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12-13  否之同人

本文

衆鬼瓦聚、中有大怪。九身無頭、魂驚魄去、不可以居。

注釈

通師。坤為鬼、坎亦為鬼、坎衆、故曰衆鬼。震為瓦、坤為聚、坎為怪。坤為身、震数九、故曰九身。坎為頭、坎伏、故曰無頭。震為神、為魂、坤為魄。震又為驚、為去也。(天地否から天火同人へ)

否から師になるときに通じる。坤は鬼(陰気)、坎(同人の裏卦)も鬼(迭象)。坎は衆(出典不明)でもあるので、多くの鬼。震(おそらく否・同人の裏卦)は瓦(迭象の瓮・缶などから派生?)、坤は聚まる(乾の君・坤の民?)、坎は怪(水の怪?)。

坤は身(陽の魂・陰の魄)、『礼記』月令の成数で震は九なので、九身という。坎(同人の裏卦)は頭(迭象の大首)、坎は裏卦なので「頭がない」という。震は神(出典不明)、魂(陽?)、坤は魄。震はさらに驚く・去る(動くから派生)。

日本語訳

多くの鬼が瓦聚して、その中に大怪あり。九身にして頭無く、みれば魂は驚き魄は去り、居られない。

解説

「瓦聚」は瓦解(瓦が割れるように毀れる)と同じで、瓦を並べたように集まるの意です。この詩によく似たものが坤之復にもあるのですが、少しだけ文字が違っていて「衆鬼所逐、反作光怪。九身無頭、魂驚魄去、不可以居。」になっています。

坤から復のときは、冬至(復)には少しだけ春が近づいてきたけど、二十四節気では「冬至―小寒―大寒―…」のように寧ろ寒くなることを、逐われている鬼の中の一つが不気味な光を纏いつつ戻って来る様子に喩えている(と思う)のですが、否から同人では「逐われる鬼」ではなく「瓦聚する鬼」で「一つだけ戻って来る」ではなく「多くの鬼をまとめ上げるような大怪」になっています。

このような、詩句に微妙な違いがある例では、蠱之蒙萃之師などがあって、もしかするとその小さな違いがあえて詩の意味をずらすために作られたのでは……と書いたのですが、今回もそのような感じがします。

否は天地の気が離れ切ってしまい、暗くなっていく様子なのですが、同人は野において心を同じくする人たちが集まって割拠する様子です。暗い中で割拠する魍魎たち、としてみれば、鬼たちが集まっている中でその長となるのは九身にして頭のない大きい鬼で、それをみると驚いて崩れ落ちそうになるほど、という意味ではないかと思います。

微妙な詩句の違いが、実は占いの解釈の違いになっている(もっとも読んだだけでは分からないように書かれている)のが『易林』だとしたら、占いと文学の関係としてとても興味深い姿になっていると思っていて、こんな占いをみてみたかったという気分でこの記事を書いてます。ちなみに、この詩が出たときは恐ろしいものがいるとは別に、質問の内容によっては不気味な能力を得る・否閉の世の奇材梟雄のごとくよく分からない崇められ方をするなどの意味かもです。

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ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています