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易林の詩について

 このブログでは、半年以上かけて書いたり書かなかったりをしながら、易林の詩をいろいろと読んでいたのですが、最近になってひと通り易林の詩はどういうふうに書かれているかなんとなく思っていることが溜まってきたので、(個人的な読み方ですが)それについて書いてみます。

易林の注釈

 まず、易林の詩については一応注釈が幾つかあります。今のところ、見たことがあるのはこの二つだけなのですが

清・丁晏『易林釈文
民国・尚秉和『焦氏易林注

まず、丁晏の『易林釈文』はすべての詩に注釈をつけているわけではないのですが、易林の詩の中に出てくる語彙の出典や字の意味などを書いています。これはこれで大事なのですが、詩全体でどういう意味かという面はあまり触れて書いてくれないです。

 尚秉和の『焦氏易林注』は、この記事で載せた『周易集解』(唐の李鼎祚が、漢~唐の象数易系の諸家の説をまとめた注釈。互体や似体なども使って『周易』の辞を解釈していく読み方)に似ているのですが、これはときどき易林の詩がなぜこのような表現になっているのかを説明できていない例があったりします。

 たとえば、

家在海隅、橈短深流。伯氏難行、無木以趨。(萃之師
家在海隅、繞旋深流。王孫單行、無妄以趨。(蠱之蒙

のような詩があって、第二句の「短」と「繞」、第三句の「伯氏」と「王孫」、第四句の「木」と「妄」がそれぞれ異なっています(易林の詩は重複しつつ一部が異なるという例がかなりある)。尚秉和の注では萃之師のほうでは「蠱之蒙に詳しく書いてある」というふうにしていて、蠱之蒙を読んでみると、「伯氏」「木」については何も書かれてなくて、なぜ微妙に違うのかがわからない……みたいになっています。

 さらに重複している例をみていくと

華首山頭、仙道所游。利以居止、長無咎憂。(謙之井・臨之頤)
華首山頭、仙道所游。利以居止、常無咎憂。(未済之賁)

のような詩では、第四句が微妙に異なるだけですが(あまり意味に関わらない違いだと思う)、未済之賁の注で「臨之頤に詳しく書いてある」となっていて、「咎憂」については「地沢臨の坤は憂(純陰の気持ちは憂い)、山雷頤の震は楽しむ(雷の如く飛ぶような気持ち)なので「長く咎憂なし」みたいに書いてます。

 でも、謙之井では「水風井の坎は憂(凹んだ気持ち。説卦伝にある)」と解していて、「長く咎憂なし」の「無」については何も書いていなかったりと、これで読むのはけっこう難しいときがあります。

(あと、焦贛は孟喜・京房の系譜のように『漢書』儒林伝にあるので、易林も五行易かも……という読みもありかもですが、五行易は占う日や内容によって、同じ卦でもかなり吉凶が変わるので、詩で解釈を書くというのはかなり難しいかもです、五行易に詳しくないので話半分に聞いてもらえればと思いますが……。)

易林の詩はでたらめ?

 というわけで、易林はもしかすると尚秉和の注釈とは違う読み方をするのかも……となってきますが、そもそも易林の詩は意味があるのかという話になりそうなので、それについて幾つかみておきます(もしかすると易林はただの出鱈目な詩らしいものを並べただけだったり……という場合は、たぶん読めないので)。

 これについては

華首山頭、仙道所游。利以居止、長無咎憂。(謙之井・臨之頤)
華首山頭、仙道所游。利以居止、常無咎憂。(未済之賁)

華山の首頭(頂き)、仙道(神仙)の游ぶところで、居て止まるに利(良)く、常に咎・憂もなし。

晨風文翰、大舉就温。昧過我邑、羿無所得。(大過之豫・大壮之震・夬之蠱・巽之大過……)
晨風文翰の、大挙して温(茂み)に就(向かう)。昧くして我が邑を過ぎ、羿は得るところが無い。

をみていると、華山の詩はどちらかというと静かな卦どうしが並んでいて(華山は陝西省にある霊山で、とても険しくて人が陟れないほどなので、その巓には神仙が遊ぶという民間伝承がある)、晨風文翰の詩はかなり大きい動きのある卦が並んでいます(晨風という鳥は、雄は鸇(セン・このり)、雌は鷂(ヨウ・はいたか)というふうに呼び方が変わる猛禽類、文翰は模様の美しい雉らしいです。羿は弓の名手で、天を昧くして飛ぶ雄邁な鳥を羿は射ることができない……という詩です)。

 あるいは、小畜之晋では

牛驥同槽、郭氏以亡。國破空虛、君奔走逃。
牛と名馬は槽(餌桶)を同じくして、郭氏は亡び、国は破れて空虛(むなしく)、君は奔り逃げる。

という詩が出てくるのですが、この詩はどうやら

昔、斉の桓公は野に遊びに行って、滅んだ国の古い街で「郭氏の墟」というのを見つけた。近くの野にいた人に「これは何の墟(街の跡)なのか?」と聞く。
野の人は「これは郭氏の墟です。」と云い、桓公は「郭氏はどうして墟だけになっているのか?」と問う。
野の人は「郭氏は善いことを善いと云って、悪いことを悪いと云っていたからです。」と云い、桓公は「善いことを善い、悪いことを悪いというのは、人として善いことなのに滅んで墟になっているのは何故か?」と聞く。
野の人は「善いことを善いと云っても行わず、悪いことを悪いと云っても去(除)かなかったので、墟になったのです。」と答える。
桓公は帰ってきて管仲にそのことを話すと、管仲は「その野の人は誰だったのですか?」と聞き、桓公は「知らない」というと、管仲に「君もまた郭氏ですね。」と云われて、桓公はその野の人を招いて(もてなした)。(劉向『新序』雑事四)

と似ていて、晋は臣が用いられる様子としているので、さきの話の中で「善いことを善いと云っても行わず、悪いことを悪いと云っても除かなかった」のは人の用い方についての話だったりと、詩の内容と卦の意味はそれなりに関係がありそうです。

易の解釈いろいろ

 そんな感じで、どうやら易林の詩は卦の意味とそれなりに繋がりがあるらしくて、重複していたり、字が少し違ったりするのも全くの出鱈目ではなく、何か意味を含ませているらしいことは何となく感じられます。

 でも、どのような解釈で詩が作られたかはわからないのですが、最近遊びながら書いてみた記事で、蘇軾の易の解釈で易林を読んでみる……というのがあるのですが、これが意外と近いらしいです。

 まず、易の読み方は

・大象伝的なもの(内卦と外卦の組み合わせで読むもの。「天と地が交らないのが否」などの解釈)
・彖伝的なもの(爻の陰陽の配置で読むもの。「姤は遇うこと、柔が剛に遇う」などのように読む)
・より渾沌としたもの(『周易集解』で噬嗑について「この卦は否卦にもとづく。否の九五が分かれて、初六と入れかわるように下り、否の初六は分かれて九五と入れかわるように上る。これが剛柔の分れるということ。分れれば雷(鳴る雷)は下に動き、電(光る雷)は上に耀くので、合わせて天威を成し、故に「雷電は合して章らか」という」などのように、陰陽の配置などをより複雑に読む。やや無秩序な面もある。尚秉和の易林解釈はこれに近い)

などがあるのですが(詳しくはこの記事に書いています)、たとえば易林の詩で

德施流行、利之四郷。雨師灑道、風伯逐殃。巡狩封禅、以告成功。(萃之比
德は施され流れ行き、四方(よも)の郷を利す。雨師は道を灑(清め)、風伯は殃いを逐い、巡狩しては封禅し、以て功を成すを告げる。

のような作品があって、これを大象伝的に読んでみると

萃:水たまりが横に並ぶように聚まっている
比:地の上にある多くの水が一つにつながりあっている

みたいになっていて、つなげてみると小さい池塘がたくさん並んでいるところに雨が降って来て、分かれていた池塘どうしが大きく一つになるようにつながって大きい湖になる様子が、「風伯雨師の力も借りて四方を利して徳は広がり、霊山をめぐって祀ったりする」ことに重なるみたいな解釈になります。

 なので、元はあちこちに分かれていた池塘が一つにつながる(萃:聚まる、比:親しむ)みたいに読めばそれっぽく見えなくもないけど、蘇軾の読み方(『東坡易伝』に依ります。すべてではないけど、蘇軾は爻の関係で卦を解釈することが多いので、『東坡易伝』は彖伝的な注釈です)では、こんな感じです。

萃:爻から萃の卦をみてみると、九五は六二を聚め、九四は初六を聚める。また六三は九四に近くて応じている爻はないので、九四は六三を聚めることになり、上六は九五に近くて応じていないので、九五は上六を聚めることになる。これは互いに争う姿に似ている。(萃は六二・九五・上六側と初六・六三・九四側の二派が争う様子という読み方)

比:五陰は皆な九五に比(親しむ)ことを求めている。(比は分立していた勢力がなくなって、すべての陰が九五に聚まっている様子)

のようになっていて、より易林の詩に近い感じが出ている気がします。

 もう一つ例をみてみると

庭燎夜明、追古傷今。陽弱不制、陰雄生戻。(剥之大有
庭燎は夜に明るく、古を追って今を傷む。陽は弱くして制せられず、陰は熾んにして不祥を生む。

の詩では、大象伝的に読むと

剥:山が崩れていくような、晩秋の夕暮れのような時間
大有:たくさん持っている

なので、衰世廃世の宴で、夜に庭燎(にわび)を焚いて妖しい祭祀をしたりいつまでも遊ぶ様子みたいになりそうですが、これも蘇軾の解釈だと

剥:もはや群陰たちを寵さない訳にはいかず、それ故その害が少ないことを択んで寵している。……宮人(宮女)の寵によって寵愛して、政事には関わらないので、政事に関わらなければ、自ら安らかなだけでなく、その群陰たちも安らか。(剥は多くの陰が陽を削っていく様子で、後宮のような実際のことに関わらないところに引き入れる様子)

大有:多くの陽の間に居て、一人だけ陰柔の気なのは、無備の甚しいもの。その無備な故によって周りのものは一つの陰を信じるので、それに帰する者は交如(互いに集まり交わるごとく)になる。この柔にして威もある者は、何故なのかと云えば、備えないことによって、餘り有ることを知るためで、そもそも備えは不足から生まれるので、不足していることが外にあらわれてしまい、そのせいで威が削がれる。(大有は六五を除いてすべてが陽爻なので、熾んに動いている周りの陽爻の中で、一人だけ陰爻が静かにしているのは無備なこと甚しいけど、それ故に周りのものたちに信ぜられる……という様子)

のようになっていて、群陰たちを宮中に引き入れたのはいいけれど、備えのないまま群陰たちを熾んにしてしまい、頽廃的な宴の楽しみは「庭燎は夜に明るく、古を追って今を傷む」ような気持ちになる……という意味になって、易の解釈そのものに宮廷の雰囲気がそもそも含まれていたりします。

 なので、すべてが蘇軾と同じだったわけではないと思うけど、焦贛が易林を作るときはどうやら『東坡易伝』や彖伝のように爻の陰陽の関係性で、卦の意味を解釈していたらしいと思えてきます。

蘇氏易林

 というわけで、易林は蘇軾の読み方にわりと近いかもしれない(蘇軾以外にも彖伝的な注釈はあって、清・王夫之『周易内伝』などはそれに含まれます)という話になってきたのですが、この読み方だと重複する詩・変爻がひとつだけのときを書いた詩もそれなりに読める気がします。

 まず、重複がある例では

德施流行、利之四郷。雨師灑道、風伯逐殃。巡狩封禅、以告成功。
德は施され流れ行き、四方(よも)の郷を利す。雨師は道を灑(清め)、風伯は殃いを逐い、巡狩しては封禅し、以て功を成すを告げる。

萃之比:萃(六二・九五・上六側と初六・六三・九四側の二派が争う様子)から比(五陰はすべて九五に聚まっている様子)

益之復:益(初~三爻は臣、四~上爻は王公で、一時的に臣に何かを与えて大きいことをしてもらって、王公はその功によって上帝を祀る様子)から復(初九が少しずつ勢を取り戻しつつあって、他の陰爻たちが喜んで従ったり、嫌々従ったり、まだ従わなかったりしている様子)

華首山頭、仙道所游。利以居止、長無咎憂。
華山の首頭(頂き)、仙道(神仙)の游ぶところで、居て止まるに利(良)く、長く咎憂もなし。

未済之賁:未済(だらだらのろのろとお互いに力を蓄めたり様子を見たり、鬱勃たる力を蓄えていたり、力を蓄めていて機会を逃していたりと、まだ色々と整わない様子)から賁(お互いに飾り合ったり、飾られても受け取らなかったりしている様子)

謙之井:謙(お互いに譲り合っていて、その中で六五だけ少し出ている感じはあるけど、やはり謙気味なことには変わらない、何かあれば侵伐するときに動くけど……みたいな雰囲気)から井(井戸の水を枯らさないように汚さないように養う様子)

臨之頤:臨(なるべく静かに争わずに臨むだけで感応したり静かに従っていくこと)から頤(養ってくれるものに皆で従っていく様子)

のようになっていて、それぞれ

萃之比:内部で幾つかに割れていても、いずれ大きく一つになっていく様子
益之復:臣を養うことで、勢いを少しずつ取り戻していく様子

未済之賁:お互いに渡る前のいろいろな用意をしていて、そのうち飾り合うばかりになっていく様子
謙之井:お互いに譲り合っていて、そのまま静かに養い合う様子
臨之頤:臨むだけですんなりと従ったり感応して、大きいものに養われている様子

みたいになると、ひとつめの詩は「次第次第に勢いを取り戻したものが、ついには四方を巡狩して泰山で封禅するほど」、ふたつめの詩は「人々がおのおの生きている様子を華山の頂から傍観している神仙」という意味では通じています。

 ちなみに、微妙に字が違う詩でも

衆鳥所翔、中有大怪。九身無頭、魂驚魄去。不可以居。
多くの鳥が翔んでいく中、大きく怪しいのがいる。九身にして頭無く、魂は驚き魄は去って、居ることもできないほど。

漸之蒙:漸(初六は六二、六二は九三or九五、九三は六四、六四は九五、九五は上九を慕い、さらに九五には六二と六四がいてどちらかを選び……という雰囲気で、紛然糾然として飛んでいる鴻の群れ)から蒙(分かるまで放っておく・置いておくというもやもやした不穏さと仄めかし)

衆鬼瓦聚、中有大怪。九身無頭、魂驚魄去、不可以居。
多くの鬼が瓦聚して、その中に大怪あり。九身にして頭無く、みれば魂は驚き魄は去り、居られない。

否之同人:否(内は陰にして外は陽、内は柔にして外は剛、内は小人にして外は君子、小人の道は長じて、君子の道は消える様子)から同人(六二はどことなく『水滸伝』の梁山泊みたいな雰囲気、九五は傾きかけた王家、九三は地方の奸臣で、義賊(六二)を引き入れようとしていて、さらに私兵を養い私財を蓄えて王家を窺窬して未だ兵を動かさず、九四は地方の大軍閥だけど、まだ機会が来ないのでとりあえず帰った様子みたいになって、六二と九五は主役・九三と九四は脇役・初九と上九は「同人」劇の雰囲気を醸している群小勢力)

のようになっていて、ひとつめの詩は「多くの鴻が飛び交いながら姿を隠しあって、中に何か怪しいものがいるようにみえる様子」、ふたつめの詩は「衰乱の世に瓦聚する鬼のような義賊たち」みたいな意味になるので、微妙に字が異なるものは、卦の意味から出ているらしいことが感じられます。

 さらに、変爻がひとつだけのときは、本卦と之卦の関係を変爻の爻辞があらわしている感があって、たとえば先にあげた萃之比では、変爻は四爻だけなのですが、爻辞は

九四:大吉、無咎。
大いに吉、咎なし。

のようになっていて、萃は「位も内実もあって人を大禄で聚めている九五には六二・上六が従っていて、やや僭している大軍閥のような九四には初六・六三が従っていて、その二派にわかれている」という卦です。九四は「大いに吉(だと、地方の大軍閥は九五のためにみずからの率いる初六・六三とともに九五を援けるので)咎はない」みたいな意味に蘇軾は読んでいて、そうすると地方の大軍閥(九四)も王(九五)のほうに聚まって来るので、萃の分立感は比になって一つにつながる水のようになって……という間の様子が「大吉、無咎」です。

 別の詩でも、変爻がひとつだけの例をみてみます。

皇陛九重、絶不可登。謂天蓋高、未見王公。
皇の宮陛は九重にして、絶していて登れない。天蓋の高さを謂って、王公にはまだ会えない。

坤之師:坤(みずから動かずに用いられて、それでいて内に蔵するようにしている様子)から師(隠れて動く兵たち)

 この詩では、坤の六二だけが変わるので、その爻辞を読んでみると

六二:直・方・大、不習、無不利。
直・方・大(「陰爻が二にいるのは、柔と云える。六二は順の至り、理に循って私がないので、それが動けば直にして、中に居るので直からさらに方となり、既に直にして方なので、さらに大でもある」と蘇軾は云っている)、習わずして、利のないものはない。

のようになっていて、隠れて動く兵たちはふだんは用いられるのを待って、いざ動くときには無私にして、習っていないことでも隠々晦々としながらも理に循っていて、それでいて九重の皇陛は登れないほど高く、王公に会うこともない……みたいな様子になります。

 こんな感じで、易林の詩はそれぞれの卦の意味を、六つの爻の関係性でみていて、ある卦から別の卦になる様子は、六つの爻の関係性がどのように変わったかでみているらしいです。その様子を詩であらわしたのが易林だとすると、易林の詩は一種の爻辞(六つの爻の関係がどのように変わるかを書いた辞)みたいに云えるかもです。

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ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています