真勢中州

存々成務   易の楕円的な折衷

 この記事では、真勢中州の病筮をまとめた『存々成務』という占例集について書いてみます。

 真勢中州は江戸時代の易学家として有名で、その技法には生卦法爻卦法などが知られていますが、『存々成務』ではその二つとは少し違う体系があるらしくて、従来あまり解説もされていないので、この記事でかなり長めに書いていきます。

漢方(中医学)の理論

 まず、この占例集は病筮についてなので、当時の日本で行われていた漢方(或いは中医学。厳密には別のものらしいけど、今の漢方の本はほとんど中医学の理論で説明が入っていたりするので、無理に分けるほうが難しい)のおおまかな理論から書いていきます。

 まず、漢方では、人間の体内では「気・血・水」の三つがあるとしています。すごくざっくりいうと、気は生きるエネルギー、血は身体を流れて栄養を届けるもの、水は水分です。

 そして、それぞれが過剰になって澱んだり、足りなくなって涸れていたりすると病気になる、としています。なので、気が過剰だったり、水が不足したり……というふうに病気の原因はそれぞれ異なります(これら幾つかを兼ねていることもあります)。

気滞:気が過剰になっている(エネルギーの鬱滞)
気虚:気が足りていない(エネルギーの欠乏)
瘀血:血が過剰で澱んでいる(血のめぐりが悪い)
血虚:血が足りていない
水毒:水が過剰で澱んでいる(むくみなど。痰湿ともいう)
陰虚:水が足りていない(身体が乾いている)

 さらに、漢方では臓器を五行とかさねて解釈していて、その対応はこんな感じです。

肝、胆:木(土を剋す)
心:火(金を剋す)
脾、胃:土(水を剋す)
肺:金(木を剋す)
腎:水(火を剋す)

 まぁ、厳密にはもっと細かく色々な機能があるのですが、この記事は真勢中州の占筮についての紹介なので、本格的に知りたい方は漢方・中医学のサイトなどを読んでもらえると……と思います。

 そして、これらの五行に配分された臓器の働きのバランスが崩れると、気・血・水の滞りor不足が起こって病気になる……という構造らしいです(最近知ったので、かなり解説が浅いけど)

いびつな易学

 というわけでなのですが、真勢中州は『存々成務』の第一巻で、このような理論を紹介しています。

 乾は気(実体のない生命エネルギー)、坤は血(実体のある重いもの)をあらわしている。健康な身体は、地天泰(気血がめぐり合う様子)であらわされる。

 もっとも、老年の人は、気(生命エネルギー)がやや少なくなっているので、地沢臨(泰の三爻が陰になったもの)で健康な状態をあらわすこともある。そして、病を治すときは、それぞれの卦から、どうにかして地天泰or地沢臨に戻る方法をさがしていくことになる。

 また、老いた人には天地否(気血のめぐりが悪い)が通常の状態になったり、老女の身体では坤為地(大陰)が通常の状態になっていることもある。

 易の八卦の五行は、臓器の五行と重ねられる。震は木で真東なので肝(木の臓器の正)、巽は木で東南なので胆(木の臓器の副)、離は火なので心、艮は土なので脾・胃、兌は金なので肺、坎は水なので腎になる。(乾は金、坤は土だけど、気血の意味も兼ねているので臓器の配分からは外している)

 さらに例外的な意味はいろいろ書いてあるのですが、基本的な原則はこういう感じらしいです(占例の中では、これに合わない例のほうが多いのですが、それはこれからみていきます)。

 尤も、これだけみても「気・血・水が漢方では基本になっているのに、水を入れていないのは変なのでは……?」「全部がこれだけで占えるの……?」という疑問が出てきそうですが……。

(個人的には、今の時代では病気のことを占いに頼るより、まずは病院に行った方がいいと思うし、『存々成務』で紹介されている薬も、現代とはかなり違うものになっているから、この占例がそのまま活かせるとは思ってないけど、易が他のものと不思議な形で折衷している様子が魅力的だと思って紹介します)

基本的な占例(変則的八卦)

 まずは基本的な例を載せてみます(実際は上にあげたルール以外もふつうに入っている例なのですが……。『存々成務』を読んでみると、基本的なルールに依っている例のほうが少ない笑)

  坤之師
 この人は元々無病の身体だったので、坤(陰の気だけで静かな様子)であらわされていた。そんなとき、一つの陽爻の毒が腰の辺り(二爻)に入ってきて、地水師の坎(痛み、冷たい)になった。薬は小建中湯(胃や身体が弱っているのを建てなおす薬)を用いる。(同書巻二 坤より)

 この占例では、下卦の坤が坎になった様子を、何事もない静かな状態(坤)から、毒を含んだ状態(坎)になった、と読んでいます。真勢中州は、上に書いた“水毒(痰湿ともいう。腐敗した水分が身体に溜まった状態)”をすべて「坎」であらわしています。

 そして、坎の中心にある一つの陽爻が、どんなときもその坎(水毒)を作っている原因として、その陽爻を除いて無事な状態に戻すことを基本的な治療としていることが多いです。

 もう一つ、それなりに基本的な例をみてみます。

  大過之坎
 これは寒疝(疝:下腹部の痛み)。沢風大過の巽は木なので、肝の積気(積:癪気のこと。胸腹の痛みの病気)。兌は止まった水なので、留飲。さらに、沢風大過は、初爻に陰、二~五爻に陽、上爻は陰なので、全体として大きい坎になっている。(同書において、坎は水毒と読むことが多いです)

 之卦は二つの坎が重なっているもの。坎は水毒(余分な水分が滀まっていること)。肝経(肝は木、木は巽)に水毒が掩うように纏っているので、身体は冷えて寒症となっている。薬は三才湯(籠った熱を消していく薬)を用いる。(『存々成務』巻三 大過より)

 肝経とは、肝の働きとかかわっている経絡(気の通り路)です。そこに幾重にも坎(水毒)がまとわりついているような卦が出ているので、澱んだ水分が身体の中に滀まっている様子としています。兌は留飲(ねばねばとした痰のようなもの、逆流する胃液)です。

 いずれにしても、余分な水分が溜まり過ぎていて、それが肝経(巽)のまわりに幾つもある……という状況になっているとしています。

 というわけで、かなり基本的な例をみてみただけでも、始めに書いたようなルールに基づいて解釈している例のほうが少ない感じはあります。特に気になるのは、真勢中州は何かと「坎」の卦を探すような読み方をしていて、“坎は水毒(余分な水分)”として、その水分が滀まって澱ませているところを流せば、病も治る……という流れがすごく多いです。

 さらに、小成卦ごとの意味が固定されているのも独特な気がします。たとえば、坎だったら水毒・冷え・腎、これから出てくる例では離だと熱、震だと肝・驚き、巽だと本来は胆だけど肝もふくめて表す、艮・坤はどちらも五行が土なので脾胃、兌は肺・粘りつく痰……みたいな感じです。

 この変則的な八卦の象意を組み合わせて、真勢流特有の爻卦法を入れている例を一ついきます。

  観之漸
 ある人の老父が、日頃から酒を好んでいたが、夜に寝るときになると必ず首から肩、さらには肘にかけてが引き攣るように痛んでいた。そして、次の日の朝になると痛みは消えていることがつづいた。その治方を問うて観之漸がでた。

 風地観は全体としてみると、大きい艮(初~四爻が陰、五・上爻が陽)になっている。これはもともとは健康な脾胃(五行の土の臓器)だったが、三爻が陽になったことで、脾胃の中に坎(下互)の毒がある様子にかさなる。この坎は、酒の毒が滀まっていること。

 さらに、爻卦をみていくと、初・二爻に兌がある。兌は澱んだ水なので、脾胃(大きい艮)の中に酒の毒が鬱滞している様子のこと。変爻の三爻は、坎(酒の毒)の主爻なので、この毒を除けば、もとの大艮(風地観)に戻って、脾胃も回復する。薬は三才湯(籠った熱を消す薬)を用いる。(『存々成務』巻二 観より)

 この例では、もともとの風地観が全体では大きい艮になっていて、艮は脾胃(土の臓器)なので、その中に坎ができて漸になった……と読んでいます。『存々成務』の曲者なところとして、爻卦が全部載せられていない占例がかなり多いところがあって、この例でも初~三爻までしか載ってないです。

 でも、漢方的に病因のことを占うときは、八卦の象意で病気にかかわるものは大体、坎は水毒、兌は粘っこい痰、五行の土の卦は脾胃……みたいな配分から大きく外れることはない、という感じが伝わってきます。なので、今回も話の流れから、坎があればおそらく酒、爻卦の兌は止水なので痰……のように読んでいます。

 あと、真勢中州は『存々成務』巻一で「熱(離)が表にあれば、その裏にはかならず寒(坎)があり、表に寒(坎)があれば、その裏にはかならず熱(離)がある」といっているので、大過之坎・観之漸の占例で、坎(寒)が多いのに三才湯(籠った熱を消す薬)を用いているのは、坎の裏にはかならず離(熱)があるから……という意味だと思います(この辺、俄かなので間違っているかも笑)

 もっとも、これはまだ分かりやすい例なので、ここからさらに奇怪な体系性がみられる例も載せていきます。

隣卦、あるいは類卦

 真勢中州の易占を語る上でかならず出てくるのが生卦法です。生卦法は、占って出てきた卦から一部状況が変わるとどんな卦になるのか(さらには、その結果としてどうなるか)を、爻の陰陽や卦の配置などを変えることで読んでいく……という技法です。

『存々成務』の中にも生卦法が出てくるのですが、これがちょっと独特な生卦法なので、その例をみていきます。

  訟之比
 ある人が、近年頻りに身体が肥満してきて、歩くことも難しく、長く座っていることもできないようになって、占ってみると訟之比が出た。

 これは、天水訟から水地比という組み合わせになっている。本卦の天水訟は、乾(気)が上に留まって「否している様子」之卦の水地比は、坤(血)が下に滞っている様子、さらに本卦も之卦も坎(毒)を含んでいるので、全体としてみると「天地否(気血不順)の間に坎(毒)がある」様子。この読み方は“通体生卦”という。

 薬としては、附子(血のめぐりを良くする)と大黄(排便をうながす)をもちいて坎毒を出していき、そのあとに降気剤で天地否から地天泰になるまで気を落ち着かせれば、しだいに元に戻っていく。(『存々成務』巻二 訟より)

 ……まず、独特だと思うのは、“乾(気)が上に留まって「否している様子」”という部分で、上に乾(気)が溜まっている様子を「否している」と読んでいます。これは天地否が、上に乾、下に坤があって互いに混ざらない状態になっていることに依ってます。

 そして、いわゆる真勢流の生卦法の中にも「通体生卦(幾つかの卦を通して見ることで、別の卦を生み出す)」という技法はあまり書かれている印象がないです。

 ちなみに、この通体生卦で出てきた卦は、やはり天地否だったりします。(……これを読んでいると、とりあえず何でも天地否につなげている感がしてきます笑)坎が毒……というところについては、既に書いたので略しますが、坎は天地否が何重にも出てくる流れの中に入っている、という読み方をしています。

 もう一つ、天地否とつながる生卦法の例をみていきます。

  訟之巽
 三十二歳くらいのものが、四~五年くらい前から癪気(胸腹の痛み)強くして、気が頭に上るような感じがあり、さらに症状が重いときには息が短くなって喋れないほどだった。ここ一、二年は、ずっと臥しているというわけではないが、身体が痩せて弱り、とても苦しんでいたので、その治し方を問うて訟之巽が出た。

 これは大肝癪(肝は気を采配しているが、その采配が上手くできなくなっていること。癪は胸腹の臓器の病で、それが肝に出ているので肝癪らしい)。

 天水訟の乾は気、坎は血のこと。乾の気は上っていて、坎の血は下って流れが滞っているので、天水訟は気血不順の様子

 さらに、之卦の巽はふたつの巽(巽は木、木の臓器は肝)が重なっているので、これが大肝癪になっている。訟の下卦坎は“冷え切って縮まっている様子”、巽は長いものなので筋とすると、「筋が縮まって上手く話せない」になる。薬は三才湯(籠った熱を冷ます薬)をもちいる。(『存々成務』巻二 訟より)

 個人的に、最後のほうにあった「坎は縮まる、巽は筋……」のところはいま一つ分からなかったけど、おそらく訟から巽という流れではなく、訟(気血不順)と巽(大肝癪)の並列なのかもです。もし訟と巽が横並びになっていれば、巽の筋を坎が曳いている……というのも読めるかもです。

 それよりも独特だったのは、坎を“血”と読んでいるところです。坎はいままでみてきたように、大体は水毒・酒……という読み方になっています。ですが、同書巻一で「坤の純陰(正常な血)が害われると、坎(毒)になる」とあって、ここでは天水訟を気血不順としているところから、天水訟は天地否の一種みたいになってそうです。

 天地否の二爻が変わると天水訟になって、坤(血)から坎(毒)になると、澱んだ血が毒になっているけど、もともとは天地否から派生したもの、という感じです。

 真勢中州は、病筮の基本理論として、地天泰を気血のめぐる様子、天地否を気血不順の様子としていますが、地天泰と天地否を中心にして易の卦をぼんやりと大きくグループ分けしているような印象があります。

 真勢流では、陰爻三つ陽爻三つの卦は、すべて地天泰・天地否から派生しているとする理論(交易生卦)がありますが、それと似ているような似ていないような……という印象です。

 もっとも、地天泰・天地否ではない卦から派生させているような例もあるので、今度はそれをみていきます。

  賁(変爻なし)
 二十歳ばかりの男がその病因を問うて、山火賁の変爻なしが出てきた。これは脾腎が弱っている病に、遺毒(先天的に受けた体質)が少し加わっているものらしい。

 この人はもともとの体質が弱い上に、房事が過ぎるゆえに腎の蓄えている精が涸れてしまい、(腎は五行の水なので)身体を冷ます水が足りなくなっている。下卦の離(熱)は、遺毒(もともと体質的にそなわっていた弱いところ)を煽動して、上卦の艮(脾胃)を焚いている。

 治し方としては、三才湯(籠った熱を冷ます)によって、下互の坎の主爻(三爻)を除いていけば、下卦の離(熱)も消えることになる。このようにして、山雷頤まで戻したら、今度は降気剤によって上爻まで上っている陽爻(乾の気が分かれたもの)を下げていって、地沢臨(先天的に気が少ない人の健康体)にまで戻せば治るだろう。(『存々成務』巻二 賁より)

 三才湯をもちいて坎の毒(裏には離の熱がある)を治すのは、もう既に書いたのでなんとなくわかると思いますが、いきなり「遺毒(先天的な体質による弱いところ)」が何故出てきたのかが不思議です。

 これはたぶんですが、『存々成務』巻一に

 蠱の卦は、梅毒・傷寒(急熱の病)・瘟疫(流行り病)・乱心・肝癪(肝の病)・腫物・遺毒・外邪(気候が原因の病気)・中風(脳卒中)などの意がことごとく含まれているので、蠱に出会ったら状況とあわせて読む。

 咸の卦は、傷寒・時疫(流行り病)・下痢・痘瘡(天然痘)・麻疹・梅毒などの症状がいろいろと含まれているので、状況にあわせて読み方を変える。

というふうに書いていて、もしかしてですが、山風蠱(遺毒)から山火賁(遺毒が脾胃を焚く)が派生した……という解釈なのかもです。

 地天泰と天地否は、乾坤をもとにしている卦なので重視されるのは何となくわかるけど、山風蠱(内側にぐずぐずと腐らせるものがある)・沢山咸(悪いものに罹る)が中心にある体系って、かなり独特だと思います。

 というわけで、この生卦法って、いわゆる真勢流の交易生卦、反覆生卦などとはちょっと違って、病筮独自の体系をもっている卦のグループをもとにした「隣卦(あるいは類卦)」みたいなものなのかもです(隣卦・類卦は造語です。同じグループ内で隣り合う卦or似ているタイプの卦みたいな意味。上に出した例でいうと、訟は否のグループに属する卦、賁は蠱のグループの卦です)

複雑で不規則な病筮

 そんなわけで、真勢中州の病筮は、実は病筮独自の体系が生まれつつあったのかも、ということを感じられる例を幾つか載せてみます(もっとも、ここまで書いてきた変則的な体系からも外れている例もかなり多いので、全部がこれで説明できるとは思わないけど……)。

  晋之噬嗑
 この病人はおそらく五、六年前に大いに驚くことがあったに違いない(この火地晋は、震為雷の運移生卦で陽爻を合計5回、上に動かして出来たものとする)。

 それ以来、のぼせ気味になって耳も聞こえず、言葉も上手く話せないということなのだろう。これは晋の上互の坎(五行の水)が耳になっていて、下卦の坤(五行の土)と絡むゆえに、水(耳)が土に剋されて耳が聞こえず、ということなのだろう。言葉も上手く話せないというのは、火地晋・火雷噬嗑ともに上卦が離(熱)になっていて、口が熱に乾かされているらしい。

 さらに、火雷噬嗑の下卦震(五行で木)は、肝(体内の気を采配する)をあらわしている。離(熱)が上に溜まっているときは、肝の送り出す気も上りがちになる。治方としては、降気剤をもちいる。さらには足三里・三陰交のツボに灸をすえるのも良い。(『存々成務』巻三 晋より)

 これはまず、なぜ突然“震”が出てくるのかが謎だと思いますが、さきにあげた例で「風地観を大きい艮として、艮は土なので、脾胃が正常な様子」というふうに読んでいたのがあったと思います。どうやら、それと同じく、病筮独自の体系で“大きい艮(脾胃)・大きい震(とても驚く)”などが病因としてあり得そうなものとして設定されているらしいです。

 なので、大きく分けていくと、この晋は震為雷から派生してきたもの、とされています(この辺は話を聞いたりするうちに予想していくのだろうけど)。そして、運移生卦で、上卦震の陽爻を二回、下卦震の陽爻を三回、上にむかって動かしていくと火地晋になります。

 運移生卦では、爻を一回動かすと時間が一区切りすると読むので、ここでは合計五回動かしているので「五、六年前」です。五~六年前に震だったものが、しだいしだいに気(陽爻)が上にのぼってきて晋になった、という感じです。

「のぼせ気味になって、上手く話せない……」のあたりは、あまり詳しくないので何とも云えないけど、治療法としての降気剤はのぼせている気を下げるという意味らしいです。さらに、足三里のツボは胃、三陰交のツボは肝・脾・腎に効いて、しかも二つとものぼせに効果があるらしいです。

 というわけで、これをみると震為雷(大いに驚く)が病筮の体系の中でかなり大きい扱いになっていて、やや変則的な易の体系がある感じがします(体系というほど整理されている感じはないかもですが)。

 もう一つ、爻卦法を用いている例を載せてみます。

  中孚之訟
 七十余歳の老人が、いままではとても健康だったのに、あるとき軽い熱病を患って、それ以来、食べ物が口を通らず、下痢が一日に十回以上もつづいて、さらに尿も多く出ていた。そうしているうちに、手足もやや冷たくなってきたので、その治方を問うて、中孚之訟が出た。

 爻卦は、上から順に艮艮坤離坎乾。さらに、風沢中孚の卦は、全体として大きい離になっている。離は熱なので、大離は大熱で熱病のこと。

(この読みは、三爻に爻卦離を配していることに依っている。大きい離としてみた場合、離の主爻は三・四爻になる。三爻は既にみたように爻卦離、四爻は爻卦坤だけど、互看法によって離とする。なので、全体では大きい熱になっていて、さらに主爻にも熱がたまっていることになる)

 之卦の訟は、天から雨が降っている様子なので、下痢が止まらないことに重なっている(中孚は大離で熱病、訟はそのあとの下痢)。

 老年の人の健康体は、少し気が損なわれた地沢臨であらわされるが、臨の五・上爻が変わると中孚になる。なので、熱病に罹ったときに五・上爻に異常があったとみるべきで、五・上爻はどちらも爻卦に艮を配していることをみると、艮は止めるなので、邪気を止めてしまっているのが原因らしい。

 薬としては、麻黄湯(流れが閉塞しているときに、身体を温めて汗を出させる)を用いれば、五・上爻の艮(塞いでいるもの)がなくなって、体内の熱も下痢と共に出てしまうだろう。(『存々成務』巻四 中孚より)

 これは地沢臨(老年の健康体)と大離(風沢中孚)が結びついている例です。病筮では、大体かかわってくるものとして坎の水毒or酒、離の熱、震の驚き、艮or坤の脾胃……のような象意に絞られているので、病筮独自の体系になっている感じはあります。

 そして、「互看法(互観法)」なのですが、“互”は参錯(互体、互文などの互)という意味で、今の日本語でいえば「互換法」でもいい気がします。この例では、三爻の爻卦は坤だけど、四爻に離があって、全体では大きい離になっていて、さらに三・四爻は大離の主爻なので、離の意味が文脈的に濃く出ているから離として読む、というものです。

 でも、「何故、ふつうに爻卦が離にならないの(何故、わざわざ分かりづらく爻卦坤が出てくるの)?」みたいな疑問があるかもですが、中孚(大離)から訟という変化をあらわす為には、三爻が変爻にならないといけないので、仕方なく三爻は坤になっているけど、卦の文脈的には離が幾重にも入っているから、離が混ざってきているものとして読んで……という意味らしいです。

 この互看法は、『存々成務』でも何度か出てくるのですが、こんな感じで用いられています。

 雷天大壮から雷沢帰妹になるとき、爻卦は上から巽巽艮乾艮艮。この人は大酒大食するというので、もともと坤為地(脾胃)の中に、雷天大壮の初~四爻の陽爻が入ってきたとする。四つの陽爻は艮(止まる)が多いので、胃の中に大酒大食がとどまっているとする。三爻の爻卦乾は、胃の中に留まっているものをあらわすので、本来は文脈的に艮の色を帯びているが、雷沢帰妹への変化を示すために乾になっている。(『存々成務』巻三 大壮より)

 天雷无妄から天火同人になるとき、爻卦は上から艮艮坎坤離震。五・上爻に艮があって、その下の四つの爻に、坎(毒)・離(熱)・震(肝の病)などが色々と入っている様子から、もともと大艮(風地観、脾胃のこと)だったけど、胃の中に色々な症状が入ってきているとする。坤については、互看法で坎(毒)とする。(『存々成務』巻二 无妄より)

 これをみると、爻卦の乾・坤については、乾が離or艮になったり、坤が坎になったり……という感じで、乾・坤は陰陽どちらの爻卦にも成れるらしいです……。個人的には、ひとつめの雷天大壮の例はわかるけど、ふたつめの天雷无妄の例は納得できないです(笑)

 ちなみに互看法の説明については『周易筮解』巻中に載っている解釈をもとに書いています(『存々成務』では、互看法の解説はされてないです)。

 もっとも、こういう特有の体系がありそうな占例だけでなく、もっと曖昧だったり、ふつうの易に似ている占例も載っています。

  旅之鼎
 この病人は危篤の人で、病人なのに火山旅の“旅”が出るというのは不吉なこと。さらに、之卦の鼎は“新たに作り変える”の意。生きている人を作り変えるというのは同じく不吉。(『存々成務』巻四 旅より)

 まぁ、色々書いたけど、漢方(中医学)と易の理論を無理やり重ねたような不思議な体系が、どことなく作られていくような、まだ未整理なような……という独特の占術がみえるような、みえないような『存々成務』です。易の語彙と漢方の体系って、そもそも陰陽とかは通じているけど、それ以外はかなり違うから、易で表現する方が難しそうですが……。

 でも、八卦の象意が文脈にあわせて殆ど固定されていたり、山風蠱や地沢臨などのもともとはあまり重視されない卦が重い役割になっていたり、占う内容によって卦のグループ感が変わったり……という易の解釈って、他ではあまり見ないものだから、すごく魅力的な感じもします(とてつもなく混沌としていて読むのが大変だけど笑。ちなみに、『存々成務』『周易筮解』の原文はこちらのサイトで検索すると読めます)

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ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています