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5-47  需之困

本文

祝伯善言、能事鬼神。辭祈萬歳、使君延年。

注釈

三至上正反兌口、故善言、易所謂尚口也、故曰祝伯。祝史以口舌為用。伏震為伯、坎為鬼、伏震為神、為辞、為歲年、為萬、為君、辞猶拜表拜書。(水天需から沢水困へ)

困の三爻から上爻までは、正しい向きでも上下逆でも兌になっていて、口の象意(説卦伝)があるので「善言」という。『周易』困にいう「口を尚(貴ぶ)」にあたるので、「祝伯(祀官)」という。祝史(祀官)は口舌で仕事をする。困の互体の裏卦にある震は伯(長子)、坎は鬼(迭象)、裏卦の震は神・歳年・君(迭象)、辞(迭象の口から派生?)萬(盛んに多い?)などの意がある。辞は拝表(神に捧げる書状)・拝書(貴人への書状)のこと。

日本語訳

祀官は言葉をよく使い、鬼神に事(仕える)。祷辞は萬歳を祈り、君をして年を延ばさせる。

解説

祝・史はいずれも『周礼』春官(祭祀の官)に大祝・小祝・大史・小史などとして見えて(大祝・小祝のほうがより祭祀っぽいことをしている)、そのような祀官は祝詞を読み上げて、萬歳にして命の尽きないことを祈っている様子です。

需はもともと雨が降りそうな雲を望んで、その下に酒器や食べ物を並べて待っている様子、困は水辺の下に水が入ってしまい、いつもは水があるはずの沼まで干上がっていて困る様子なのですが、そんなときにはより雨乞いを多くして、祀官たちはつぎつぎに祝詞を読み上げて、神を祀ります。辞は祝詞のことで、ふだんはあまり喋らない祀官たちも髪を振り乱しながら大きい幣をもって異様な興奮を漂わせる雰囲気です。

ちなみに、注釈で「尚口」とあるのは次の部分なのですが、なぜ祀官なのかというと、こんな感じです。

彖曰:有言不信、尚口乃窮也。
(沼が干上がってしまうような困のときには)言葉はあっても信じられず、口を尚(貴ぶ)のは窮することになる。

そんな困のときには、鬼神にすら仕える祀官たちの言葉こそ頼りになって、彼らの言葉は不思議な力を持つ、みたいな意味です。ふだんは大人しい祀官が暴れて威を奮う。

余談

この『易林』の描写は、たぶん『周礼』春官・大祝をもとにしている。この雑多で煩雑で異形的でおどろおどろしい儀式の体系を見ていると、不気味でありつつ興奮する。

大祝:掌六祝之辞、以事鬼神示、祈福祥、求永貞。一曰順祝、二曰年祝、三曰吉祝、四曰化祝、五曰瑞祝、六曰策祝。掌六祈以同鬼神示、一曰類、二曰造、三曰禬、四曰禜、五曰攻、六曰説。作六辞以通上下・親疏・遠近、一曰祠、二曰命、三曰誥、四曰會、五曰祷、六曰誄。

大祝は、六つの祝(祭祀)の辞を掌って、死鬼や神祇に事(仕えて)、福祥を祈り、永く貞(正しく)生きられるのを求(願う)。一つめを順祝(順調な豊作)、二つめを年祝(長命の祀り)、三つめを吉祝(吉祥を求める)、四つめを化祝(災いを化して福にする)、五つめを瑞祝(瑞雨を呼ぶ)、六つめを筴祝(罪穢れを追いやる)という。

また、六つの祈りによって、いがみ合っている死鬼・天神・地祇を和せしめる。その一つめを類(天を祀る)、二つめを造(祖神を祀る)、三つめを禬(おそらくは災いを除く)、四つめを禜(山川の神を祀る)、五つめを攻(鳴り物で追い祓う)、六つめを説(祝詞で去らせる)という。

また、六つの文辞を作って、上下・親疏・遠近のものを通じさせる。一つめの祠(挨拶文)、二つめの命(他国への書状)、三つめの誥(王からの書状)、四つめの會(一緒に神に誓う文)、五つめの祷(神への祝詞)、六つめの誄(讃えて葬る文)がある。

「福祥を祈り」の示偏だけでできた文章とか、敬虔きわまって幻怪です。去年の四月ごろに白川郷にいって驚いたのですが、農具や養蚕、山の木を切るための道具の数が恐ろしく多い(鋸や鋤、かご等)。そして、それらにすべて細かい名前がついていて、それぞれ使い途が違うらしい。たぶん、あの世界ではその区別が存在できるくらい、木を切ることや蚕を飼うことに深みのある世界が広がっていて、多くの言葉が使われているとしたら、『周礼』の世界では神を祀ることにも多くの言葉があって、雨乞いをしているときはたぶん禜(山川の神を祀る)で祷(祝詞)を読み上げている、みたいになる。

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ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています