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43-5  夬之需

本文

魃為災虐、風吹雲卻。欲上不得、復帰其宅。

注釈

通晋。坎為鬼、離為悪人、故曰魃。坎為災、為雲。坤為風。艮止、故不能上。艮為宅。(沢天夬から水天需へ)

夬から晋になるときに通じる。坎は鬼(迭象)、離(需の互体)は悪人(出典不明)なので魃(旱魃の神)。坎は災(説卦伝)、雲(水からの連想?)。(夬・需の裏卦に含まれる)坤は風(迭象)。艮は止まる(説卦伝)なので、上れない。艮は宅(説卦伝の門などから派生?)。

日本語訳

魃神は災虐を為して、風は吹いて雲は却(退く)。(雲は)上ろうとして上がれず、またその宅(家)に帰っていく。

解説

夬は高いところ(天)から水が溢れそうな様子(決壊の決に同じ)、需は水(雲)が天の上にあって、雨を需(待)つ様子だと思ってください。今にも雨があふれそうな雲があったのに、また雨を待つところまで雲が退いてしまうことです。夬の四爻だけが変わると需になるので、『周易』で爻辞もみていきます。

九四:臀无膚、其行次且。牽羊悔亡、聞言不信。

臀に膚(肌)がなくなるほど(後ろから押されるのに、前が詰まっていて)その行くことは次且(がたがたとしている。前に居る)羊を牽(引)けば(すんなりと上手くいって)悔いも無くなるのに、(前の羊は)言を聞いても信じない。

夬の四爻は、上にある五爻の陽を押してさらに前に行きたいし、後ろからも三つの陽に押されるので、臀(尻)に肌がなくなるほどなのに、五爻の陽は動いてくれず、羊を牽くように連れて行こうとしても、色々云っても信じてもらえないので、やはり詰まってしまう(という意味なのですが、とても難しい)。

雲は上に湧きあがりたいのに、うまく湧きあがれずに今あるところに帰っていくので、あと少しだったのに……という様子だと思います(ちなみに小畜から中孚になるのも同じ詩です)

余談

このような雲の、雨が降りそうで降らず、うにゃうにゃと踟躕して形を変えたり色を濃くしたり薄くしたりを描いている賈誼「旱雲賦」の一節を載せておきます。あと、雲が家に帰ってしまうという、ちょっと田舎っぽい表現が好きだったりする。(あえて既にある名篇から外して、稚拙な田舎風の詩にする感じは、『易林』のひとつの特徴だと思ってます)。

惟昊天之大旱兮、失精和之正理。遥望白雲之蓬勃兮、滃澹澹而妄止。運清濁之澒洞兮、正重沓而並起。嵬隆崇以崔巍兮、時彷彿而有似。屈巻輪而中天兮、象虎驚與龍駭。相摶拠而俱興兮、妄倚儷而時有。遂積聚而合沓兮、相紛薄而慷慨。若飛翔之従橫兮、揚波怒而澎濞。正帷布而雷動兮、相撃衝而破碎。或窈窕而四塞兮、誠若雨而不墜。

昊天(大きい天)の大旱を惟うに、精(澄んだ)和の正理を失っているようで
白雲の蓬勃(ぼうぼう)としているのを遥かに望めば、滃澹澹(もやもやもこもこ)として止っているだけで、
清濁の澒洞(深い色)を空に運んで、正に重沓(並び立っては)並起(共に起って)
嵬隆崇(ぐるぐるとして膨らんで)崔巍(崖のように大きくなって)、時に彷彿として似ているものを思い浮かべさせ、
屈(縮)められては巻輪(輪のように)なって天に冲(上)り、虎の飛びかかり龍の騒ぐ姿にもなる、
互いに摶(ぶつかって)拠(竦み合い)ともに興っては、遠くに倚儷(華々しく)て時にみえ、遂に積聚(集まってきて)合沓(ぶつかり膨らんで)、互いに紛薄(ふわふわとして)慷慨(熱を帯びて逆巻いて)
飛ぶ鳥のあちこちに縦横(広がった)ように、波を揚げて怒(乱れては)澎濞(崩れる波のようになり)、
正に帷布(黒々と帳をめぐらした雲の中は)雷動(雷の動いているようになってそうで)、互いに撃衝(ぶつかっては)破碎(砕け合っていそうで)
或いは窈窕(ぼんやりとして)四塞(深い暗がりを閉ざしていて)、誠(本当に)雨になりそうでそれなのに墜(降らない)。

引っ張りすぎだけど、間の雲の複雑な動きがまったく飽きないので、夬から需を長く描写するとこういう流れがあるのだと思います。ちなみに、夬から晋になるときは雲が戻らずに大雨が降ってすべて流した後みたいな詩になる。

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ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています