本文
揚水潜鑿、使石潔白。裡素表朱、游戲皋沃。得君所欲、心志娯楽。
注釈
詳否之師。(雷地豫から沢風大過へ)
否から師になるときに詳しく書いてある(長いのでリンク先に載せてます。今までの感じからして、こういう注釈はあまりいい解釈ではないことが多いけど)。
日本語訳
跳ね揚がる水は潜(沈んで)鑿(さらさらとして)、石を潔白(皓くする)。白い裏地に朱い表着で、沃水の岸(皋)に游戲(遊び)、君の思いを得させて、心も娛楽(愉しむ)。
解説
これはだいたい否から師になるときと同じ解釈でいいと思います。全体の雰囲気は『詩経』唐風・揚之水をもとにしていて、沃水の曲がったところにある街(曲沃)の在地貴族を頼って、危ない道をひとりで旅すれば、その水は跳ね上がり石を洗って、それでも曲沃の街で重んじられるようになって心は愉しむという詩ですね。
もっとも、否から師のときは暗い中でのまとまりですが、豫から大過では、豫は洞庭に楽を張って大きい銅鑼や何重もの笙を重ねて吹いて祖先や天帝を祀ったりするような雄渾で力にあふれている様子(豫)から、漫々蕩々と大きくあふれた水が木々の上の枝まで濡らすような姿(大過:大きいものが過ぎてゆく)になることなので、完成したものがさらに磅礴として広がっていく様子を曲沃の街に人が次々集まっていくことに喩えていると思います。