蘇東坡

58-24  兌之復・23-13  剥之同人

本文(兌之復)

雄處弱水、雌在海濱。別離将食、悲哀於心。

注釈

詳剥之同人。(兌為沢から地雷復へ)
剥から同人になるときに詳しく書いてます。

本文(剥之同人)

雄處弱水、雌在海濱。将別持食、悲哀於心。

注釈

通師。坤為水、為柔、故曰「弱水」。九二居坤中、故曰「雄處弱水。」同人乾為海、六二居海中、故曰「雌在海濱。」坎為心、為悲哀。(山地剥から天火同人へ)

剥から師になるときに通じる。坤は水(迭象)・柔(陰柔)なので「弱水(柔らかくて舟が浮かばない水。崑崙山のまわりにある)」という。

剥の互体の坤でみたときに、それが同人になると二爻(小成卦の中爻)は陽で、坤(弱水。山地剥の下卦)の中にあるので、「雄處弱水(陽爻は弱水の中に居る)」という。同人の乾は海(迭象)、その前に剥だったときの二爻(小成卦の中爻)は海(乾)の中なので、「雌在海濱(陰爻は海のほとりに居る)」という。坎は心・悲哀(説卦伝の心病)。

日本語訳

雄は弱水に居て、雌は海濱にいる。別離する前に食べようとして、心に悲哀(かなしむ)。

解説

この作品をみて、まず思い出すのはこの詩です。

  艶歌何嘗行
飛來双白鵠、乃従西北来。十十五五、羅列成行。妻卒被病、行不能相随。五里一反顧、六里一徘徊。吾欲銜汝去、口噤不能開。吾欲負汝去、毛羽何摧頹。楽哉新相知、憂来生別離。躇躊顧群侶、涙下不自知。念與君離別、気結不能言。各各重自愛、遠道帰還難。妾當守空房、閉門下重関。若生當相見、亡者會黃泉。今日楽相楽、延年萬歳期。(『楽府詩集』巻三十九)

飛んで來る双(二羽の)白い鵠(鶴)、それは西北から来たのだけど。
十十五五と、羅列(列をなして)成行(並んでいる)。
妻は卒(ついに)病に被(罹り)、行いては相随(したがう)こともできず。
五里にして一たび反顧(振り返り)、六里にして一たび徘徊す。
私は銜えて去(行きたいけれど)、口は噤(開かず)開けられず、
吾は背負って去(行きたいけれど)、毛羽(はね)は何摧頹(重さに耐えられず)、
楽しいのは新しく知り合うこと、憂いが来ては生きて別離す。
躇躊しては群侶を顧み、涙を下(流して)不自知(どうしていいかもわからない)。
君を離別(別れることを)念えば、気は結(鬱結して)不能言(何も言えず)、
各各(それぞれ)重自愛(みずからを大事にして)、遠い道は帰るのも難しい。
妾(わたしは)空しい房(部屋)を守りますから、門を閉ざして重関(かんぬきを)下(かけます)。
若しも生きて相い見るこがありましたら、亡者(死んだ者は)黃泉にて会いましょう。
今日は楽しんでも楽しみ尽くせず、年を萬歳の期に延ばしましょう。

中国では西の果てにある崑崙山のまわりの弱水と、海(渤海)のほとりの海濱というので、東西に隔たっている印象なので、残された雌は海のほとりで、雄は西のほうにまで帰っていく雁の詩だと思います。

そうすると、兌は喜び、復はまた小さいところから始める様子、剥は陰が長じて陽を剥すること、同人は野のなかで仲間を集める様子なので、兌は「楽哉新相知」、剥は「憂来生別離」なのかもです。

そうなると、復・同人はどれなのかと思いますが、おそらくこの詩のような雰囲気かと思ってます。

  于闐採花
山川雖異所、草木尚同春。亦如溱洧地、自有採花人。(『楽府詩集』巻七十三)
山川は所を異にしても、草木はきっと同じく春でしょう。亦た溱洧の地のように、きっと花を採る人もいるでしょう。

于闐(うてん)は西域の地名、溱洧はいずれも河南省の川の名前です。この詩はきっと防人歌だと思っていて、西域に行くことになったあなたと、この春の暖かな溱洧の地で花にまみれて遊んだときのように、私とは会わなくなってもきっと于闐で花を送りあうような日が来るのでしょう、という意味です。

悲しい別れと、その先での新しい出会いという、ありがちだけど泣ける卦です。

余談

この別れを惜しむ纏綿とした繊細な感情と、それでも人はどこへ行っても生きていくのだろうけど、という曠達で悲しいものは、文学の中でふたつの流れとなって循環していて、この二つが特に宋代の詞において主流になって、前者を婉約派(春が静かに過ぎていくような悲しみをやわらかく描く)、後者を豪放派(曠達が近い気もする)と呼んでいます。

婉約派は周邦彦・秦観など、豪放派は蘇軾・辛棄疾などが有名なのですが、蘇軾の詞で今回の『易林』の詩に近いものを。

  蝶恋花・春景
花褪残紅青杏小。燕子飛時、緑水人家繞。枝上柳綿吹又少。天涯何處無芳草。
牆裡鞦韆牆外道。牆外行人、牆裡佳人笑。笑漸不聞聲漸悄。多情却被無情悩。

花は褪せて紅は残(傷つき)青杏は小さい。燕子(つばめが)飛ぶ時、緑の水は人家を繞る。枝の上には柳の綿も吹かれては又た少くなって、天涯の何処でも芳草(春の草)はあるのだけど。
牆裡(塀の中では)鞦韆(ぶらんこ遊びで)牆の外には道があって、牆の外を行く人よ、牆の裡(内)に佳人笑(きれいな笑い声がして)。笑いは少し聞こえなくなり声は少し悄(萎れていって)、多情は却って無情な人に悩まされるのだけど。

遠くに旅していく途中に通りかかった屋敷の前で、楽しそうな声を聞いて、心惹かれる思いがするけど、あるいはこの屋敷を過ぎても芳草のきれいな道はつづいているのだろうけど、でも離れがたい思いはしながら歩いている様子。

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ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています