けぬ、これ黄屋に易るべきのみ、と泰然として対えければ、王も頓に眉を開いて悦び、衆将も皆どよめき立って勇みぬ。彼の邦の制、天子の屋は、葺くに黄瓦を以てす、旧瓦は用無し、まさに黄なるに易るべし、といえる道衍が一語は、時に取っての活人剣、燕王宮中の士気をして、勃然凛然糾々然、直にまさに天下を呑まんとするの勢をなさしめぬ。(幸田露伴『運命』)

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ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています