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36-63  明夷之既済

本文

湧泉涓涓、南流不絶。卒為江海、壊敗邑里。家無所處、将師襲戦、獲其醜虜。

注釈

重坎、故泉流不絶、故為江海。離為南。(地火明夷から水火既済へ)

坎が重なっている(既済の互体を含む?)ので、「泉流の絶えずして」と云い、江海とする。離は南。

日本語訳

湧き出す泉の涓涓(さらさらとして)、南に流れて絶えず。卒(ついには)江海となって、邑里を壊敗す。家は居るところなく、将師の襲い来て、その醜虜を獲る。

解説

明夷は、地の下に日が沈んだように暗君の世、既済は既に済(出来上がっている)様子なので、初めは吉だけどそのまま止まっていると次第に乱れていくことです。さらに、明夷の五爻だけが変わると既済なので、爻辞も読んでいきます。

六五:箕子之明夷、利貞。
箕子の明夷のように、貞(正しき)に利あり。

箕子は殷の紂王のときに生きていた殷の王族で、紂王が何度言われても奢侈と酷政を改めなかったので、狂人を佯(よそお)って生き延びた人です。易では五爻が君なので、それに最も近いところに居ながら生き延びた箕子のような明夷の過ごし方が良いという意味だと思います。

明夷から既済だと、明夷のまま止まっていること、それゆえ次第に悪くなっていくことなのですが、そんなときは箕子のように離れて過ごせ、です。ちなみに『易林』の詩の意味は、湧き出す泉のような小さな流れのように凶事が集まっては溜まって、ついには江のごとく海のごとくなっていく。その流れは家々をも壊し、それに乗じて他国の師(兵)も襲い来て、虜囚として攫っていく、だと思います。

余談

これを読んでいて思い出すのは、六朝末期の詩人 庾信の作品群だったりする。庾信は六朝の梁が滅びる経緯を描いた一連の作品群で知られているのですが、今回の詩によく似ている例を幾つか。

蓋聞穴蟻衝泉、未知遠慮:玄禽巣幕、何能支久。是以大厦既焚、不可灑之以涙:長河一決、不可障之以手。(「擬連珠」其六より)

蓋し聞く 蟻の穴は泉を衝き出し、未だ遠慮を知らず:燕が幕の揺れる上に巣を作れば、久しく支えられず。それゆえに大きい厦(館)の既に焚ければ、涙を灑いでも何もできず:長い河の一たび決すれば、手で障(さえぎる)こともできず。

小さい蟻の穴から水が漏れているときには誰も気づけないけど、いずれその穴は大きくなって一たび長河の決すれば手で抑えることもできず(奢侈と安寧に耽りすぎて気づけなかった災いのこと)というのは「湧泉涓涓、南流不絶。卒為江海、壊敗邑里。」までに似ていて、さらに後半三句はこの作品が近いです。

水毒秦涇、山高趙陘。十里五里、長亭短亭。飢随蟄燕、暗逐流蛍。秦中水黒、関上泥青。於時瓦解冰泮、風飛雹散。渾然千里、淄澠一乱。雪暗如沙、冰横似岸。(「哀江南賦」より)

水は秦の涇水に毒され、山は趙の陘(谷)に高い。十里五里に、長い亭と短い亭。飢えては穴に眠る燕を掘り出し、暗いときは流れる蛍を逐う。秦の中では水は黒く、関の上では泥は青い。この時には瓦のごとく解(碎けて)冰のごとく泮(解け散って)、風は飛んで雹は散る。渾然として千里にわたり、淄(濁った水)も澠(綺麗な水)も一つに乱れる。雪は沙のごとく暗く、冰は岸のように横たわる。

梁は北方から逃れてきた武官の一人が叛乱を起こしてほとんど滅びたのですが、その混乱に乗じて北方にあった西魏に攻められて地方にあった分家まで滅ぼされてしまい……というのが「将師の襲い来て」、さらに梁の民が北方に連れていかれる様子を書いたのが上の一節なのですが、この凄まじい風景が「獲其醜虜」のように思えたりする(『易林』って、後世のかなり特殊な題材の文学まで雑多に素材として入っている感がある)。この表現の中で、泥が青い・瓦が砕けて冰が解けるようなまま、風の飛び雹の散る中を歩かされる・雪は沙のごとく乾いて冰は岸のごとく厚い・眠っている燕を掘り起こして食べるなどは凄まじすぎる怖さがあると思う(これほどのことになると、箕子の明でも逃れられない気がするけど。易林はどこか傍観主義・ペシミスティックな雰囲気の漂う解釈をしている気がする。ここでいうペシミスティックはマイナス思考ではなく、人間はどうやっても動けば悲しみを逃れ得ないという意味)。

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ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています