おすすめ記事

真勢中州の爻卦法

 この記事では、江戸時代の周易の大家 真勢中州先生が生み出した「爻卦法」という技法について解説していきます(これもあまりネットで書いている人がいなかったので、本で読んだ程度の知識ですが、一応の解説として読んでもらえれば……という感じです。たぶん大きく間違ってはないと思いたいけど)。

 まず、爻卦法の雰囲気を理解するには筮法の種類を知っておくといいかもなので、なんとなく読んでもらえたらと思います(卦の出し方はとりあえず擲銭法でいきます)

いろいろな筮法

・六十四卦で占う

 六十四卦だけで占うスタイルです。変爻は使わないので、乾為天・水火既済などの64通りの状態をあらわす象徴で、物事のさまざまな面を読んでいきます。黄小娥先生がこの方法を使っています。

 卦の出し方としては、10円玉6枚で、表を陽・裏を陰として、たとえば下から順に陰陰陰・陽陽陰だったら沢地萃になります。

・六十四卦と一つの変爻で占う

 六十四卦をさらに六つに分けたうち、今はどの段階にあるか(あるいはどの部分に居るか)という方法で占います。変爻がたとえば沢水困の三爻にあれば「今は沢水困の三つ目の段階にある(あるいは三爻の役割に居る)」みたいになります(之卦も解釈に入れるけど、メインは変爻のところの爻辞になることが多いです。このスタイルは略筮法・三変筮とも呼ばれていて、高島嘉右衛門先生がよく使っています)。

 このときは10円玉5枚と100円玉1枚を使って、裏表の陰陽はさっきと同じですが、100円玉が出てきたところを変爻とします。たとえば、水天需の中で下から四つめに100円玉があったら、水天需の四爻ということで、需全体の意味や四爻の爻辞、さらには之卦の夬などを取り入れて読みます。

・変爻が複数ありえる六十四卦で占う

 さきの略筮法では変爻はかならず一つだけでしたが、変爻が複数ありえる(あるいは全くないこともある)方法で占うこともできます(古くは『春秋左氏伝』の占例などにも見える)。略筮法は之卦が六通りしかないのですが、この方法にすると「変爻が全くない~すべて変爻になる」など之卦がとても広がるのでより多彩な現象が出ます

 卦の立て方としては、10円玉3枚を使います。この3枚のうち、2枚が表だったら陽・2枚が裏だったら陰なのですが、3枚が表だったときは陽が極まっている・3枚が裏だったときは陰が極まっていると読みます。

 なので、極まっている陽はいずれ陰になって、極まっている陰はいずれ陽になるとして、それぞれの爻でも、まだまだ陰or陽で居続ける爻(少陰・少陽)と、近いうちに変爻として陰陽が反転する爻(老陰・老陽)ができます。

 10円玉3枚で爻を6回出したら、下から順に少陰・少陰・少陰・老陰・少陽・老陰の水地比になった場合、これは変爻が二つで、之卦になると天地否です。読み方は『左伝』みたいな古怪なもの真勢流の生卦、卦辞・爻辞(中国では『易経』を字謎的に用いているものも多い)、さらには断易などいろいろな解釈法がされています。

(このやり方を中筮法、あるいは六変筮と呼んでいます。ちなみに本筮法・十八変筮というのは、一つの爻を求めるのに十円玉一枚で三回裏表を出すようにして、それを六爻分するので、合計で十八回裏表を出すという感じで、中筮法で一つの爻を出す過程を三つに分けているみたいな感じです。なので、本質的には中筮法と同じだと思っていいです)

・六十四卦から六十四卦の移り変わりで占う

 これはあまり有名な筮法ではないのですが、ついでに書いておきます。始めに書いた六十四卦ひとつだけで占うときは之卦を使わないのですが、この方法ではさらにもう一つ六十四卦を出して、最初に出た卦から次に出た卦の間にどのような移り変わりがあったかで占います。

 これだと「中筮法と同じでは?」と思うかもですが、中筮法はなかなか変爻が出ないようになっている(確率として変爻が三つも四つも……というのは少ない)ので、もっと多彩な変化が出るようになります(たとえば、火雷噬嗑から地天泰みたいに変爻が四つというのは、中筮法だとほとんどないけど、この筮法だと自然に有り得ます)

 これは「四遍筮法」と呼ばれていて、紀藤元之介先生が使っていた筮法です(ちなみに『易林』はこれで占うとすごく楽しいです)。卦の読み方は、中筮法のときと同じでいろいろあるのですが、より多彩な変化があるという感じです。

爻卦法

 というわけで、爻卦法です。これは筮法としては中筮法と同じなのですが、3枚の10円玉をみていくときに下から順に並べるように広げます。そして

すべて表(老陽):乾
2枚裏・1枚表(少陽)
 下から順に表・裏・裏:震
 下から順に裏・表・裏:坎
 下から順に裏・裏・表:艮
2枚表・1枚裏(少陰)
 下から順に裏・表・表:巽
 下から順に表・裏・表:離
 下から順に表・表・裏:兌
すべて裏(老陰):坤

のようにして、一つの爻は老陽・少陽・少陰・老陰の四通りになって、さらに老陽の爻は乾、少陽の爻は震or坎or艮、少陰の爻は巽or離or兌、老陰の爻は坤という卦があてられます。
(ふつうに易をやっていると「?!」みたいな感じですが、爻は陰陽だけでなくてそれぞれが卦の性質も帯びているみたいな入れ子状の構造です)

 そのようにして一つの爻が出てきたら、さらにそれを六つまで出していきます。

 これはちょっと具体例がないとわかりづらいので、やや長くなりますが例をみていきます。

初爻を出すときは下から順に、表・裏・裏(初爻は震の性質を帯びた陽)
二爻を出すときは下から順に、裏・裏・表(二爻は艮の性質を帯びた陽)
三爻を出すときは下から順に、表・裏・裏(三爻は震の性質を帯びた陽)
四爻を出すときは下から順に、裏・裏・裏(四爻は坤の性質を帯びた陰。老陰なので之卦では陽)
五爻を出すときは下から順に、表・表・裏(五爻は兌の性質を帯びた陰)
上爻を出すときは下から順に、表・表・表(上爻は乾の性質を帯びた陽。老陽なので之卦では陰)

なので、全体としては下から順に、震艮震坤兌乾の性質を帯びている山天大畜、之卦は雷天大壮というふうになります(卦の中には爻があって、爻の中には卦があって……という感じです)

 この「震艮震坤兌乾」のような部分を「爻卦」(爻の中に含まれている卦)といいます。そして、山天大畜の中にある「震艮震坤兌乾」を解釈に取り入れていくのが「爻卦法」みたいな感じです。

 この技法を真勢中州の門人だった谷川龍山は「古人未發の妙法」のようにいっているのですが、その妙を幾つか載せてみます。

 まず、真勢中州の占例で爻卦法を用いているのは病筮がとりわけ多いです(今からみると病気のことを占いでどうにかするのは難しい気もするし、薬の種類が違いすぎてよくわからない面もありますが、爻卦法の使い方としてはすごく興味深いです)。

 というわけで『周易本筮指南』から二つほど病筮を。

 ある人が病筮を中州先生に頼んで、火雷噬嗑の不変爻を得た。爻卦は下から順に「震兌兌坎兌震」だった。中州先生の解して曰く

「この病は癪気が胸に逆上して熱が溜っている様子になる。震は癪気で、下から上がって来ようとする様子上卦の離は熱なので、胸のあたりに熱が溜っていることになるが、さらに噬嗑は食べ物を嚼むことなので、食べ物のせいでそうなっているらしい。

 食べ物(実のある物なので、陽爻)は四爻にあって、四爻はおよそ身体でいうと胃のあたり、さらに四爻の爻卦は坎(さらに四爻は、互体坎の中爻でもある)。初爻・上爻には震(縦恣さ)、二・三・五爻には兌(湿り気)を配しているので、坎は酒とその飲みすぎで起る冷え、兌は浸っていることなので、熱の原因は酒によって胸焼けで逆上する気ということになる。

 これを治すには解熱の薬ではなく、小建中湯(胃を助ける薬)・大黄附子(腸の冷えを取る)のがよい(そうすれば、火雷噬嗑の熱になっていた九四は、変為生卦で陰になって山雷頤になり、噬嗑の噴逆しながら噛んでいる様子ではなく、頤の穏やかに身を養う様子になる)」

 ある人が下痢を患って、数日経っても治らない。これを筮して山水蒙(爻卦は下から順に、離艮離離離艮)が出た。中州先生曰く

「山水蒙は、山から水が流れ下る様子なので下痢の意になる。三・四・五爻にすべて離があるというのは熱が強いこと、それに上下から艮が絡んでいるので熱を閉じ籠めている様子だろう。(『周易本筮指南』には書いてないですが、調べてみると暑さで水分が抜けると胃腸の働きが悪くなって、さらに水を飲んでも下痢になる……という例があるらしいです、詳しくないのですが。もっとも、この占例に季節がいつだったかは書いてないけど、水分が抜けるとそうなるというのは通じる気がします……)

 それを治すには、まず熱を溜めている艮(めぐりを悪くするもの)を除かねばならないので、麻黄湯(汗を出させる薬)を用いて体内のめぐりを良くする。そのあとに、水気が足りなくてドロドロしているもの(離)を流すために、真武湯(水分のめぐりを良くする)を飲めば、水がしっかりめぐるようになって、腸の働きも戻り、それゆえ下痢も治るだろう。」

 果たして、その通りにまずは麻黄湯をしばらく飲んでいると、ある夜に涊然(どろりと)大汗して熱は去り病は半ば治ったが、そこからさらに真武湯を飲むこと七日にして下痢も止まったという。

 これだけみても、かなり精微なところまで爻卦を用いて探っている感じがします。特に二つめの占例は、表向きは山水蒙で水気がだらだらと流れすぎている様子にみえたとしても、その内実は体内に熱がこもって、それが出て行かないせいで(腸の働きが悪くなって)それゆえ水分が吸収できずに下痢になる、というふうに卦が全体像、爻卦がその内にあるさまざまな原因などをあらわすようになってます。

 このようにみると、同じ山水蒙でも、湿潤空濛として水気にあふれている蒙もあれば、木が生えないほどむわっと暑くて、雨がふってもむわむわと水が溜まってしまい沁み込まない蒙もある、という感じでより細かい読み方ができるようになります。

 一つめの噬嗑の例でも、この噬嗑は表向きのむかむかと込み上げてくる熾んな様子は、実は酒の淫々溺々としたものがあちこちに溢れていて、それ故沈滞した中で震気が無理やり上がってくるようなぶつかり合いの噬嗑という感じです。

爻卦の配分

 爻卦法は、病筮以外では年筮(一年の運勢を占う)などにも使われているので、同じく『周易本筮指南』からその例を載せてみます。

 丙辰の年(1796年)、その年の豊作か否かを占って、天水訟の変爻なし、爻卦は下から順に「兌震兌震震震」を得た。これについて

初爻を1~2月、二爻を3~4月、三爻を5~6月と当てていくと、1月から6月までは兌が多いので雨が多いだろう。7月から12月は震なので晴れるだろう。

 爻卦をみていくと、上卦を東国(どちらかというと北日本)、内卦を西国(どちらかというと南日本)とすれば、東国は震なので草木がよく茂る象になって豊年だけど、西国は雨(兌)が多いので凶作だろう。米の価格は、年の初めは坎(落ち窪む)・兌(低い湿地)が多いので安いが、年の半ばから乾(高い天)・震(勢いよく育つ草木)なので高くなるだろう」

 果たしてその通りになった。

 これをみると、一年を六つの爻にわけて占ったり(あるいは内卦・外卦に分けたり)、東国と西国に分けて占ったりと、一つの卦の中にどのような質感が入っているか・偏っているかで占っているのが分かります。

 もっとも、この爻の分け方は決まったものではなく、『周易本筮指南』には

変爻がない場合には、1~2月を初爻、3~4月を二爻、……11~12月を上爻のようにしていく。そして、例えば1~2月のことを占うとき、全体で水雷屯の卦が出ていたら、初爻の陰陽を反転して1~2月は水地比、3~4月は二爻を反転して水沢節……のようにして読んでいく(そのとき、水雷屯は全体運みたいな感じになる)。

また、変爻があった場合、1月を本卦の初爻、2月を本卦の二爻として、それぞれ陰陽を反転させながら読んでいく(水雷屯が本卦だったら、1月は水地比、2月は水沢節……)。そして、7月は之卦の初爻、8月は之卦の二爻、9月は之卦の三爻……となって、それぞれ陰陽を反転させるので、たとえば之卦が水山蹇だった場合、7月は水火既済、8月は水風井……のようになる。もっとも、全体の運勢は水雷屯から水山蹇ということになる。

のようにあって、加藤大岳先生の『真勢易秘訣』では

 長期の運勢をより細かく読む方法として爻卦法を用いるとき、たとえば雷風恒(爻卦は下から巽震坎坎離坤)になったとき、陰陽の配置は下から順につぎのようになる(読みづらいので、○を陽、●を陰とします)。

●〇〇・〇●●・●〇●・●〇●・〇●〇・●●●

 これを18の爻が並んでいるとみて、初~三爻を内卦・二~四爻を外卦とする互卦を第一卦(ここでは天風姤)、二~四爻を内卦・三~五爻を外卦とする互卦を第二卦(沢天夬)、三~五爻を内卦・四~六爻を外卦とする互卦を第三卦(雷天大壮)、……十五~十七爻を内卦・十六~十八爻を外卦とする互卦を第十五卦(地雷復)のようにして、全体で十五の卦が出てくる。

 この十五の卦を、たとえば一生を90年とした場合は一卦六年ずつになり(さらに分けるとそれぞれの卦の初爻は一年目、二爻は二年目、……上爻は六年目みたいになる)、あるいは一卦を半年に当てて七年半の運勢をみたり(この場合は、十五個の卦の各爻は一ヶ月の運勢になる)、あるいは……というように、色々な分け方ができる。もっとも、一生の運勢を占うなどは、濫りに手を出すと害のほうが多いのだが……。

とあるように、応用の方法はさまざまにあるとされています(入れ子構造をさらに大きくして、卦の中に爻があって、爻の中に卦があって、その卦の中にも爻があり、卦のないところにも卦があって爻がある……というふうに、どこまでも複雑になっている)。

 このような読み方を含む爻卦法の占例として、『真勢易秘訣』から二つ引用してみます。

 播磨の国に一橋家(徳川御三家につぐ御三卿の一つで、高位の大名)の領地があり、その隣の領地とは川が境になっていたが、、大雨で川があふれたときに、一橋家領のものたちがみずからの領分を大きく広げてしまったので、隣の村のものたちは役人に訴えたが、各々話し合って終わらせるようにと云われ、取り合ってもらえない。

 もっとも、川の堤は治さないとなので、役人にそのことをいうと「それなら堤は元通りに作るように」といわれ、元通りに堤を作っていると、一橋家領のものっちに邪魔をされる。なので、もう一度役人に訴えると、また話し合って済ませるようにと云われ、話が進まない。このことを問われて占って、大畜之大有(爻卦は下から艮坎震坤巽艮)が出た。

「奉行所(役人)への訴えは四回まで諦めずに行うべきである。爻卦をみれば、初爻は艮・二爻は坎なので水山蹇(行き詰まる)だが、二爻の坎と三爻の震で雷水解(解けることあり)、三爻の震と四爻の坤で地雷復(どうにかなる兆しが出てきて)、四回目の訴えでは四爻の坤と五爻の巽で風地観(四つの陰が下からみていて、風が地上を行くように「先王は民を観て教えを設けて行きわたらせる」)になる。

 さらに、五爻は巽なので、上からの令が風に乗って行きわたることになり、本卦の山天大畜は押し留めていることだが、之卦の火天大有では上卦(奉行所)は艮(押し留める)から離(明るい)になるので、訴えは聞き入れられることになる。」

 このあと、占った通りに何度も訴えた末、奉行所が入ってくれたので、境界は元通りになった。

 京都の三条通りに松屋という玳瑁(ウミガメの甲羅のこと)の飾り物を扱う店があり、父を源七、養子は新助、さらに手伝いの者が一人いて、その三人であちこちの客を廻りながら飾り物を売っていた。この店では、朝に出かけるときには持っていく飾り物の数を調べて、帰ってきたときにも数を調べて……というふうにしていたが、あるとき忙しさのあまりそれも出来ない日が三日つづいて、四日目に調べてみると玳瑁の笄(棒状の簪のこと)が一つ足りないことがわかった。

 三日のうち、一日目は源七、二日目は新助、三日目は手伝いの者がそれぞれ客廻りに行っていたけれど、それぞれどこで失くしたか心当たりがないので、三日のうちどこで失くしたか、さらにその笄はどこにあるかを問われて、雷風恒(爻卦は下から離艮震坎巽離)を得た。 

「三日のそれぞれを爻卦にあててみると、一日目は初・二爻、二日目は三・四爻、三日目は五・上爻になるが、それぞれの日の爻卦を組み合わせてみると、一日目は山火賁(明るいものを内にとどめている様子)、三日目は火風鼎(明るいものに靡き従う様子)だが、二日目は水雷屯(狭く入り組んだ中に何かが動く様子)なので、どうやらこの日が怪しい。

 この笄が戻って来るかについては、雷風恒の不変なので、いつまでも常を得ているとして戻りそうではあるが、このまま何もしないでは変わらないので、何か方策を講じることになる。

 ところで、四爻の爻卦は坎なので、坎(入り組んで中が見えない険しさ)は偸ねて隠す様子にみえる。さらに、雷風恒は乾を坤が包んでいる包卦とみることができるので、乾(玳瑁の珠玉)を坤(婦人)が隠し持っている様子になる。

 その場所としては、四爻が外卦の初めにあるので外に出てすぐのところ外卦は震なので東、四爻が居るのは爻卦坎からやや北寄りのところ。もし、その辺りに客廻りにいって、笄などを幾つか家の奥にみせたときに、取り次ぎで行かせた侍婢が一つ隠したのだろう。その家にいって色々と話をしてみれば見つかるのではないか」

 この占に出た通りのことが思い当たったので、さっそくその家までいって、家の者たちに告げてもらったところ、店と奥の間(ま)の間辺りに落ちていたと(いう口実で)侍婢みずからが持ってきたという。

 二つめの占例は、ほとんど神技ですね……。

真勢中州の生卦法  この記事では江戸時代の周易の名人、真勢中州先生が独自に生み出した技法として知られている生卦法について解説してみます。(ネットであまり...

 ちなみに、爻卦を読むときには乾・坤の二つについては“互看法”という技法があるのですが、これについては別記事で紹介しています。

 参考文献
加藤大岳『真勢易秘訣』
谷川龍山『易学階梯附言』
谷川龍山『周易本筮指南』

ABOUT ME
ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています