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12-8  否之師

本文

揚水潜鑿、使石潔白。裡素表朱、游戲皋沃。得君所願、心志娛樂。

注釈

坎為水、震為揚。坎為潜伏。巽為石、為白、為素。伏乾為表、為朱。震為戲游、為陵、為皋。坎為沃、震為君、為楽。坎為心志。『詩』唐風「揚之水、白石鑿鑿。素衣朱襮、従子於沃。」注「鑿鑿、潔白貌。襮、領也。」然則所謂潜鑿亦取伏巽象也。又襮即表。『呂氏春秋』忠廉篇「臣請為襮」高誘注曰「襮、表也。」茲焦亦訓襮為表、與毛伝訓領異。又読衣為裡、尤異也。(天地否から地水師へ)

坎は水、震(師の互体)は揚がる(動く)。坎は潜伏(説卦伝)。巽(否の互体)は石(出典不明)、白(説卦伝)、素(白のこと)。師の裏卦の乾は表(陽)、朱(説卦伝)。震(師の互体)は游ぶ(出典不明)、陵・皋(出典不明)。坎は沃(沃水という川)。震は君(迭象)、楽しむ(出典不明)。坎は心・志(出典不明)。

『詩経』唐風・揚之水に「跳ね揚がる水に、白い石は鑿鑿(さらさらと洗われて)素(白い)衣に朱い襮(表着)で、その人に従い沃に行く。」とある。注には「鑿鑿、潔白貌(実際は「皓皓、潔白也。鑿鑿、鮮明也」)。襮は領(襟)のこと」という。さらに、「潜鑿(沈んだ流れがさらさらとする)」は師の裏卦の巽の象意でもある(尚秉和の注では裏卦を見えないところにあるものとする例が多い)。

また、襮は表着のことで『呂氏春秋』忠廉篇に「臣は襮(表着)となるを請う」とあって、高誘の注では「襮は表着のこと」という。ここでは焦贛は襮を表着と読んでいて、『詩経』の注が領(襟)と読んでいるのと異なり、さらに「素衣朱襮(白い裏地に朱い襟)」として衣を裏地と読むのはもっと異なる。

日本語訳

跳ねあがる水は沈み流れてさらさらとして、石を白く洗っている。白い裏地に朱い表着で、沃水の岸に遊べば、君の願うことを得させて、心も娯しい。

解説

注釈が長い上に、何言っているか分かりづらいですね。とりあえず大事なのは、『詩経』唐風・揚之水の意味なので、雰囲気だけ載せておきます。

  唐風・揚之水
揚之水、白石鑿鑿。素衣朱襮、従子於沃。
揚之水、白石皓皓。素衣朱繡、従子於鵠。
揚之水、白石粼粼。我聞有命、不敢以告人。

跳ね揚がる水に、白い石は鑿鑿(さらさらとして)素い衣に朱い襮(表着)で、その人に従い沃(街の名)に行く。
跳ね揚がる水に、白い石は皓皓(きらきらとして)素い衣に朱い繡で、その子に従い鵠(沃の近くの街)に行く。
跳ね揚がる水に、白い石は粼粼(きしきしとして)私は秘する命を帯びていて、人に告げられずに沃水の傍を行く。

沃は曲沃(山西省臨汾市あたり)という街の名で、沃水の曲がっているところにあったのでそういう名です。そこにいる在地貴族を頼って多くの人が流れていく様子を、沃水を横にみながら切り立った崖沿いの道をあるいている風景で描き、そのとき石にはさらさらと水がかかっています。その不穏だけど激しい水のように、傾いた中でもうまく纏まっている曲沃の街に行きたい気分が描かれたあとに、さらにその街で密命を帯びて、今まで来た道を逆に歩いていくところで終わるのですが(ほとんど想像的解釈です……)、その感じを覚えつつ『易林』の詩を読んでいきます。

まず、最初の四句はほとんど同じで、否のように傾いたときに曲沃の在地貴族を頼って流れていった人が見た景色、さらに曲沃での宴などです。最後の二句は、師のように曲沃でうまく纏まっている様子を、その在地貴族の庭での話などに絡めて書いているのでは……と思います。

ちなみに、否の中でもきれいに落ち着いた感じだと地水師ですが、否の中で不気味ななわりに雑多で異様な勢いがあるのは天火同人だったりと、それぞれ繋がっているようで、お互いが微妙にずれて繋がっていく不思議な体系性(秩序と渾沌が混ざっている)があって、詩集として読んでも楽しいです(易を知らないと奇怪なだけですが)

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ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています