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23-7  剥之師・10-57  履之巽

本文(剥之師)

蹇驢不材、俊驥失時。筋力労盡、疲於沙邱。

注釈

詳履之巽。(山地剥から地水師へ)
履から巽になるときに詳しく書いてます。

本文(履之巽)

蹇驢不材、駿驥失時。筋労力盡、疲於沙邱。

注釈

通震。為馬、坎蹇、故曰蹇驢。震為材、坎折、故不材。震為駿驥、艮為時、坎陷故失時、坎為労疲。艮為沙、為邱。丁晏云「『列子』説符篇「穆公九方皋求馬、三月而反、曰“得之矣,在沙邱”。」按坎為脊、為要、筋力或為坎象。(天沢履から巽為風へ)

履から震になるときに通じる。馬というのは、履の裏卦の互体坎は蹇(行き悩む)なので「蹇驢(行き悩む驢馬)」。巽の裏卦震は材(出典不明)、坎(巽の初爻~四爻?)は折(連想解釈)なので「材ならず」。震は駿驥(説卦伝から連想)、履の兌の裏卦艮は時(出典不明)、坎は陷るなので「時を失う」。

坎は労疲(連想解釈)。艮は沙・邱(邱は山から、沙は出典不明)。清・丁晏『易林釈文』では出典として、『列子』説符篇「穆公は九方皋に馬を求めさせ、三月にして帰ってきて、九方皋は“馬は砂丘にいました”と云った」を載せている。按ずるに坎は脊(説卦伝)・要(堅くて芯の多い木)なので、筋力も或いは坎の象意かもしれない。

日本語訳

蹇驢は材ならず、俊驥は時を失う。筋力は労し尽し、沙邱に疲れる。

解説

これは出典ではないですが、韓愈「馬説」を読めば何となく読める気がします。

  馬説
世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有、而伯楽不常有。故雖有名馬、祗辱於奴隸人之手、駢死於槽櫪之間、不以千里称也。
馬之千里者、一食或盡粟一石。食馬者、不知其能千里而食也。是馬也、雖有千里之能、食不飽、力不足、才美不外見、且欲與常馬等不可得、安求其能千里也?
策之不以其道、食之不能盡其材、鳴之而不能通其意、執策而臨之、曰「天下無馬。」嗚呼。其真無馬邪?其真不知馬也。

世に伯楽ありて、その後に千里の馬あり。千里の馬は常にあっても、伯楽は常に居るわけではない。それゆえ名馬がいたとしても、ただ下働きの手にいたぶられ、餌桶の間に並んで死んでいき、千里を走ることで称されない。

馬の千里を走るものは、一回に粟の一石を食べるのに、馬を養う者はそれが千里を走るとも知らずに食べさせている。この馬は、千里を走る能があったとしても、餌も足らず、力も出せず、才や美は外にあらわれず、さらにふつうの馬と同じようにすることも叶わず、どうして千里を走ることを求めているのか。

この馬に鞭を打つのは千里の道でなく、これを飼っていてもその材を尽くさせず、馬は鳴いてもその意を通じさせず、鞭をとって臨んでは、「天下にいい馬は居ない」と云っている。ああ、それは本当に馬がいないのか?それは本当は馬を知らないのだ。

ちなみに『列子』説府篇の話はこんな感じです。

秦穆公謂伯楽曰「子之年長矣、子姓有可使求馬者乎?」伯楽対曰「良馬、可形容筋骨相也。天下之馬者、若滅若没、若亡若失、若此者絶塵弭轍。臣之子皆下才也、可告以良馬、不可告以天下之馬也。臣有所與共担纆薪菜者、有九方皋、比其於馬、非臣之下也。請見之。」穆公見之、使行求馬。三月而反、報曰「已得之矣、在沙丘。」穆公曰「何馬也?」対曰「牝而黄。」使人往取之、牡而驪。穆公不説、召伯楽而謂之曰「敗矣、子所使求馬者。色物牝牡尚弗能知、又何馬之能知也?」伯楽喟然太息曰「一至於此乎。是乃其所以千萬臣而无数者也。若皋之所観、天機也、得其精忘其麤、在其内而忘其外。見其所見、不見其所不見、視其所視、而遺其所不視。若皋之相者、乃有貴乎馬者也。」馬至、果天下之馬也。

秦の穆公は伯楽に云う
「あなたはすっかり年老いているが、あなたの子たちには馬を見定められる者はおりますか?」
伯楽は云う
「良馬は、まぁ筋骨の相を形容して見定められるのですが、天下の名馬となると、滅んだような没(消えたような)、亡(居ないような)失せたようなで、このような者は塵も起こさず跡も見えないようにして居ます。私の子は皆な下才ですから、良馬くらいなら見つけられますが、天下の名馬は無理でしょう。私と一緒に縄を背負って薪を取っていた者で、九方皋というのが居ますが、馬を見ることにおいては、私に劣る者ではないでしょう。その者に会うのがいいでしょう。」

穆公は九方皋に会って、馬を探させた。三月ほどして帰ってきて、「名馬は居ました、沙丘にいるでしょう。」というので、穆公は「どんな馬か?」と問う。

九方皋は「牝で黄色でしょう。」使というので、人を送って取りに行かせたところ、牡で驪(黒馬)だった。穆公は喜ばず、伯楽を呼んで「敗(だめだったな)矣、あなたが馬を探させた者は。毛色や牡と牝すらわからないようでは、馬を見定められないだろう。」

伯楽は悲しげに息をついて云う「どうしてそうも心得がないようで……。九方皋の馬を見ることは私が千人・万人集まっても叶わぬもので、あの者が見ているのは天機で、深いところを得ては麤(どうでもいいこと)は忘れてしまい、その内を見て外は忘れるというもので、見るべきところを見て、見なくていいところは見ず、視るべきところを視て、視なくていいところは捨てている。皋のような者は、天下の名馬よりも貴いのですが。」馬を連れて来てみると、果して天下の馬だった。

馬・沙邱の出典としてあげているらしいです。ただ、全体の意は馬を見抜くのに伯楽と九方皋だけは馬の本質が見えているけど、他の人にはわからないというものです。『易林』の詩そのものは、蹇驢(鈍い馬)を用いて材ならず、俊驥(名馬)は時を失っている(見出してくれる人がいない)ので筋も疲れ果てるほどに沙邱で使われている(元々馬は沙邱では使わない気がする)という意味だと思うので、ここでは韓愈「馬説」寄りで読みます。

剥は陰が最後の陽を追い落としていく様子、師は地下に溜まっている水を地がまとめている様子なので、昏迷の中で人々を無理やりまとめていることが剥之師だと思います。さらに、師の裏卦の同人だと、剥之同人の意味として「一度は別れてそれぞれ生きることになったけど、それでも行った先で仲間を見つける(同人)」という雰囲気があったので、一度は壊されて野で仲間を集めるのが同人、剥された中で残った人をまとめているのが師(大きい分離を経ていないけど、剥された中に留まっている)という違いらしいです。

ちなみに、履之巽のときは、履は「君子は上下を辨じて、民の想いを安んじる(君子以辨上下、安民志)」のように上下を分けて履(礼)を整えること、巽は従うことなので、上下を分けられてそのままに従ってしまうと名馬も埋れたままになる、だと思います。

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ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています