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11-12  泰之否

本文

陟岵望母、役事未已。王政靡盬、不得相保。

注釈

艮為山、為望。坤為母、故曰陟岵望母。『爾雅』釋山「有草木曰岵。」坤為役、為事、乾為王、坤為政、『詩』魏風「陟彼岵兮、瞻望母兮。」又唐風「王事靡盬。」傳「盬、不攻致也。」坤惡、故曰靡盬。(地天泰から天地否へ)

艮は山、望む(迭象の憂から、憂いて望み遣る?)。坤は母なので、「岵に陟(登)りて母を望む」という。『爾雅』釋山に「草木がある山を岵という。」とある。坤は役・事(迭象の労から)、乾は王(君)、坤は政(地上のこと?)。

『詩経』魏風・陟岵に「彼の岵に陟りて、瞻ては母を望む」、『詩経』唐風・鴇羽に「王の事(仕事)は盬(抜ける隙)もない」とある。その注釈には「盬は、攻(堅くて)致(緻密)でないこと」という。坤は悪(陰の極み)なので「盬(抜け出す隙)もない。」

日本語訳

岵(草木のある山)に陟って母を望めば、役事は未だ已(終ら)ない。王の政は盬(抜ける隙)もなく、身を保つこともできない。

解説

これは『易林』の詩がどういうふうに作られているかを感じられる一篇だと思っていて、泰は天地の気がきれいに混ざりあっている様子、否定は天地の気が別れてしまって流れが止まっている様子なのですが、この詩は労役に駆り出される民の気持ちです。

民のことを思わずに労役に駆り出すのは上下の気持ちが離れている様子で、引用されている『詩経』の作品もそれぞれ雰囲気が感じられる一節を載せておきます。

  魏風・陟岵
陟彼岵兮、瞻望父兮。父曰「嗟。予子行役、夙夜無已。上慎旃哉、猶来無止。」
陟彼屺兮、瞻望母兮。母曰「嗟。予季行役、夙夜無寐。上慎旃哉、猶来無棄。」

彼の岵(草木のある山)に陟って、瞻ては父を望む。父は曰う「ああ、予(私)の子は行役して、夙(朝)も夜も已むときはない。慎みて旃(このようにせよ)と上(願う)、帰ってきて向こうに止まるな。」
彼の屺(草木のない山)に陟って、瞻ては母を望む。母は曰う「ああ。予(私)の季(末の子)は行役して、夙も夜も寐(寝る)ときはない。慎みて旃(このようにせよ)、帰ってきて身を棄てるな。」

  唐風・鴇羽
粛粛鴇翼、集于苞棘。王事靡盬、不能蓺黍稷。父母何食。悠悠蒼天、曷其有極。

粛粛(さらさらと擦れる)鴇の翼は、苞(ばさばさと茂った)棘(なつめ)に集まる。王の事(仕事)は盬(抜ける隙)もなく、黍稷(きび)も蓺(植)られない。父母は何を食べるのか。悠悠たる蒼い天をみて、曷(いつ)になったら極(終わる)のかと思う。
(鴇:野雁は水草地にいて、飛ぶのは苦手で木にも止まらないのに、慣れない木の上にいるように、労役に駆り出される)

おそらく作る順序としては、まずは泰から否になる全体の雰囲気を感じて、その中で乾は君、坤は民だとすると、それぞれの思いが通じてない様子は民を労役に駆り出すようで、それに近い出典は『詩経』で……みたいな流れかなと思っています(それ以外の象意は使えるものは使って、それ以外は気が向いたら、だと思います)。

労役に駆り出される、あるいは理解してもらえず辛い仕事を押し付けられる様子を短くて泣かせるように書いた名篇でもあるけど、占って出たときはかなり辛い状態だと思います……。

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ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています