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1-19 乾之臨

本文

南山昊天、刺政閔身。疾悲無辜、背憎為仇。

注釈

通遁。艮為南山。乾盈已正當夏日、故曰昊天。本象。坤為政、為身、為悲、為憎、故刺政憫身。艮為背也。南山昊天、皆小雅篇名、皆刺幽王而悲憫身世也。刺政、承南山而言、謂「赫赫師尹、不平謂何」也。閔身、承昊天言、謂若此無罪、熏胥以鋪也。(乾為天から地沢臨へ)

遁(乾之遯)に通じる。艮(天山遯の艮)は陝西省の終南山のこと。乾の盈ちている(乾為天)のは既にちょうど夏の日にあたるので、昊天(大きい空)といい、象意に基づいている。

坤は政事(出典不明。天に対して地上の人なので?)、身(同じく出典不明。天は魂・地は魄から?)、悲・憎(出典不明。陰の感情?)なので、政事を詰(なじ)って我が身を憐憫する。艮は背を向ける(出典不明。山の石に距てられている様子?)。

「南山」「昊天」は皆な小雅・節南山の句で、周の幽王を詰り、みずからの身を悲しみ憐れむ詩が原案。政事を詰るは、節南山の詩から出てきていて、「赫赫(あかあかとした)師尹(高い位)は、歪んでいるのだが何て云えばいい……」という詩。身を憐れむのは、小雅・節南山の「昊天は恵まず、此の大戾(大災)を降す」などの句を受けていて、このように罪は無くても熏胥(胥:互いに、熏:燻らすように)して鋪(広がる)ことをいう。

日本語訳

ざくざくと高い南山にすっと広い昊天(空)をみて、政を刺(詰)っては身を憐れむ。疾(悪)み悲しむ辜のない人々は、背を向けて憎みつつ仇(敵)となる。

解説

どことなく連想的な象意が多いです。地沢臨は、陰が上に4つ、陽が下に2つで、少しずつ陽がのぼっていく意味なのですが、もともとがすっきりと晴れていた乾為天なので、それに比べるとやや翳りがある状態になることです。なので、高々とした南山やすっきりとした天を観つつ、しだいにそのような明るさから離れていることを悲しみ、さらに上から陰に抑えつけられるのを恨みます。

地沢臨と天山遯は裏卦(陰陽を反転させた卦)なのですが、「天山遯のときに同じ」といって、艮を使って説明しているらしいです(艮は、地沢臨の互体にも含まれていない……)。天山遯と通じると解釈する場合、上に書いたくらいのあっさりした感じでも通るかもです。

ちなみに、注釈の「南山昊天、皆小雅篇名」とあるのですが、『詩経』小雅に南山は「節南山」としてあっても、「昊天」という篇名はないので、おそらく句のことだと思います。あるいは周頌・昊天有為命というのはあるけど、内容としては周成王を称える作品なので、易林の詩に合わないです。

余談

占いの内容とは関係ないのですが、原案の「節南山」の一節を雰囲気だけでも載せておきます。元の作品の質感を残しながら、易の意味にもあわせて濃縮しているのがわかります(易林は詩として読みたいです)。

節彼南山、有實其猗。
赫赫師尹、不平謂何。
天方薦瘥、喪亂弘多。
民唁無嘉、憯莫懲嗟。(小雅・節南山 第二連より)

節(切り立ったような)あの南山は、実りもあって植物も猗(寄り合う)のに。
赫赫たる師尹(高い位)は、不平(歪むこと)何とも云えないほどで、
天は方(まさ)に瘥(病)を薦め、喪乱も弘(とても)多ければ、
民は嘉(佳)いことがないと唁(弔)い合っても、憯(いままで)懲(止)めたこともないのだが。

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ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています