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62-38  小過之睽・58-18  兌之蠱・57-50  巽之鼎

本文(小過之睽)

瘡痍多病、宋公危残。呉子巣門、殞命失所。

注釈

詳兌之蠱。
兌から蠱になるときに詳しく書いてます。(雷山小過から火沢睽へ)

本文(兌之蠱)

瘡痍多病、宋公危殆。呉子巣門、隕命失所。

注釈

艮為節、故曰瘡痍。艮為宋、震為公、巽為病、正反巽、故曰多病、曰危殆。宋襄公戦泓傷股、震為呉、為子、艮為巣、為門、巽為命、為隕落、故曰隕命。詳巽之鼎。(兌為沢から山風蠱へ)

艮は節(説卦伝:堅くて節の多い木)なので、瘡痍(傷が節に見えるから?)。艮は宋(出典不明)、震(蠱の裏卦)は公(迭象の君)、巽は病(迭象)、兌・蠱は上下で向かい合う巽を含んでいるので「多病」「危殆」という。宋の襄公は泓で戦って股(もも)を傷めていて、震は呉・子(呉は出典不明、子は迭象の君)、艮は巣・門(巣は迭象、門は説卦伝)、巽は命(出典不明)、隕落(出典不明)なので「命を隕す」。巽から鼎になるときに詳しく書いている。

本文(巽之鼎)

矢石所射、襄公癘劇。呉子巣門、傷病不治。

注釈

通屯。坎為矢、為射、艮為石、震為公、為輔佐、故曰襄公。癘、病也。按:宋襄公與楚戦、傷股而病、坤死、故曰劇。震為子、為言、故曰呉子。『說文』「呉、大言也」。『詩』周頌「不呉不敖」、魯頌「不呉不揚」、傳「呉、嘩也。」故震為呉、坤為門、艮為巣、故曰巣門。襄二十五年「諸樊伐楚門於巣、巣牛臣射之、卒。」坤死、故曰傷病不治。(巽為風から火風鼎へ)

巽から屯(鼎の裏卦)になるときに通じる。鼎の裏卦屯の坎は矢・射(説卦伝の弓)、艮は石(説卦伝)、鼎の裏卦屯の震は公(迭象の君)、輔佐(出典不明)なので襄公。癘は病のこと。按ずるに、宋の襄公は楚と戦い、股(もも)を傷めて病んでいて、坤(鼎の裏卦屯の互体)は死(純陰)なので「劇(劇物・劇薬などの劇:激しい)」。震は子(迭象の君)、言(迭象の口)なので、呉子(春秋呉の王)。

『說文』では「呉は、大言のこと」とあり、『詩経』周頌・絲衣に「不呉不敖(騒がず傲らず)」、魯頌・泮水に「不呉不揚(騒がず声を揚げず)」とあって、注釈では「呉は、嘩(さわがしい)こと」とあるので、震(騒ぐ)は呉。坤は門(出典不明)、艮は巣(迭象)なので「巣門」。『左伝』襄公二十五年に「呉王諸樊は楚を伐つために巣の門を攻め、巣牛臣はこれを射て、呉王は卒した」とある。坤は死なので「傷病不治」という。

日本語訳

瘡痍(きず)は多病にして、宋公は危残せり。呉子は巣門にて、命を殞し所を失う。

解説

文字の微妙な違いはあっても、三つの詩の意味はだいたい同じだと思われます。それぞれ出典はこんな感じです。

冬、十一月……宋公及楚人戦于泓、宋人既成列。楚人未既済、司馬曰「彼衆我寡、及其未既済也、請撃之。」公曰「不可。」既済而未成列。又以告、公曰「未可。既陳而後撃之。」宋師敗績、公傷股、門官殲焉、國人皆咎公。公曰「君子不重傷、不禽二毛、古之為軍也、不以阻隘也、寡人雖亡國之餘、不鼓不成列。」(『左伝』僖公二十二年)

冬、十一月……宋の襄公は楚人と泓で戦った。宋の人は既に列を成していたが、楚の人はまだ川を渡りきっていなかった。宋の司馬(軍官)が「あちらは多く私たちは少ない。ですが、その渡りきらないうちに攻めることを薦めます。」といったが、襄公は「だめだ。」という。渡り終わってもまだ列を成していないとき、また薦めると、公は「だめだ。並び終わってからこれを撃つ。」という。宋の師(兵)は潰敗して、襄公は股(もも)、を傷つけられ、左右を守る官は殲(滅ぼされ)、国の人はみな襄公を咎めた。公は「君子は傷のある兵を傷つけず、二毛(年老いた兵)を捕えず、古の軍を為すときは、阻隘(けわしいところ)に依らず、私は亡んだ国(殷)の末といっても、列を成していない者には攻め込まず。」

十二月、呉子諸樊伐楚、以報舟師之役。門于巣、巣牛臣曰「呉王勇而軽。若啓之、将親門、我獲射之、必殆。是君也死、彊其少安。」従之、呉子門焉、牛臣隠於短牆以射之、卒。(『左伝』襄公二十五年)

十二月、呉王の諸樊は楚を伐って、前年に楚が舟師を率いて攻めてきたときに報いようとした。巣(楚の街の名)の城門を攻めようとしていると、(楚の側で)巣牛臣という者がいう「呉王は勇ですが軽いので、もし門が開けば、きっとみずから門に入ってくるでしょう、私がそれを獲えて射れば、必ず殆(倒れる)でしょう。あの者が居なくなれば、楚の彊(辺縁)は少し安(落ち着く)でしょう。」これに従ってみたところ、呉王は門に入ってきたので、巣牛臣は短牆(低い垣)に隠れてこれを射て、呉王は亡くなった。

前者は「宋襄の仁」として有名な話です。後者は強いて名づけて「諸樊の勇」とでもいう感じで、礼に拘り過ぎて機を逃がす「宋襄の仁」と、逸り過ぎている「諸樊の勇」の対句的な関係です。

これが卦とどのような繋がりがあるのか見てみると

兌:順乎天而應乎人。説以先民、民忘其労。説以犯難、民忘其死。
天に順いて人に応じる。説(悦ばす)に以て民を先にすれば、民はその労を忘れる。悦ばして以て難を犯せば、民はその死を忘れる。

蠱:蠱、剛上而柔下。巽而止。
蠱は、強いものが上にあって柔らかいものが下にあること。巽(柔らかくして)止(留める)。

小過:山上有雷、小過。君子以行過乎恭。喪過乎哀、用過乎倹。
山の上に雷があるのが、小過。君子は(そのやや過ぎた激しさをみて)行いは恭に過ぎるように、喪は哀しみ過ぎるほどに、用いることは倹に過ぎるようにする。

睽:天地睽而其事同也、男女睽而其志通也、萬物睽而其事類也。睽之時用大矣哉。
天地睽(そむきて)其の事は同じく、男女睽(たがいて)其の志は通じ、萬物は睽(たがいて)其の事は類する。睽(背き違うものを兼ねている)の時・用は大なるもの。

巽:随風、巽。君子以申命行事。
風に随うのが,巽。君子は以て命を申(行き渡らせて)事を行う。

鼎:鼎、象也。君子以正位凝命。
鼎は、象(かたどる)。君子は以て位を正し命を凝する。

これをみると、初めは様子を窺っていて、機会をみて大いに動くことが通じているらしいです。兌から蠱では、周りに恩恵を授けてのち断制して令を施す様子、小過から睽では小さきに過ぎるようにして危うさもあるけど機を謀って難しい状態を束ね上げる、巽から鼎では巽(随)してはいるけど鼎(かたちづくる)ときが来ることだと思います。なので「宋の襄公は無用な礼に拘り過ぎて蠱・睽・鼎ができず、呉王諸樊は兌・巽・小過が足りていないけど、(それを兼ねていれば……)」という詩です。

ちなみに、兌・巽・小過を「宋襄の仁」、睽・蠱・鼎を「諸樊の勇」とするのも有り得るかもしれないけど、どちらも機を逸している様子とすると、いずれにしても力を蓄えて機を窺うことに関わっているのかもです。

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ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています