蘇東坡

蘇氏易林

 最近(というほど最近でもないのですが)、「『東坡易伝(蘇軾の易注)』で卦を読んでみると、かなり解釈が変わる」という記事を書いたのですが、その記事から派生して「蘇軾ふうの易の読み方で『易林』を読んでみたらどうなるのか」という記事を書いてみます。

 蘇軾はなんとなく知っているとは思いますが、北宋の時代を象徴するような闊達で自在な生き方をした文人で、詩・詞・散文・書画など多彩な才能を持っていましたが、易についてもかなり深く通じていて、『東坡易伝』という注釈を作っています。その注釈は、もはや注釈そのものが蘇軾らしい名文というか、蘇軾らしい雰囲気に満ちていて、特に「爻の様子」に注目している読み方が独特だと思っています。

 というわけで、さっそく読んでいくのですが、最初に原文と訳を載せて、その後に『東坡易伝』から解釈に関わる部分を引用していきます。

需之蠱

佩玉橤兮、無所系之。旨酒一盛、莫與笑語。孤寡獨特、常愁憂苦。
玉の芯を佩びても、それを結ぶところがなくて、旨(おいしい)酒を一盛りしても、ともに笑って話す人がなく、孤寡独特(たった独りで)、ずっと憂愁(うれいて)苦しむ。

象曰:雲上於天、需。君子以飲食宴楽。(『周易』需)
乾之剛、為可畏也;坎之険、為不可易也。乾之於坎、遠之則無咎、近之則致寇。坎之於乾、敬之則吉、抗之則傷、二者皆莫能相懐也。惟得広大楽易之君子、則可以兼懐而両有之、故曰「飲食宴楽。」(『東坡易伝』需)

需:有孚、光亨、貞吉。利涉大川。
彖曰:需、須也。険在前也。剛健而不陷、其義不困窮矣。「需:有孚、光亨、貞吉」、位乎天位、以正中也。(『周易』需)
謂九五也。乾之欲進、凡為坎者皆不楽也、是故四與之抗、傷而後避;上六知不可抗、而敬以求免、夫敬以求免、猶有疑也。物之不相疑者、亦不以敬相攝矣、至於五則不然、知乾之不吾害、知己之足以御之、是以内之而不疑。故曰「有孚、光亨、貞吉」。「光」者、物之神也、蓋出於形器之表矣。故易凡言「光」、「光大」者、皆其見遠知大者也;其言「未光」、「未光大」者、則隘且陋矣。(『東坡易伝』需)

象曰:雲が天の上にあるのが、需。君子は飲食宴楽する。(『周易』需)
乾の剛(強さ)は、畏れるべきもの、坎の険しさは、容易からざるもの。乾が坎と出会うと、遠ければ咎がないけれど(初九)、近づけば寇(あだ)を致す(九三)。坎が乾と出会うと、それを敬っていれば吉(六四)、それに抗えば傷つき(上六)、二者はどちらも馴染まないもの。惟だ広大にして安らかな君子のみ、この二者を兼ね得るので、「飲食宴楽(宴を開いて、坎は乾をもてなす)」という。(『東坡易伝』需)

需:信があり、光もあって上手くいく、正しいものに吉。大きい川を渉るのに良い。
彖曰:需は、須(待つ)。険しいものが前にあり、剛健にして陷らず、その義も困窮しないこと。「需:有孚、光亨、貞吉(需:信があり、光もあって上手くいく、正しいものに吉。大きい川を渉るのに良い)」とは、天の位に居て、正しくして中を得ていること。(『周易』需)

これらの文は九五のことを云っている。乾が進もうとすれば、およそ坎(険)を為している者は皆な楽しまないので、六四はそれと抗って、傷ついたのちに逃げており、上六はそれに抗えないのを知っていて、敬って免れようとするのだが、敬って免れようとするのは、まだ乾のことを疑っている。物事で疑いのないときは、もはや敬して飾るようなことはしないもので、九五に至ってはそのようでなく、乾がみずからを害さないのを知っていて、みずからがそれを御し得るのも知っているので、それを引き入れて疑わない。故に「信があって、光もあって上手くいく、正しいものに吉」という。「光」は、物の神のことで、形器の外に神が溢れていること。易でおよそ「光」「光が大きい」と云うのは、皆なそれが遠くから見ても大きいのが知られることで、「未だ光らず」「未だ光が大きくない」と云うのは、その隘にして陋なこと。(『東坡易伝』需)

六四:需于血、出自穴。
「需于血」者、抗之而傷也;「出自穴」者、不勝而避也。

九五:需于酒食、貞吉。
敵至而不忌、非有餘者不能。夫以酒食為需、去備以相待者、非二陰所能辦也、故九五以此待乾、乾必心服而為之用、此所以正而獲吉也。

上六:入于穴。有不速之客三人来、敬之、終吉。
乾已克四而達於五矣、其勢不可復抗、故入穴以自固。謂之「不速之客」者、明非所願也。以不願之意而固守以待之、可得為安乎?其所以得免於咎者、特以「敬之」而已。故不如五之當位、而猶愈於四之大失也。

六四:血の中で待っている。穴から出入りする。
「血の中で待つ」とは、乾に抗って傷つくこと。「穴から出入りする」とは、乾に勝てなくて穴に逃げること。

九五:需于酒食、貞吉。
敵がやってきても忌むことがないのは、余りあるほどの者でなければ出来ないこと。酒食を用意して待つのは、備えを去って待つことで、二つの陰(六四・上六)に出来ることではない。なので、九五はこのようにして乾を待ち、乾は必ず心服してそのために働くので、このようにして正にして吉を獲る。

上六:穴に入る。招かざる客が三人来るので、敬っていれば、終には吉。
乾はすでに六四を倒して九五まで来てしまい、その勢は抗えないものなので、上六は穴に入って自ら守りを固める。「招かれざる客」とは、乾が来るのを願ってないこと。願ってないものを守りを固めて待っているのに、どうして安らかに居られるのかというと、咎を免れるのは、「乾を敬っている」ため。なので、九五が位を得て迎え入れているには及ばないけど、六四が抗って大いに傷ついているよりはずっと良い。(『周易』需の爻辞と『東坡易伝』の解説)

器久不用而蟲生之、謂之蠱。人久宴溺而疾生之、謂之蠱。天下久安無為而弊生之、謂之蠱。『易』曰「蠱者、事也」;夫蠱非事也、以天下為無事而不事事、則後将不勝事矣、此蠱之所以為事也。而昧者乃以事為蠱、則失之矣。器欲常用、體欲常労、天下欲常事事、故曰「巽而止、蠱」。夫下巽則莫逆、上止則無為、下莫逆而上無為、則上下大通、而天下治也。治生安、安生楽、楽生偷、而衰亂之萌起矣。蠱之災、非一日之故也。(『東坡易伝』蠱)

器が長い間使われないと蟲が涌く、これを「蠱」という。人が久しく宴楽に溺れて疾が生じる、これを「蠱」という。天下が久しく安らかで何もすることがないと弊が生じてくる、これを「蠱」という。『易』で「蠱は、事(事を行う)」という解釈があるが、蠱の字に「事を行う」という意味があるのではない、天下が無事にして何か事を行うことがなく、その後に何かが起こるとそれに耐えられないという繋がりが、「蠱」と「事」が結びついている理由。それなのによく知らない者が「事」を「蠱」字と同じ意味だと思っているのは、このことから外れている。器は常に用いているべきで、身体は常に動かしているべきで、天下は常に何か事を行っているべきで、故に「巽(従っていて)止まっているのが、蠱」という。下の者は巽(従っていれば)逆らうことがなく、上の者が止まっていれば無為になり、下は逆わずして上は何もしない、そうすれば上下は大いに通じて、天下はうまく治まるだろうけど、治まり過ぎると安逸になり、安逸は逸楽になり、逸楽は偷安になり、そのようにして衰乱の萌しが起こってくる。蠱の災いは、一日にして生まれるものではない。(『東坡易伝』蠱)

 ずいぶん引用が長いですが、飲食宴楽に浸り過ぎて、始めは治にして、終いには乱れ、甚だしいときは奇楽あり、宴楽やまずして……という雰囲気です。需のときは艱難を抜けての宴楽だったのに、いつまでもその宴楽が続きすぎると、あちこちが蠱敗したり蠱惑したり蠱毒が起こったり食べ残したものに蠱蟲が涌いたり、蠱晦な宮室に豊かな蠱だったり代々飼われている蠱だったり毒蛇だったり蜈蚣だったり、きらびやかな飾りの蔭に変なものが埋まっていたりしてきて、淫々昧々とした中での宴楽は「佩玉橤兮、無所系之。旨酒一盛、莫與笑語。孤寡獨特、常愁憂苦(玉の芯を佩びても、それを結ぶところがなくて、旨(おいしい)酒を一盛りしても、ともに笑って話す人がなく、たった独りで、ずっと愁いて苦しむ)」様子です(呪いや悪い霊を封じるための呪法がさらに後の禍いの元になって、それを封じるためにさらに蠱を呼んで怪しいものを埋めて……みたいな)。

未済之賁

華首山頭、仙道所游。利以居止、常無咎憂。
華山の首頭(頂き)、仙道(神仙)の游ぶところで、居て止まるに利(良)く、常に咎憂もなし。

小狐汔済、濡其尾、無攸利。(『周易』未済)
君子見其遠者・大者、小人見其小者・近者、初六・六三、小人也。見水之涸、以為可済也、是謂「小狐汔済。」(『東坡易伝』未済)

小狐が汔(涸れた川)を渡ろうとして、其の尾を濡らす。利はない。(『周易』未済)
君子は遠い者・大きい者を見るが,小人は小さい者・近い者を見る。初六・六三は小人で、水が涸れているのを見て、渡れると思っている。これを「小狐が汔(涸れた川)を渡ろうとする」と云う。(『東坡易伝』未済)

六三:未済、征凶、利涉大川。
「未済」非不済也、有所待之辞也。蓋将畜其全力、一用之於大難。大難既平、而小者随之矣、故曰「利涉大川」。六三見水之涸、幸其易済而驟用之、後有大川、則其用廃矣、故曰「征凶」。見涸而済者、初與三均也;初「吝」而已、三至於「凶」、位不當也。

九四:貞吉、悔亡。震用伐鬼方、三年有賞於大國。
九四有震主之威、苟不用於「鬼方」、則無所行其志矣、震主者悔也。貞於主而用於敵、所以「悔亡」也。

六五:貞吉、無悔。君子之光、有孚、吉。
光出於形之表、而不以力用。君子之広大者也、下有九二、其応也;旁有九四・上九、其隣也。険難未平、三者皆剛、莫能相用、将求用於我之不暇、非謀我者也。故六五信是三者、則三者為之尽力、而我無為、此「貞吉、無悔、君子之光」也。

上九:有孚于飲酒、無咎。濡其首、有孚、失是。
「是」、是時也。至於是而不済、終不済也。故「未済」之可以済者惟是也。険難未平、六五信我、将以用我也;我則飲酒而已、何也?将安以待其會也、故「無咎」。上九之謂首、「濡其首」者、可済之時也;若不赴其節、飲酒於可済之時、則信我者失是時矣。

六三:まだ渡らない、征けば凶。大きい川を渡るのに良い。
「まだ渡らない」とは、ずっと渡らないことではなく、渡るときを待っていること。きっと全力を蓄えていて、一度にそれを大難に用いるつもり。大難が既に収まれば、小さい者たちも随って渡れるので、故に「大きい川を渡るのに良い」と云う。六三は水が涸れているのを見て、幸いに渡り易くなったとして何度も力を用いてしまい、後に大きい川があると、その力が足りなくなるので、「征けば凶」という。涸れた水をみて渡るのは、初六と六三のことで、初六は「吝(惜しい)」と云うだけで、六三に至っては「凶」なのは、初爻はもっとも下なので「惜しい」だけ、六三は下卦の先駆けなので「(軽率に渡るのは)凶」という。

九四:正しいことに吉、悔いは亡ぶ。震(揺るがす力)は鬼方(殷代の西北の異族)を伐つのに用いる。三年にして大國にて賞せられる。
九四は、(陽爻で大臣の位に居るので)主を揺るがす威を持っている。もし「鬼方」にその力を用いなければ、その鬱勃たる志を行う場がなく、主を揺るがすと悔いが残る。主には正しくて敵(鬼方)に用いれば、「悔いは亡ぶ」ことになる。

六五:正しいものは吉、悔いは無い。君子の光は、信があって吉。
光が身の外に溢れているので、力は用いない。君子の広大な者は、下には九二が応じていて、傍らには九四・上九が居る。険難は未だ平らかならずして、周りにいる三者(九二・九四・上九)は皆な剛で、それらは互いに用いたり用いられたりはしないので、私(六五)に用いられるのを求めてやまず、私のことを謀ったりはしない。なので六五はこの三者を信じて、この三者は六五のために力を尽くし、それでいて私(六五)は何もしない、これが「正しいものは吉、悔いは無い、君子の光」。

上九:信は酒を飲む者にあって、咎は無い。その首を濡らし、信はあっても、そのときを失う。
「是」というのは「その時」のこと。この時(未済の終わり)に至っても渡らないのは、ついに渡らなかったこと。なので「未済」の中で渡れるときは、この時だけなのだが(でも渡らない)。険難がまだ平らかでないとき、六五は私(上九)を信じていて、私を用いようとしているのに、私はそんなとき酒を飲んでいるのは何故か?それはゆったりと機会を待っているので、故に「咎はない」という。上九は首なので、「その首を濡らす」は、首(未済の末期の渡れるとき)になっても酒を飲んでいること。もしこの時に渡らなければ、渡れる時に酒を飲んでいるだけなので、私を信じていた人は時を失うことになる。(『周易』未済の爻辞と『東坡易伝』の解説)

 このだらだらのろのろとお互いに力を蓄めたり様子を見たり、鬱勃たる力を蓄えていたり、力を蓄めていて機会を逃していたりと、まだ色々と整わない様子が「未済」なのですが、それが賁になるとこんな感じです。

彖曰:「賁、亨。」柔来而文剛、故亨。分剛上而文柔、故小利有攸往。(『周易』賁)
剛不得柔以済之、則不能「亨」;柔不附剛、則不能有所往、故柔之「文剛」、剛者所以「亨」也;剛之「文柔」、柔者所以利往也。……『易』有剛・柔・往・来・上下相易之説、而其最著者、賁之彖也。故学者沿是争推其所従變、曰「泰變為賁」、此大惑也。一卦之變為六十三、豈獨為賁也哉。学者徒知泰之為賁、又烏知賁之不為泰乎?凡『易』之所謂剛柔相易者、皆本諸乾・坤也。乾施一陽於坤、以化其一陰而生三子、皆一陽而二陰;凡三子之卦有言「剛来」者、明此本坤也、而乾来化之。坤施一陰於乾、以化其一陽而生三女、皆一陰而二陽;凡三女之卦、有言「柔来」者、明此本乾也、而坤来化之。故凡言此者、皆三子・三女相値之卦也、非是卦也、則無是言也。凡六:蠱之彖曰「剛上而柔下」・賁之彖曰「柔来而文剛、分剛上而文柔」・咸之彖曰「柔上而剛下」・恒之彖曰「剛上而柔下」・損之彖曰「損下益上」・益之彖曰「損上益下」此六者適、適遇而取之也。凡三子・三女相値之卦十有八、而此獨取其六、何也?曰:聖人之所取以為卦、亦多術矣、或取其象、或取其爻、或取其變、或取其剛柔之相易。取其象「天水違行、訟」之類是也;取其爻「六三:履虎尾」之類是也;取其變「頤中有物、曰噬嗑」之類是也;取其剛柔之相易、賁之類是也。夫剛柔之相易、其所取以為卦之一端也、遇其取者則言、不取者則不言也、又何以盡怪之歟?(『東坡易伝』賁)

彖曰:「賁は、上手くいく。」柔がやってきて剛を文(飾る)、なので上手くいく。剛を上に分け与えて柔を文(飾る)、なので往くところに小さい利がある。(『周易』賁)

剛が柔を得ないまま何かをすれば、上手くいくことはなく、柔に剛が付いていなければ、どこかに往くこともできず、なので柔が「剛を飾れば」、剛は「上手くいく」ことになり、剛が「柔を飾れば」、柔は往く先に利がある。……『周易』では「剛柔が往来する」というような上下で入れかわる説明がされることがあるが、その最たる者は、賁の彖伝になる。なので学ぶ者はこれに沿ってその演変することを争って調べて、「泰が変じて賁になった」などと云うが、これは大きな間違いである。一つの卦が変じて六十三の卦になるのに、どうして賁だけなのか。学ぶ者はただ泰が賁になることだけを知っていて、賁が泰になることを知らない。およそ『周易』にある剛柔相易の説は、皆な乾と坤にもとづいている。乾が一陽を坤の中に入れれば、坤の中の一陰を化して三子(震・坎・艮)を生み、皆な一陽にして二陰の卦になる。およそ三子の卦で「剛来りて……」とあるものは、どれも坤に基づいていて、乾の一陽が来たりて化したものになる。坤の一陰が乾の中に入ると、乾の一陽を化して三女(巽・離・兌)を生み、皆な一陰にして二陽の卦で、およそ三女の卦で「柔来たりて……」と云うのは、どれも乾に基づいていて、坤の一陰がやってきて化したものになる。なので、およそこのように言うものは、どれも三子三女のうちどれかが互いに逢っている卦であり、それ以外の卦には、このような言は無い。およそ六つ:蠱の彖伝「剛の上りて柔の下る」・賁の彖伝「柔来りて剛を文(飾り)、剛を上に分かちて柔を文(飾る)」・咸の彖伝「柔は上って剛は下る」・恒の彖伝「剛は上って柔は下る」・損の彖伝「下の乾を損ない、上の坤を益す」・益の彖伝「上の乾を損ない、下の坤を益す」この六つはたまたまそう書いたもので、偶然このことを取っている。およそ三子三女の互いに出会う卦は十八あるのだが、この六つしかそう書いてないのは、どういうことなのか?曰く「聖人の卦から意味を取る方法は多彩であって、或いは象を取り、或いは爻を取り、或いはその演変を取り、或いはその剛柔が入れかわる様子を取っているため。その象を取ったのは「天と水は違う方に流れていく、訟(訟う)」の類で、その爻を取ったのは「(履の六三)虎の尾を履む」の類で、その演変を取ったのは「山雷頤の中に物(陽爻)が入ると、火雷噬嗑」の類で、その剛柔の入れかわりを取ったのは、賁などの類になる。そもそも剛柔の入れかわりは、卦の意味を取る方法の一端で、そのようにして読んだ卦にはそう書いてあるけど、そのように読まなかった卦には書いていないだけなので、怪しむべきことはない。」(『東坡易伝』賁)

 これは真勢流の生卦法にも似ている理論で(近いものは唐・李鼎祚『周易集解』に引用された漢~唐の象数易に多く見える)、賁・咸などの三子三女が出会う卦は「交易生卦」、頤の中に物が入ると噬嗑という読み方は「来往生卦」がそれぞれ近いです(強いて云うなら、火沢睽は上に行く火と下に向かう沢が睽:そむく、沢火革は下に向かう沢と上に向かう火がぶつかり合って性質が革まるという形で真勢中州は解釈しているので、蘇軾があげている天水訟で象伝に依っている解釈は「易位生卦」的です)。

『東坡易伝』は、爻の関係を重く読んでいて、この山火賁の解釈なんて卦辞・彖伝・象伝についてはほとんど解説らしい解説がなく(逆に上に載せた生卦的な解説だけで終わっているので、卦の意味については殆ど何も書いていない)、それぞれの爻についてのところで「どのようにお互いに賁(飾り合うか)」が書かれています。というわけで、それぞれの爻を読んでいきます。

初九:賁其趾、舎車而徒。
「文剛」者、六二也。初九・九三、見文者也。自六二言之、則初九其趾、九三其須也。初九之応在四、六二之文、初九之所不受也。車者、所以養趾、為行文也。初九為趾、則六二之所以文初九者為車矣。初九自潔以答六四之好、故義不乗其車、而徒行也。

六二:賁其須。
六二施陰於二陽之間、初九有応而不受、九三無応而内之。無応而内之者、正也。是以仰賁其須、須者、附上而與之興也。

九三:賁如、濡如、永貞吉。
初九之正配、四也、而九三近之;九三之正配、二也、而初九近之。見近而不貞、則失其正、故九三不貞於二、而貳於四、則其配亦見陵於初九矣。初九亦然、何則?無以相賁也。自九三言之、賁我者二也、濡我者四也;我可以両獲焉、然而以永貞於二為吉也。

六四:賁如、皤如、白馬、翰如。匪寇婚媾。
六四當可疑之位者、以近三也。六二以其賁賁初九、而初九全其潔、皤然也。初九之所以全其潔者、凡以為四也、四可不以潔答之乎?是以潔其車馬、翼然而往従之;以三為「寇」、而莫之「媾」也。此四者、危疑之間、交争之際也、然卒免於侵陵之禍者、以四之無不貞也。

六五:賁于丘園、束帛戔戔。吝、終吉。
「丘園」者、僻陋無人之地也。五無応于下、而上九之所賁也、故曰「賁于丘園」。而上九亦無応者也、夫両窮而無帰、則薄禮可以相縻而長久也。是以雖吝而有終、可不謂吉乎?彼苟有以相喜、則吝而吉可也。「戔戔」、小也。

上九:白賁、無咎。
象曰:「白賁無咎」、上得志也。
夫柔之文剛也、往附於剛、以賁従人者也。剛之文柔也、柔来附之、以人従賁者也。以賁従人、則賁存乎人;以人従賁、則賁存乎己、此上九之所以「得志」也。陽行其志、而陰聴命、惟其所賁。故曰「白賁」。受賁、莫若白。

初九:その趾(あし)を飾る、車を捨てて徒(歩いていく)。
「剛を文(飾る)」とは、六二のこと。初九・九三は、飾られる者になる。六二からみれば、初九は下にあるので趾(足)、九三は上にあるので須(鬚)になる。初九は六四と応じていて、六二から飾られても、初九はそれを受け取らない。車は、趾を養うもので、それによって趾を飾っている。初九は趾なので、六二が初九を飾ると車になる。初九はみずから潔にして六四の飾りに答えているので、六二の車に乗るわけには行かず、歩いて行くことになる。

六二:その鬚を飾る。
六二は陰気を二つの陽の間に施しており、初九は応じているものがあって受け取らず、九三は応じているものが無いのでそれを引き入れる。応じているものが無いので引き入れるのは、正しいこと。なので九三を仰ぎみてその鬚を飾ることになり、須(鬚)とは、上に附いて飾ることの連想的な縁語。

九三:飾ったり、放り置かれたりするけど、永く貞しくすれば吉。
初九の正しい相手は六四だけど、九三は六四の近くにいる。九三の正しい相手は六二だけど、初九は六二の近くにいる。近くにいる者と結びついてしまうと、その正しい結びつきを失うので、九三が六二を捨てて、六四への貳(二心)を抱いていると、その二心の結びつきは初九(六四の正しい相手)に切られることになる。初九も同じで(初九の正しい相手は六四なのに、近くにいる六二と結びつくと、その結びつきは六二の正しい相手の九三から切られる)、どうすればいいのか?そういうときは此方から飾らないようにすることで、九三について云えば、私を飾る者は六二で、私を濡(放っておく)者は六四になる。私はそのどちらも選び得るのだが、ずっと正しい相手の六二と結びつくのが吉。

六四:飾り立て、皤如(すっきりとしており)、白い馬は、翰如(堂々としている)。寇(妨げる者)が婚媾(結びつく)ことはないけど。
六四は疑い多き位なのは、九三に近いため。六二は初九を飾り立てるけど、初九は潔然として受け取らないので、皤然(白くすっきりしている)。初九が白くすっきりしているのは、六四に答えるためで、六四もきれいなもので答えることになる。なので初九(趾)を飾る車馬をきれいにして、翼然(大きく整えて)往いて初九に従う。九三はそれを「寇(妨げる)」けど、それでも六四は九三と「媾(結びつく)」わけではない。この四者(初九~六四)は、疑いあう関係・交争の中にあって、それでもついには侵陵される禍を互いに免れるのは、六四が正しい結びつきを守るから。

六五:丘園で飾る。束帛(贈り合う布)は小さい。惜しいところはあるけど、終には吉。
「丘園」とは、僻陋にして人がいないところのこと。六五は下に応じるものが無いので、上九から飾られていて、なので「丘園で飾られる」という。上九は同じく応じている者が無いので、共に窮していて帰るところも無く、それなので薄禮で相縻(互いに結びついて)長く久しい関係になる。なので惜しいところもあるけど終わり方は良いので、吉と云える。相手(上六)ももし喜んでくれたら、惜しいけど吉だろう。「戔戔」とは、小さいこと。

上九:白いものを飾る、咎は無い。
象曰:「白賁無咎」、上九は志を得る。
柔が剛を飾るとき、往きて剛に従っている様子になるので、飾ることによって大きい人に従うことになる。剛が柔を飾るときは、柔がやってきて従う様子になるので、人が飾るものに従う様子になる。飾ることで大きい人に従うとき(柔が剛を飾るとき)、飾ってくれるのは人。人が飾ってくれるものに従うとき(剛が柔を飾るとき)、飾るのは私(飾ることで人をあつめる側)、これは上九が「志を得る」理由。陽は思っていること(志)を行って、陰はその命を聴く様子は、陽が飾ってくれるものを思って合わせること。なので「白いものを飾る」という。飾りを受けるのは、白いものが最もよく飾られるので。

(わかりづらいけど、柔が相手を飾るときは相手に合わせるようにして、剛が相手を飾るときは相手をみずからの色に相手を含むように飾ること。上九は陽なので、六五は上九まで出向いて飾り、上九は六五をみずからの思いに合わせてもらう)

 これを読むと、お互いに飾り合ったり、飾られても受け取らなかったりしているのがみえます。蘇軾の解釈では、山火賁という状態を「飾る」という意味で読んだり、「山の下に火があって、山の内側に文明の徳を留めている(象伝・彖伝)」と読むより、どちらかと云うと六つの爻が互いに飾り合う様子が、どのように飾り合っているかが「賁」という状態みたいな解釈になっていそうで(注釈のつけ方がそれらしい)、この飾り合いとどことなく完全ではない様子が賁の印象だと思います。

 なので、未済(まだ渡れないときなので、それぞれ力を蓄えている様子)から賁(お互いに不完全なまま飾り合う様子)になることが「華首山頭、仙道所游。利以居止、常無咎憂(華山の頂きは、神仙の游ぶところで、居て止まるに良く、常に咎憂もない)」は、もとの記事では『老子』第四十五章の

大成若缺、其用不弊。大盈若沖、其用不窮。大直若屈、大巧若拙、大辯若訥。躁勝寒静勝熱。清静為天下正。

大成(本当によく出来たものは)缺けているようで、その用(働き)は弊(疲)ない。大盈(本当に満ちているものは)沖(空しい)ようで、その用(働き)は窮らない。大直は屈しているようで、大巧は拙いようで、大辯は訥(口が重い)ようであって、躁(騒がしいもの)は寒いときに欲しくなるけど、静かなものは熱いときに欲しくなる。清静(すっきりとして静かなこと)は天下の正(本当の姿)である。

のように、いつまでも不完全なもの(未済)をそのままで生きた渾沌と見做して、陰陽の交錯を天地の文、溢れてくる飾り合いを人の文とする様子(賁)みたいに思っていたのですが、蘇軾の解釈で卦を読むと

致虚極、守静篤。萬物並作、吾以観復。夫物芸芸、各復帰其根。帰根曰静、是謂復命。(『老子』十六章)
虚ろな極みに至りて、静かで篤実なものを守れば、萬物はそれぞれ起っては、私はそれが復(帰っていくのを)観る。そもそも物が芸芸(よく茂っていても)、各々その根に帰っていく。根に帰るのを「静」といい、これを「命に帰る」という。

みたいに、物事は近いうちに動こうとして力を蓄えて溢れそうになっているけれど、いつの間にか不完全なままでの飾り合いになって春の花・秋の華みたいに茂り合っているのを観ている、それは人を寄せつけない華山の頂きのような神仙の游ぶところからで、そうしていれば咎や憂いもない……というもはや蘇軾の文章みたいな解釈になります。

(違いが分かりづらいけど、もとの記事では不完全なものを生きた渾沌の文とみる、『東坡易伝』に依る解釈ではまだ機会が来ないので力を蓄えていると、いつの間にか酒を飲んで待っていたものや鬼方を伐つ力を持っていたものはそれぞれ別の飾り合いになってしまい、のろのろぐつぐつと蓄まっていた力はどことなく不安定な飾り合いになっていく……という様子です)

否之同人

衆鬼瓦聚、中有大怪。九身無頭、魂驚魄去、不可以居。
多くの鬼が瓦聚して、その中に大怪あり。九身にして頭無く、みれば魂は驚き魄は去り、居られない。

 これはなかなか奇怪な詩で好みなのですが、元の解釈では「否は天地の気が離れ切ってしまい、暗くなっていく様子、同人は野において心を同じくする人たちが集まって割拠する様子。暗い中で割拠する魍魎たちの長となるのは九身にして頭のない大きい鬼で、それをみると驚いて崩れ落ちそうになるほど」という意味で読んでいます。これを蘇軾の解釈で読んでみると、あまり大きい違いはないのですが、こんな雰囲気になります。

否之匪人、不利君子貞、大往小来。
彖曰:「否之匪人、不利君子貞、大往小来」、則是天地不交而萬物不通也、上下不交而天下無邦也。内陰而外陽、内柔而外剛、内小人而外君子、小人道長、君子道消也。(『周易』否)
『春秋傳』曰「不有君子、其能國乎?」君子道消、雖有國、與無同矣。(『東坡易伝』否)

否は、その人に非ざること。君子の正しさに利はなく、大きいものは往ってしまい小さいものが来る。
彖曰:「否は、その人に非ざること。君子の正しさに利はなく、大きいものは往ってしまい小さいものが来る」とは、天地が交らずして萬物も通じないこと、上下が交らずして天下に邦が無くなること。内は陰にして外は陽、内は柔にして外は剛、内は小人にして外は君子、小人の道は長じて、君子の道は消える。(『周易』否)
『春秋左氏伝』文公十二年に「君子が居なければ、国と云えるのか?」とあって、君子の道が消えれば、国があったとしても、無いのと同じになる。(『東坡易伝』否)

同人于野、亨、利涉大川。(『周易』同人)
「野」者、無求之地也。立於無求之地、則凡従我者、皆誠同也。彼非誠同、而能従我於野哉。「同人」而不得其誠同、可謂「同人」乎?故天與人同、物之能同於天者蓋寡矣。天非求同於物、非求不同於物也、立乎上、而天下之能同者自至焉、其不能者不至也、至者非我援之、不至者非我拒之、不拒不援、是以得其誠同、而可以「涉川」也。故曰「同人於野、亨。」……苟不得其誠同、與之居安則合、與之涉川則潰矣。涉川而不潰者、誠同也。(『東坡易伝』同人)

野で人と同じくする。上手くいく。大きい川を渉るのに良い。(『周易』同人)
……「野」というのは、何かを求めていない地のこと。何かを求められていない地に立って、そのようにして私に従ってくるのは、皆な誠を同じくする者になる。もし誠を同じくする者でなければ、私に野で同じくしてくれないだろう。「同人」しているのにその誠を同じくしていないのは、「同人」とは云えない。なので、天と人が同じくするとき、物の中で天と同じくできる者は少ない。天は物に同じくするよう求めるわけでもなく、同じくしないよう求めるわけでもなく、天は上に立っていて、天下のうちで同じくできる者がみずからやって来て、同じくできない者は来ないが、やって来た者は私が援けたわけでもなく、やって来ない者は私が拒んだわけでもなく、拒まず援けずして、その誠の同じなのに依っており、それ故「川を渉れる」。なので「人と野に同じくするのは、上手くいく」と云う。……もし誠の同じでない者が、寄り集まって安らかなところに居て合わされば、それと川を渉ったりすると潰えてしまう。川を涉って潰えないのは、誠が同じ者。(『東坡易伝』同人)

象曰:天與火、同人。君子以類族辨物。(『周易』同人)
水之於地為比、火之與天為同人。同人與比、相近而不同、不可不察也。比以無所不比為比、而同人以有所不同為同、故「君子以類族辨物」。(『東坡易伝』同人)

象曰:天と火、これが人と同じくすること。君子は類族によって物を辨(分ける)。(『周易』同人)
水が地の上にあるのが「比(親しむ)」、火が天と一緒にいるのが「同人」。同人と比は、近いところもあるけど違っていて、その違いを知るべき。比は親しまないものが居ない様子を「比」と云っていて、同人は同じくしない物が居る様子を同人としており、なので「君子は類族によって物を分ける」と云う。

 これをみると、蘇軾は同人は「野に於いて思いを同じくするものたちがみずから聚まってくる様子」だと解釈していて、『周易正義』で「野是広遠之処、借其野名、喩其広遠、言和同於人、必須寬広、無所不同。用心無私、処非近狭、遠至於野、乃得亨進、故云「同人於野、亨」(野は広遠のところで、その野の名を借りて、広遠なことを喩えており、人と和して同じようとすれば、必ず寬広なことが求められ、同じない者はいなくなる。心を用いること無私で、居るところは近狭ではなく、遠く野に至っており、それ故上手くいって進むので、「人と野に同じくする、上手くいく」という)とあって、野を広く遠いところ、同人を「広く仲間を集める様子」だとしていて、『東坡易伝』の「野に於いて求められずして聚まってくる鬼たち」という雰囲気が『易林』の詩の瓌麗雄偉な印象に合っている気がするのですが……。

 ちなみに、爻辞の解釈ではこんな感じです。

六二:同人于宗、吝。
凡言「媾」者、其外応也;凡言「宗」者、其同體也。九五為「媾」、九三為「宗」。従「媾」、正也;従「宗」、不正也。六二之所欲従者、「媾」也;而「宗」欲得之、正者遠而不相及;不正者近而足以相困。苟不能自力於難而安於易、以同乎不正、則吝矣。

九三:伏戎於莽、升其高陵、三歲不興。
九四:乗其墉、弗克攻、吉。
六二之欲、同乎五也。歴三與四而後至、故三與四皆欲得之。四近於五、五乗其墉、其勢至迫而不可動、是以雖有争二之心、而未有起戎之迹、故猶可知困而不攻、反而獲吉也。若三之於五也、稍遠而肆焉。五在其陵、而不在其墉、是以伏戎於莽而伺之、既已起戎矣、雖欲反、則可得乎?欲興不能、欲帰不可、至於三歲、行将安入?故曰「三歲不興、安行也?」

九五:同人、先號咷、而後笑。大師克、相遇。
子曰:「君子之道、或出或處、或黙或語。二人同心、其利断金;同心之言、其臭如蘭。」由此観之、豈以用師而少五哉?夫以三・四之強而不能奪、始於「號啕」、而卒達於「笑」。至於用師、相克矣;而不能散其同、此所以知二・五之誠同也。二、陰也;五、陽也、陰陽不同而為「同人」、是以知其同之可必也。君子出・處・語・黙不同而為「同人」、是以知其同之可必也。苟可必也、則雖有堅強之物、莫能間之矣。故曰「其利断金」。蘭之有臭、誠有之也、二五之同、其心誠同也、故曰「其臭如蘭」。

六二:人と宗(一族の中)で同じくすると、惜しい。
およそ「媾(婚)」というのは、卦の外に応じる爻があり、「宗」というのは、同族要素のある爻があること。九五は「媾(婚)」、九三は「宗(同族)」になる。「媾」に従うのは、正しい相手、「宗」に従うのは、正しい相手ではない。六二が従おうとするのは「媾(九五)」なのだが、「宗(九三)」も六二を得ようとするので、正しい者は遠くて及ばず、正しくない者は近くにいて困らせてくる。もし、みずから難に逆らえずして易きに落ち着いてしまうと、正しくないものに同じているので(天:九五に同じているのが正しいので)、九三に同じているのは惜しい。

九三:戎(武器)を莽(草叢の中)に伏(隠している)。その高い陵(おか)に升り、三年経っても動けない。
九四:その墉(城壁)に乗っているので、攻めて勝つことができない。吉。
六二の欲することは、九五と同じ(同人)なので、九三と九四を経て九五までたどり着くのだが、その間では九三と九四が皆な六二を得ようとする。九四は九五に近いので、九五はその墉(城壁)に乗って守り、その勢いは迫り至るけど、九五を動かすことはできず、なので六二を得ようと争う心があっても、兵を起こすことをしないので、九五を落とすのは難しいと知って攻めず、帰っていって吉を獲る。九三は、九五からやや離れていて好きにできる。九五はその陵(おか)の上にいて、城壁には乗っていないので(それほど守りを固めていないので)、九三は戎(武器)を莽(草叢の中)に隠して様子を窺っていて、既に兵を起こしているのだが、九五に背こうとして、それもできず、帰ろうとしてそれもできず、三年が経ってしまい、どこにも入って行けない。なので「三年経っても興らず、どこへ行く?」と小象伝に云う。

九五:同人する。先には號咷(泣き叫び)、その後に笑う。大師(大軍)は勝ち、出会うことになる。
子曰く「君子の道は、或いは出でて或いは居り、或いは黙り或いは語る。二人は心を同じくして、その鋭きこと金を断つごとく、同心の言は、その香りは蘭の如し。」(『周易』繋辞伝より)これに依ってみてみると、兵を用いたからと云って九五を低く見てはいけない。そもそも九三・九四は強いて六二を奪おうとして奪えず、九五はそれをみて始めは「號啕(泣き叫んで)」いても、ついには「笑う」ことになると。九五が師(兵)を用いるに至って、九三・九四を倒しているが、心を同じくするもの(六二)は倒せないので、これに依って六二・九五の誠を同じくしているのを知る。六二は陰、九五は陽で、陰陽が異なっていて、それでも「同人」するのは、その同じくするのが必然なのを知ることになる。君子は出たり留まったり、話したり黙ったりが同じでなくても「同人」できるのは、その同じなのが必然だと知っているからで、そのように必然の同じだとすれば、たとえ堅強の物が間に入っても隔てることはできず、故に「その鋭きこと金を断つごとく」と云い、蘭の香りはその内側から本当に漂っているように、六二・九五の同じなのは、その心が誠に同じなので、「その香りは蘭の如し」と云う。

 これをみると、六二・九五が心を同じくしていて、六二は九五のところに向かう・九五は六二を奪おうとする九三・九四を倒していくという雰囲気が伝わってきます。さらに、初九・上九も居るのですが、

初九:同人于門、無咎。
初九自内出、同於上;上九自外入、同於下。自内出、故言「門」;自外入、故言「郊」。能出其門而同於人、不自用者也。

上九:同人于郊、無悔。
物之同於乾者已寡矣、今又處乾之上、則同之者尤難。以其無所苟同、則可以「無悔」;以其莫與共立、則「志未得也」。

初九:門で同人する。咎はない。
初九は内から出てきたばかりで、上の爻たちと同人しようとしている。上九は外から入ってきたばかりで、下の爻たちと同人しようとしている。中から出てきたので「門」、外から入ってきたので「郊(街の外の広い野)」という。門を出て同人する人を集めているので、みずから何かをするわけではない。

上九:郊(街の外の広い野)で同人する。悔いはない。
「乾(高邁な徳)」に同じくできる物は少ないのに、さらに今は乾(天火同人の外卦)の上に居て、それに同じくできる物はさらに少ない。そのような同じくできる物が少ないときは、「(何かを起こした故の)悔いは無い」けれど、共に立ってくれる物が居ないので、「志は未だ得られない」と小象伝にある。

 これを合わせて読んでみると、六二はどことなく『水滸伝』の梁山泊みたいな雰囲気、九五は傾きかけた王家、九三は地方の奸臣で、義賊(六二)を引き入れようとしていて、さらに私兵を養い私財を蓄えて王家を窺窬して未だ兵を動かさず、九四は地方の大軍閥だけど、まだ機会が来ないのでとりあえず帰った様子みたいになって、六二と九五は主役・九三と九四は脇役・初九と上九は「同人」劇の雰囲気を醸している端役(群小勢力的な)みたいな感じで、爻が生きている感じが楽しいです。

剥之大有

 というわけで、四つめの剥之大有です。

庭燎夜明、追古傷今。陽弱不制、陰雄生戻。
庭燎は夜に明るく、古を追って今を傷む。陽は弱くして制せられず、陰は熾んにして戻(厲:不祥)を生む。

 もとの記事では「剥は晩秋の夕暮れのような時間、それなのに大有(たくさん持っている)と思い込みたいとき、虚ろな幻術に浸りたくなる気持ちが、夜に庭燎(ひ)を焚いて祭祀をする様子に似ている」みたいに解釈したのですが、『東坡易伝』でそれぞれの卦を読んでいくとこんな感じです。

六五:貫魚、以宮人寵、無不利。
観之世幾於剥矣、而言不及小人者、其主陽也;六五、剥之主、凡剥者、皆其類也。聖人不能使之無寵於其類、故擇其害之浅者許之。四以下、「貫魚」之象也。自上及下、施寵均也。夫寵均、則勢分;勢分、則害浅矣。以宮人之寵寵之、不及以政也。不及以政、豈惟自安、亦以安之、故「無不利」。聖人之教人也、容其或有而去其太甚、庶幾従之。如責之以必無、則彼有不従而已矣。

上九:碩果不食、君子得輿、小人剥廬。
「果」、未有不見食者也;「碩」而不見食、必不可食者也。智者去之、愚者眷焉。上九之失民久矣、五陰之勢足以轢而取之、然且獨存於上者、彼特存我以為名爾、與之合則存、不與之合則亡、君子以為是不可食之果也、而亟去之。彼得志於上、必食其下、故君子去其上而出其下、可以得民。載於下謂之「輿」、庇於上謂之「廬」。「廬」者、既剥之餘也、豈可復用哉。(『周易』剥・『東坡易伝』剥より)

六五:厥孚交如、威如、吉。(『周易』大有)
處群剛之間、而獨用柔、無備之甚者也。以其無備而物信之、故帰之者交如也。此柔而能威者、何也?以其無備、知其有餘也。夫備生於不足、不足之形見於外、則威削。(『周易』大有・『東坡易伝』大有より)

剥 六五:魚を連ねるように、宮人の寵を以てする。利のないものは無い。
風地観(十二消長卦で剥の一つ前)の世は山地剥に近いのだが、小人について云わないのは、陽を主にしているからで、剥の六五は剥卦の主になるのだが、およそ剥は、皆なそんな感じになっている。聖人はもはや群陰たちを寵さない訳にはいかず、それ故その害が少ないことを択んで寵している。六四より下は、「魚を連ねた」様子になっている。上から下まで、その寵愛は均しく、寵愛が均しければ、その勢は分かれ、その勢が分かれれば、その害も浅くなる。宮人(宮女)の寵によって寵愛して、政事には関わらないので、政事に関わらなければ、自ら安らかなだけでなく、その群陰たちも安らかなので、故に「利のないものは無い」という。聖人が人を教えるときは、その中の或るものを受け容れてその甚だしいものを削り、従ってくれることを願うので、それを責めて無理やり悪いものを無くさせると、人は私に従わないだけになる。

剥 上九:碩果(大きい木の実)が食べられていない。君子は輿を得て、小人は廬を剥がす。
「木の実」は、食べられないものはないはずなのに、「碩(大きく)」なっても食べられていないのは、必ずや食べてはいけない物なのだろう。智者はこれを去り、愚者はこれを眷(羨ましげに見つめる)。上九が民を失うこと久しくして、五陰の勢は差し逼ってこれを取ろうとするが、それでも上にひとつだけ残っているのは、五陰はそれを残すことで名だけのものにするつもりなので、五陰と合わせていれば残り、五陰と合わせなければ亡ぼされる。故に君子はこれを「食べてはいけない木の実」として、速やかに去っていく。五陰は志を上に得て、必ずやその下のものを食べようとしており、なので君子はその上を去って下に行き、民を得るようにする。下で載せるものを「輿」、上を庇うものを「廬」と云う。「廬」は、既に剥がされたものの残りでしかなく、用いることもできない。(『周易』剥・『東坡易伝』剥より)

大有 六五:その信は交如(互いに集まってきて)、威もあって、吉。(『周易』大有)
多くの陽の間に居て、一人だけ陰柔の気なのは、無備の甚しいもの。その無備な故を以て周りのものは一つの陰を信じるので、それに帰する者は交如(互いに集まり交わるごとく)になる。この柔にして威もある者は、何故なのかと云えば、備えないことによって、餘り有ることを知るためで、そもそも備えは不足から生まれるので、不足していることが外にあらわれてしまい、そのせいで威が削がれる。(『周易』大有・『東坡易伝』大有より)

 剥は多くの陰が陽を削っていく様子ですが、その中でも特に重い意味をもっている爻は六五と上九です。六五は上ってくる陰たちを、後宮のような実際のことに関わらないところに引き入れていくこと、上九は群陰に推されて上に飾られているような位という意味です。さらに大有は六五を除いてすべてが陽爻なので、熾んに動いている周りの陽爻の中で、一人だけ陰爻が静かにしているのは無備なこと甚しいけど、それ故に周りのものたちに信ぜられる……という様子です。

 これを詩の意味と重ねてみると、庭燎は竹や葦を束ねて、さらに油を浸み込ませて作った大きい燭のことで、それをたくさん並べ立てて烜々煌々とした末世の宴です。その末世の宴は簫管弦歌の弛張錯雑して、以て密座を娯しみ華房は繊羅多くして苛縟紛亂な末世の宴で、鐘笙姣燭の横溢するような雰囲気なので、陰麗にして頽廃的な宮廷の大燎墳燭……という感じだと思います(いままでの解釈に比べて、より狎臣も多くして宮女も哀婉な雰囲気に浸っていて、高聲礘(痩せて堅く)、正聲緩、下聲は肆にして、陂(つまづいた)聲は散、険聲は斂にして、達聲も贏(痩せていて)、微聲は韽(もの暗く)、回聲は衍、侈聲は筰(さらさらとして)、弇(蔽われた)聲は郁(飾り立ててあって)、薄い聲は甄(つやつやしており)、厚い聲は石(乾いている)……みたいな詭恠妖麗さが出ている)。

萃之比

 そんな感じで、五つめの萃之比を読んでいきます。易林の詩はこんな感じです。

德施流行、利之四郷。雨師灑道、風伯逐殃。巡狩封禅、以告成功。
德は施され流れ行き、四方(よも)の郷を利す。雨師は道を灑(清め)、風伯は殃いを逐い、巡狩しては封禅し、以て功を成すを告げる。

 これはまず、萃を読んでみると

彖曰:萃、聚也。
『易』曰「方以類聚、物以群分。」有「聚」、必有黨;有黨、必有争。故「萃」者、争之大也。盍取其爻而観之、五能萃二、四能萃初、近四而無応、則四能萃三;近五而無応、則五能萃上。此豈非其交争之際也哉。

彖曰:萃は、聚まる。順にして悦び、剛は中にあって応じているので、故に聚まってくる。
『周易』繋辞伝に「方(法術性行)は類によって聚まり、物は群によって分れる」とある。「聚まる」ことがあれば、必ず党派ができて、党派があれば、必ず争いが起こる。故に「萃:聚まる」は、争いの大なること。思うに、その爻から萃の卦をみてみると、九五は六二を聚め、九四は初六を聚める。また六三は九四に近くて応じている爻はないので、九四は六三を聚めることになり、上六は九五に近くて応じていないので、九五は上六を聚めることになる。これは互いに争う姿に似ている。

とあって、萃は聚める様子だけど、その聚まり方は幾つかの派閥に分かれるように聚まるので、その分かれ方は六二・九五・上六側と初六・六三・九四側という感じになっています。その党派ごとの様子をみていくと

六二:引吉、無咎。孚乃利用禴。
陰之従陽、以難進為吉。六二得位而安其中、不急於變、志以従上者也、故九五引之而後従。引之而後従、則其聚也固;是以吉而無復有咎。「禴」者、禮之薄者也、故用於既信之後。上以利禄聚之下、豈以利禄報之哉。故上「用大牲」而下用「禴」、以為有重於此者矣。

九五:萃有位、無咎。匪孚、元永貞、悔亡。
九五萃之主也、萃有四陰、而九四分其二;以位為心者、未有能容此者也、故曰「萃有位、無咎。」挟位以忌四為無咎、而己志不光矣、惟大人為能忘位以任四。夫能忘位以任四、則四且為吾用、而二陰者獨何往哉。「匪孚」者、非其所孚也;「元」者、始也;「元永貞」者、始既以従之、則終身為之貞也。自六二之外、皆非我之所孚也;非我之所孚、則我不求聚、使各得永貞於其始之所従、「悔亡」之道也。

上六:齎咨涕洟、無咎。
「未安上者」、不楽在五上也。

六二:引き入れられて吉、咎なし。信ありて禴(簡素な祭り)に用いるによい。
陰が陽に従うときは、なかなか進んで来ないのを吉とする。六二は位を得て中に安んじているので、変わることを急いでおらず、それでも志は上の九五に従っているものなので、故に九五はそれを引き入れて後に従う。引き入れて後に従えば、その聚まることは固く、それなので吉にしてさらに咎もなくなる。「禴」というのは、祭りの簡約なもので、これを既に九五から信じられた後に用いる。九五は禄によって六二を聚めているので、六二は禄によって九五に答えるということはなく、なので萃の彖伝に「大牲(大きい贄)を用いる」とあって(これについて蘇軾は「『周易』で、薦(供え物をする)・盥(祭儀の前に手を洗う)・禴(簡素な祭り)・享(鬼神への捧げもの)などというのは、実際にその祭りをするのを云うのではなく、皆な寄托としてで、「大牲を用いる」とは,大禄を用いることを云う。『周易』繋辞伝「何によって人を聚めるのかと云えば財」というのは聚めるものが大きくなれば、その用いる財も大きくなるのを云っている。天が私に命じて物の主とするとき、私に財を多く与えようというのではない。もし坐ってそれを受け取るだけだと誤ることになる」と読んでいて、これは人を聚める側について云っている)六二は「禴」として、九五のほうを重くしている。

九五:聚めるのに位があり、咎はない。信じるもの以外は、始めのごとくそのままにすれば永く正しく、悔は亡ぶ。
九五は萃の主で、萃には四つの陰があるが、九四はそのうちの二つを分けて取っている。位によって心を為すものは、九四が二陰を取っているのを受け容れないので、「萃めるのに位があり、咎はない」という。位に挟(しがみついて)九四を忌み嫌うのは咎はなくても、みずからの志は光らないので、ただ大人のみ位を忘れて九四を任じて用いることができる。そうして位を忘れ九四を任用すれば、九四も私のために用をなし、二陰も九四に従うことになる。「信じるもの以外は……」というのは、九四に従っている二陰のこと、「元」は始めの意、「元永貞」とは、始めのように二陰を九四に従わせれば、ずっとそのまま正しいこと。六二以外は、皆な私の信じるものではなく、私の信じるものでなければ、私は聚まることを求めず、各々その始めに従ったところで永く正しくさせておけば、「悔いは亡ぶ」道になる。

上六:齎咨涕洟(ずびずびと泣いている)、咎なし。
小象伝に「上に安んじない」と云われているのは、九五の上にあるのを楽しまないこと。

初六:有孚不終、乃亂乃萃。若號、一握為笑。勿恤、往無咎。
初六之所応者、九四也;九四有信之者而「不終」、六三是也。始以無応而「萃」於四、終以四之有応、咨嗟而去之、故其象曰「萃如、嗟如。」此志亂而苟聚者也。「若號、一握為笑」者、「號」且「笑」也、「一握」者、其聲也、「號」「笑」雑也。君子之於禍福審矣、故笑則不號、號則不笑;先否而後通、則先號而後笑、未有號笑雑者也。此其志已亂焉、能為我寇哉。故「勿恤、往無咎」。

六三:萃如、嗟如。無攸利、往無咎、小吝。
六三之萃於四、四與我與初皆不利也、去而之上、上亦無応、「巽」而納我者也、故雖「小吝」而「無咎」。

九四:大吉、無咎。
非其位而有聚物之権、五之所忌也;非「大吉」、則有咎矣。

初六:信があっても不終(続かないので)、乃ち乱れ乃ち聚まる。泣くごとくして、一握りに笑う。恤う勿れ、往きて咎なし。
初六の応ずるものは、九四。九四の信があっても「不終(続かない)」ものは、六三。六三は始め応じてくれる爻がないので九四のところに聚まるのだが、九四は初六と応じているので、咨嗟(嘆きながら)去っていき、なのでその爻辞に「萃如(聚まりては)、嗟如(嘆いている)」とある。これは思いが乱れて一時的に聚まっている様子。「若號(泣き号ぶごとくして)、一握りに笑っている」とは、「號き」ながら「笑っている」こと、「一握」とは、その聲が泣きながら笑っていること、「號」「笑」の混ざる様子。君子が禍福を知るときには、笑っていれば泣くことはなく、泣いていれば笑うことはなく、先に否にして後に通じれば、先に泣いて後に笑い、泣くのと笑うのが混ざることはない。これはその思いが乱れているので、私(初六)に寇を為すことはない。なので「恤(憂う)勿れ、往きて咎なし」という。

六三:萃如(聚まってきて)、嗟如(嘆いている)。利のあることはないが、往きて咎はなく、それでも少し惜しいところがある。
六三は九四に聚まるのだが、九四は私(九三)や初六を利さない。去って上六に行こうとすれば、上六も応じてくれないが、それでも「巽(下って)」私(六三)を納れてくれるので、「少し惜しい」ところがあっても「咎はない」。

九四:大吉、咎なし。
九四は、その位でないのに物を聚める権をもっており、九五に忌まれている。もし「大吉」でなかったら、咎があることになる。

 九五は位も内実もあって人を大禄で聚めているもの、九四は位はやや僭しているが、九五のために動いてくれれば咎はない大軍閥みたいな感じです。それに聚まる物たちは、初六は他にも重用されるものが居ては行かないほうがいいのかも知れないと悩んでいたり、六二は九五に迎えられていたり、六三は九四に聚まっても初六が居て用いられず(九四は大軍閥の主ではあっても人を用いるのはあまり上手くない性格らしい)、代わりに上六(あまり積極的に動いてくれる人ではない)のところに行ったり、上六はとにかく退隠的でみずから動かないけど人をそれなりに聚めている老臣みたいな雰囲気です。

 これが比になると、

彖曰:……不寧方来、上下応也。
不寧方来、謂五陰也。五陰不能自安、而求安於五。

彖曰:……不寧(寧らかならざる)ものも来るのは、上下が応じているから。
「不寧(寧らかでない)ものも来る」とは、五陰のことを云っている。五陰はみずから安じることができず、九五に安んじることを求める。

のように、萃の九四のような分立していた勢力がなくなって、すべての陰が九五に聚まっている様子になります。その爻辞を読んでみると、

初六:有孚、比之、無咎。有孚盈缶、終来有他、吉。
五陰皆求比於五。初六最處於其下、而上無応、急於比者也。夫急於求人者、必尽其誠、故莫如初六之有信也。五以其急於求人也而忽之、則来者懈矣。故必「比之」、然後「無咎」。是有信者、其初甚微且約也、其小盈缶而已;然而因是可以致来者、故曰「終来有他、吉」。

六二:比之自内、貞吉。
以応為比、故自内於二、可謂「貞吉」、「不自失」者;於五、則陋矣。

六三:比之匪人。
近者皆陰、而遠無応、故曰「匪人」。

六四:外比之、貞吉。
「上」、謂五也。非応而比、故曰「外比」。

上六:比之無首、凶。
「無首」、猶言無素也。窮而後比、是無素也。

初六:信あり。これに親しんで、咎なし。信ありて缶を盈たし、終に来るものは他にもあり、吉。
五陰は皆な九五に比(親しむ)ことを求めている。初六は最も低いところに居て、上には応じる爻もなく、親しむことに急なもの。人を求めることに急なものは、必ずその誠を尽し、故に初六ほど信のあるものはいない。九五は初六が人を求めることに急なのをみて忽之(安心して置いておくようになると)、来るもの(初六)は懈(気がだらけてしまう)。なので、必ず「まず親しんで」、のちに「咎なし」。初六は信あるものにして、その初めは甚だ微にして簡約なので、その小ささは缶(酒壺)を盈たすだけなのだが、それによってさらに来るものを致すことにもなり、故に「終に来たること他にもあり、吉」という。

六二:親しむことは内に居ること、正しくて吉。
応じる爻と親しむので、故にみずから内(二爻)に居れば、「正しくて吉」と云う。小象伝に「みずから失わず」と云うのは、九五に求めるのは、陋(野暮なこと)。

六三:親しむ人は、その人じゃない。
近くにいるのは皆な陰で、遠くの上六は応じてないので、故に「その人じゃない」(親しむべきは六二・六四・上六ではなく、九五)。

六四:外れて親しむ、正しくて吉。
小象伝に「上に従う」というのは、九五に親しむこと。応じていないので隣の九五に親しむので、「外比(外れて親しむ)」と云う。

上六:親しむことは首(始めのごとく)ではなく、凶。
「無首」とは、素(もと)の如くではないこと。窮して後に親しむのは、素の如くではない。

九五に皆な親しんでやって来る様子みたいになっていて、それ故「九五は経天緯地の才を以て、九四の戦陣は風飇よりも勇にして、長鯨の鱗を斬り、飛虎の翼を截って、是を以て萃の比に変じて一たび怒いて諸侯懼れ、九五は安居して天下寧……」というのが「德は施され流れ行き、四方の郷を利す。雨師は道を灑め、風伯は殃いを逐い、巡狩しては封禅し、以て功を成すを告げる」みたいな雰囲気になります。

 ちなみに、萃の中では二・五・上と初・三・四に分かれているという解釈は『周易正義』『周易集解』などにはないのですが、この分立感を入れたほうが『易林』の詩の雰囲気と合っている気がします(四方の分立状態を一つに併合した印象が『易林』の詩には漂っている)。

 あと、剥之大有みたいに主役となる爻をみながら読んでいくと、意外と焦贛は『易林』を作るときに、それぞれの卦の意味として爻の関係性まで含めていたのかもです(この例だけでは何とも云えないけど)。

 余談ですが、『東坡易伝』では卦の解釈をするときに(全てがそうではないですが)、例えば彖伝の

彖曰:……剛柔分、動而明。
『周易正義』:剛柔分謂震剛在下、離柔在上。
『東坡易伝』:噬嗑之時、噬非其類而居其間者也。陽欲噬陰、以合乎陽;陰欲噬陽、以合乎陰。故曰「剛柔分、動而明」也。

彖曰:……剛柔分かれ、動きて明らか。
『周易正義』:「剛柔分かれ」というのは震の剛が下にあって、離の柔が上にあること。
『東坡易伝』:噬嗑(嚙み砕く)とき、その類(仲間)でなくて間に入っているものを噬(嚙み砕く)。陽は陰を噬(嚙んで)、そうして陽と合おうとして、陰は陽を噬(噛んで)、そして陰と合わさりたがる。なので「剛柔が分れて(陽は初・四・上、陰は二・三・五にある)、動きて明らか」と云う。

あるいは

彖曰:困、剛揜也。
『周易正義』:此就二體以釋卦名、兌陰卦為柔、坎陽卦為剛、坎在兌下、是「剛見揜於柔也」。
『東坡易伝』:九二為初六・六三之所揜、九四・九五為六三・上六之所揜、故「困」。

彖曰:困とは、剛が揜(蔽われる)こと。
『周易正義』:これは二つの小成卦によって卦名を解釈していて、兌の陰は柔、坎の陽は剛で、坎(陽)は兌(陰)の下にあるので、これが「剛が柔に揜(蔽われる)」。
『東坡易伝』:九二(陽)は初六・六三の陰に蔽われていて、九四・九五の陽は六三・上六(陰)に蔽われているのが、「困」。

のようになっていて、『周易正義』は小成卦ふたつで解釈するところを『東坡易伝』は爻の陰陽の配置で解釈していたり、あるいは

彖曰:「家人」、女正位乎内。(『東坡易伝』:謂二也。)男正位乎外。(『東坡易伝』:謂五也。)
彖曰:「家人」とは、女性は位を内に正し、(『東坡易伝』:六二のこと。)男性は位を外に正すこと。(『東坡易伝』:九五のこと。)

のようにほとんど彖伝の解釈をせず、それぞれの爻辞を読んで爻の関係性で意味を示したり、あるいは震の初九のように

初九:震来虩虩、後笑言啞啞、吉。
『東坡易伝』:二陽、震物者也;四陰、見震者也。

初九:震が来たりて虩虩(びくびく)するけど、後に笑言して啞啞(からから)と笑う、吉。
『東坡易伝』:二つの陽は、震する者。四つの陰は、震せられる者。

にょうに、爻と爻の関係を重んじて爻辞を読んでいたり、爻それぞれが周りの爻とごのように結びつくかをみていて、そうすると爻が嫌々何かをしていたり(益の上九・需の上九など)、二つのものの間で迷っていたり(賁の九三・同人の九四など)、それぞれ性格があるみたいな感じになります。

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ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています