創作・エッセイ

秀韻と雄節

 清・劉熙載『芸概』巻三「賦概」につぎのような批評がある。

枚之秀韻不及宋、而雄節殆于過之。
枚乗の秀韻は宋玉には及ばない。それでいて雄節は殆どこれを上回る。

 宋玉は、戦国楚の末期にいた賦の名手で、屈原の頃にはまだ土着色・神秘色のあった楚辞を、より洗練して流麗なものにしていった作者です。枚乗は、漢の初めの頃に屈原・宋玉以来の楚辞がまだ土着色を残していたところに、より遊説家的な詭弁を混ぜて新しい賦(楚辞は土着的で淫祠的な賦の一種だったけど、枚乗以降はより現実化された漢賦になる)の様式を作った人です。

 上の批評で、秀韻は長く尾を曳くような韻のこと、雄節は雄邁な節という意味らしいのは、この二人の作品を読んでいれば何となくわかるのですが、それがどのような要素に依って感じられるかということについて書いていきます。

 まず、宋玉の作品はとりあえず「九辯」「高唐賦」あたりはたぶん宋玉作とされているので、この二つを読んでいきます。

悲哉、秋之為気也。
蕭瑟兮草木揺落而變衰。
憭慄兮若在遠行。
登山臨水兮送将帰。
泬寥兮天高而気清。
寂寥兮収潦而水清。
憯悽増欷兮薄寒之中人。
愴怳懭悢兮去故而就新。
坎廩兮貧士失職而志不平。
廓落兮羈旅而無友生。
惆悵兮而私自憐。
燕翩翩其辞帰兮、蝉寂漠而無聲。
雁廱廱而南遊兮、鶤鶏啁哳而悲鳴。
獨申旦而不寐兮、哀蟋蟀之宵徵。
時亹亹而過中兮、蹇淹留而無成。(宋玉「九辯」)

悲しい哉、秋の気たるや。
蕭瑟として草木揺落して変衰す。
憭慄として遠くに行くに在るが若し。
山に登り水に臨みて、まさに帰るを送らんとする。
泬寥として天高くして気清く
寂寥として潦(雨の水)を収めて水清く
憯悽として欷(泣)を増せば薄寒の人に当り
愴怳懭悢として故(古いもの)を去って新しいに就くようで
坎廩として貧士の職を失いて心は平らかならず
廓落として羈旅して友生(とも)無く
惆悵として私(ひそかに)自ら憐れむ。
燕は翩翩として其れ辞し帰り、蝉は寂漠として声無く
雁は廱廱と鳴いて南に遊び、鵾鶏は啁哳(しゃあしゃあ)として悲しく鳴く。
獨り旦になるまで寐られず、蟋蟀の宵(夜通し)徵(鳴くのを)哀しむ。
時は亹亹(だらだら)として中ばを過ぎ、それでも淹留(のろのろ)として何も成らず

 連綿字(中国の擬音語・擬態語)を多用しているのは楚辞・漢賦にありがちな特徴なのですが、それを並んで特徴的なのは同じ内容を少しずつ形を変えて、繰り返すように詠んでいることで、「蕭瑟として草木揺落して変衰する」ときは蕭瑟として草木がさらさら揺れて揺落して葉を落とし変衰して黄色くなっていくこと、「憭慄として遠くに在るような」気がしては「山に登って水に臨み、まさに帰る人を送る」ような気もして、旅は二つの方からぼんやりと浮かんできて、「泬寥として天高くして気清く、寂寥として潦を収めて水清く」のときは寥・清の二つは重なるようにあって、その中で天は雲や濁りもないほど高く、水は雨水が入ったろきの濁りも沈んで清らかになって、故(古いもの)を去って新しいところに向かうような旅をしているような、その周りで燕や雁、蝉などが鳴いていて……というようになっています。

 ふつう、韻ですぐ後に同じ字を使う(泬寥兮天高而気清・寂寥兮収潦而水清)という麗はほとんど賦ではない気がして、「燕は翩翩として其れ辞し帰り、蝉は寂漠として声無く・雁は廱廱と鳴いて南に遊び、鵾鶏は啁哳(しゃあしゃあ)として悲しく鳴く・獨り旦になるまで寐られず、蟋蟀の宵(夜通し)徵(鳴くのを)哀しむ・時は亹亹(だらだら)として中ばを過ぎ、それでも淹留(のろのろ)として何も成らず」も同じ様子を別の方面から書いているようなところがある。

 もっとも、これだけだと本当に宋玉の賦に繰り返しが多いのか分からないので、宋玉より前の『楚辞』の中から例を出してみます。

秋蘭兮麋蕪、羅生兮堂下。
緑葉兮素華、芳菲菲兮襲予。
夫人自有兮美子、蓀何以兮愁苦。
秋蘭兮青青、緑葉兮紫茎。
満堂兮美人、忽獨與余兮目成。
入不言兮出不辞、乗回風兮載雲旗。
悲莫悲兮生別離、楽莫楽兮新相知。
荷衣兮蕙帯、儵而来兮忽而逝。
夕宿兮帝郊、君誰須兮雲之際。
與女遊兮九河、衝風至兮水揚波。
與女沐兮咸池、晞女髮兮陽之阿。
望美人兮未来、臨風怳兮浩歌。
孔蓋兮翠旍、登九天兮撫彗星。
竦長剣兮擁幼艾、蓀獨宜兮為民正。(九歌・少司命)

秋蘭と麋蕪は、堂の下に羅(叢り)生えていて
緑の葉と素い華は、芳菲菲として私に襲(かかる)。
かの人は自ら美しい人がいるのに、あなたはどうして私を愁苦(悩ませるのか)。
秋蘭は青青として、緑葉に紫の茎。
満堂の美人、忽ちにしてあなたは獨り私と目を合わせる。
入りては言なく 出でても辞なく、回風に乗りて雲旗を載せて
悲しきは生別離より悲しきはなく、楽しきは新たに知りあうより楽しいはなく
荷の衣に蕙の帯、儵ちにして来て忽ちにして逝く。
夕べに帝郊(上帝の宮)に宿り、君は誰を雲之際に須(待つのか)。
あなたと九河に遊べば、衝風至りて水は波を揚げ
あなたと咸池に沐すれば、あなたは髪を陽阿(陽の上る谷)に晞(さらす)。
あの人の未だ来ないのを望んでは、風に臨みて怳(かなしみて)浩歌す。
孔雀の蓋(傘)に翠(みどりの)旍(旌)で、九天に登りて彗星に触れる。
長剣を竦(そばだてて)幼艾(おさなき)を擁り、あなたは獨り民の正となっているのでしょう。

 南楚の祀りで、人間の死生子嗣を司る少司命という神に捧げる神楽の歌詞なのですが、秋蘭兮麋蕪、……緑葉兮素華、……秋蘭兮青青、緑葉兮紫茎」のような繰り返しはあったり、祀官の想いが何度も切々と描かれて、それを全く相手にしない少司命という主題はあっても、同じ風景を何度も重ねて書くことは宋玉より少ないです。

 もう一つ、宋玉の例を見てみます。

惟高唐之大體兮、殊無物類之可儀比。巫山赫其無疇兮、道互折而曾累。登巉巖而下望兮、臨大阺之稸水。遇天雨之新霽兮、観百谷之俱集。濞洶洶其無聲兮、潰淡淡而並入。滂洋洋而四施兮、蓊湛湛而弗止。長風至而波起兮、若麗山之孤畝。勢薄岸而相撃兮、隘交引而卻會。崒中怒而特高兮、若浮海而望碣石。礫磥磥而相摩兮、巆震天之磕磕。巨石溺溺之瀺灂兮、沫潼潼而高厲。水澹澹而盤紆兮、洪波淫淫之溶㵝。奔揚踊而相撃兮、雲興聲之霈霈。(宋玉「高唐賦」)

惟だ高唐の大體は、殊に物類の儀比すべき無く
巫山赫として其れ疇無く、道互いに折れて曾(重ね)累ぬ。
巉巖に登りて下を望むに、大きい阺(坂)の水を稸うに臨む。
天雨の新たに霽れるに遇いて、百谷の俱に集まるを観る。
濞洶洶として其れ聲無く、潰淡淡として並びて入る。
滂洋洋として四方(よもに)施し、蓊湛湛として止らず。
長風至りて波起り、山に麗(懸かりたる)孤つの畝の若し。
勢いの岸に薄りて相い撃って、隘きに交々引きて卻って會いて
崒(萃って)中に怒(奮)いて特に高く、海に浮かびて碣石を望む如く
礫磥磥として相い摩して、巆として天を震わせて磕磕たり。
巨石溺溺としてこれ瀺灂たりて、沫潼潼として高く厲し。
水は澹澹として盤紆し、洪波は淫淫として溶㵝せり。
奔りて揚げては踊りて相い撃ち、雲は聲を起こして霈霈たり。

 これは巫山という山にある水の様子を写したものなのですが、まず「殊に物類の儀比すべき無く、巫山赫として其れ疇無く」のところが重なっている(先にはより抽象的に、後には巫山を大きく描いている)感じがあります。さらに「勢いの岸に薄りて相い撃って」「奔りて揚げては踊りて相い撃ち」は「相撃」が重なっていて、「礫磥磥として相い摩して」は石がざらざらと水に流されている様子のあとに「相摩」(相撃とも似ている)として、その水があちことで相い撃っては相い摩しているようで、「潰淡淡として並びて入る。滂洋洋として四方(よもに)施し、蓊湛湛として止らず。……隘きに交々引きて卻って會いて、崒(萃って)中に怒(奮)いて特に高く」しているところは水が隘いところに集まって入ってきては大きい石の上を広がっていって、さらにその石の終わるところで別のところから来た水とぶつかって、また白い泡や波が立って……というのを少しずつ言葉を変えながら写して、さらに「山に麗(懸かりたる)孤つの畝の若し・海に浮かびて碣石を望む如く」は同じ風景をちがう言葉であらわしている感じがある。

 この何度も同じものを少しずつ形を変えながら重ねていく様子は、美しい韻を何度も重ねて響かせるような雰囲気があって、これをもしかすると「秀韻」といっているとしたら、枚乗の雄節はどのような感じになるかをみていきます。

 枚乗は作品として「七發」(賦の一種)と「上書諫呉王」(みずからの仕えていた呉王が乱を起こそうとするのを諫める書状)が有名なので、その二つを。まずは「七發」です。

楚太子有疾、而呉客往問之、曰「伏聞太子玉體不安、亦少間乎?」太子曰「憊。謹謝客。」客因称曰「今時天下安寧、四宇和平。太子方富於年、意者久耽安楽、日夜無極。邪気襲逆、中若結轖。紛屯澹淡、噓唏煩酲。惕惕怵怵、臥不得瞑。虚中重聴、悪聞人聲。精神越渫、百病咸生。聡明眩曜、悅怒不平。久執不廃、大命乃傾。太子豈有是乎?」太子曰「謹謝客。賴君之力、時時有之、然未至於是也。」客曰「今夫貴人之子、必宮居而閨処、内有保母、外有傅父、欲交無所。飲食則温淳甘膬、脭醲肥厚。衣裳則雑遝曼煖、燂爍熱暑。雖有金石之堅、猶将銷鑠而挺解也。況其在筋骨之間乎哉?故曰“縱耳目之欲、恣支體之安者、傷血脈之和。”且夫出輿入輦、命曰蹶痿之機:洞房清宮、命曰寒熱之媒:皓歯娥眉、命曰伐性之斧:甘脆肥膿、命曰腐腸之薬。今太子膚色靡曼、四支委随、筋骨挺解、血脈滛濯、手足墮窳。越女侍前、斉姬奉後。往来游醼、縦恣于曲房隠間之中。此甘餐毒薬、戲猛獣之爪牙也。所従来者至深遠、淹滞永久而不廃。雖令扁鵲治内、巫咸治外、尚何及哉。今如太子之病者、獨宜世之君子、博見強識、承間語事、變度易意、常無離側、以為羽翼。淹沈之楽、浩唐之心、遁佚之志、其奚由至哉。」太子曰「諾。病已、請事此言。」

客曰「今太子之病、可無薬石針刺灸療而已、可以要言妙道説而去也。不欲聞之乎?」太子曰「僕願聞之。」

客曰「龍門之桐、高百尺而無枝。中鬱結之輪菌、根扶疏以分離。上有千仞之峰、下臨百丈之谿。湍流溯波、又澹淡之。其根半死半生。冬則烈風漂霰飛雪之所激也、夏則雷霆霹靂之所感也。朝則鸝黃鳱鴠鳴焉、暮則羈雌迷鳥宿焉。獨鵠晨號乎其上、鵾鶏哀鳴翔乎其下。於是背秋涉冬、使琴摯斫斬以為琴。野繭之絲以為絃、孤子之鉤以為隠、九寡之珥以為約。使師堂操暢、伯子牙為之歌。歌曰『麦秀蔪兮雉朝飛、向虚壑兮背槁槐、依絶區兮臨迴溪。』飛鳥聞之、翕翼而不能去。野獣聞之、垂耳而不能行。蚑蟜螻蟻聞之、拄喙而不能前。此亦天下之至悲也、太子能強起聴之乎?」太子曰「僕病、未能也。」

……客曰「将以八月之望、與諸侯遠方交游兄弟、並往観濤乎広陵之曲江。至則未見濤之形也、徒観水力之所到、則卹然足以駭矣。観其所駕軼者、所擢拔者、所揚汩者、所温汾者、所滌汔者、雖有心略辞給、固未能縷形其所由然也。怳兮忽兮、聊兮慄兮、混汩汩兮、忽兮慌兮、俶兮儻兮、浩瀇瀁兮、慌曠曠兮。秉意乎南山、通望乎東海。虹洞兮蒼天、極慮乎崖涘。流攬無窮、帰神日母。汨乗流而下降兮、或不知其所止。或紛紜其流折兮、忽繆往而不来。臨朱汜而遠逝兮、中虚煩而益怠。莫離散而發曙兮、内存心而自持。於是澡概胸中、灑練五蔵、澹澉手足、頮濯髮歯。揄棄恬怠、輸寫淟濁、分決狐疑、發皇耳目。當是之時、雖有淹病滞疾、猶将伸傴起躄、發瞽披聾而観望之也。況直眇小煩懣、酲醲病酒之徒哉。故曰發蒙解惑、不足以言也。」

楚の太子は疾(病)があって、呉の客がやってきて太子に問うた。「恐れ多くも太子の玉體安らかならずして、亦た少しく間(良いとき)もあられますか?」太子はいう「憊(だるい)。悪いが客は帰ってほしい。」

客はいう。「今、天下は安寧にして、四宇(四方)は和平でして、太子はまさに年もこれからというところで、意は久しく安楽に耽り、日夜極(已む)無く、邪気は襲逆して、身体の中は轖(編み衝立)を結んだようです。紛屯として澹淡(水がぶつかって)、噓唏(泣きそうになって)煩酲(ぼわぼわと酔ったようで)惕惕怵怵(おろおろびくびくとして)、臥しても不得瞑(眠れず)、虚中重聴(何もないところに音が重なっているように聞こえて)、人の声を聞くのもお嫌でしょう。精神は越渫(漏れ出していて)、百病が咸な生じているので、聡明さも眩曜(くらめいて)、悅んだり怒ったりが不平(落ち着きません)。久しく執(このようにして)不廃(止めないでいると)、大命も傾いてしまいます。太子はこのようなことがお有りではないでしょうか?」太子はいう「悪いが客は帰ってくれ。楚王のもとに拠って暮らしていて、たまにはそのようなことも有るかもしれないが、そこまで酷いことはない。」

客はいう「今その貴人の子は、必ずや宮に居て閨を出でず、内には保母あり、外には傅父(師父)あり、他に交わりを求めるべきところもなく、飲食は則ち温淳(とろとろとして)甘膬(崩れるように甘いもの)、脭醲(ぼったりと酔いそうで)肥厚(厚ぼったいもの)ばかり、衣裳は則ち雑遝(だらだらとして)曼煖(ばらばらと華やかで)、燂爍(暑く着重ねて)熱暑(汗ばむばかり)ですが、それでは金石の如き堅いものも、銷鑠(融け出して)挺解(緩み切ってしまうというもの)。ましてや筋骨の間にあるものなどはという訳で、それゆえ「耳目の欲を尽し、支體の安を恣まにすれのは、血脈の和を傷なう」というのです。さらに、出ずるは輿で入るは輦でというのを「蹶痿(足殺し)の機」、洞房や清宮などを「寒熱狂わせの媒」、皓い歯ときれいな眉を「伐性(落ち着いた心)への斧」、甘脆肥膿(甘くてどろどろした食べ物)えお「腐腸の薬」というのです。今 太子の肌色は靡曼して、四支(手足)も委随(力なく)、筋骨は挺解(弛みきって)、血脈は滛濯(ぼやぼやとして)、手足は墮窳(べこべこと変なところが凹んでいます)。越の女は前に居て、斉の姬は後に侍っていて、遊宴の間を往来し、曲房隠間(暗く曲がった部屋)の中で縦恣(欲の限りに遊んでおられますが)、これこそ甘餐(甘いものの)毒薬にして、猛獣の爪牙に戯れるというもの、このようなものが深いところに入ってしまうと、淹滞(とどこおって)永久(いつになっても)消えず、たとえ扁鵲が内を治し、巫咸が外を祓っても、もはや手遅れにございましょう。今の太子の病などは、ただ世の理りを知る君子の博見強識を以て、暇に遭うごとに様々な事を語り合い、度(思いを)変じて意を易え、常に側を離れさせずに、羽翼となしてこそ、淹沈(沈み耽っていた)楽しみや、浩唐(ぼんやりと延べ広がっている)心、遁佚(楽しみに逃れたくなる)思いなども、つけ込んでくる隙がなくなりましょう。」太子はいう「わかった。病は已(おさまった)、話を聞かせてほしい。」客はいう「今の太子の病は、薬や石、鍼や灸などでは療せるものではありません、要言妙道の説に依ってこそ去るものでしょう。お聞きされますか?」太子は「聞かせてほしい」という。

客はいう「龍門の桐は、高きこと百尺にしてそこまでは枝もなく、中ほどは鬱結して輪菌(肌はぐるぐるとして)、根は扶疏(あちこちに広がって)分離(わかれています)。上には千仞の峰があって、下には百丈の谿に望んでいて、湍流(逆らう流れの)溯波(ぶつかる波が)、澹淡としてまた流れていて、其の根は半ばは死して半ばは生きていて、冬は則ち烈風・漂霰・飛雪の激(ぶつかるところ)、夏は則ち雷霆・霹靂の感(ぶつかるところ)です。朝は則ち鸝黃・鳱鴠の鳴いていて、暮は則ち羈雌・迷鳥の宿るところ、獨りの鵠が晨にはその上に號き、鵾鶏は哀しく鳴きながらその下を翔んでいます。その秋から冬になるときに、琴摯に斫斬(切らせて)以て琴を作らせ、野の蚕の繭から絃を作り、孤子の鉤(玉)を隠(飾り)にして、九子の寡母の珥で約(琴柱)を作れば、師襄に琴を弾かせ、伯牙に歌わせて、その歌は「麦の秀蔪(穂の鮮やかにして)雉は朝に飛び、虚ろな壑に向かいて槁れた槐に背く。絶した區(ところ)に居て迴溪に望む。」飛ぶ鳥はこれを聞いて、羽を畳んで飛ぶこともできず、野の獣はこれを聞いて、耳を垂れて歩けなくなり、蚑蟜螻蟻の蟲たちもこれを聞いて、喙(口を)開いて進めなくなり、これこそ天下の至悲というものです、太子はどうぞ起きてでも聴かれたいでしょうか?」太子はいう「私は病いで、起きられない。」

……客は云う「まさに八月の望という日、諸侯や遠方の交游している兄弟たちと並んで、濤を広陵の曲江に観に行きましょう。着けば、さてまだ濤の形を見ないうちから、徒らに水の力が到っているのを観るのです。そうなれば卹然(おろおろ)として駭くべきものでして、その駕して軼(越える)者、その擢拔(抜け出すように高いもの)、その揚げては汩(倢いもの)、温汾(むにゃむにゃと回るもの)、滌汔(ざらざらと洗うもの)などがいて、辞(言葉)を給えようと思っても、固より其の由っているものを縷形(描く)などはできないもので、怳として忽として、聊(ぼんやりとして)慄(おそろしいようで)、混汩汩兮(ぐるぐるとして)、忽兮慌兮(くらくらとして)、俶兮儻兮(突然に襲ってきて)、浩瀇瀁兮(ぼうっと広がっていって)、慌曠曠兮(がらんとしているようでもあって)、南の山のあたりとを観ていたのに、いつの間にか東の海を見ていたり。蒼い天にぼんやりとして、慮いを崖涘(水の果て)にめぐらすようで、流攬(眺めていても)窮りなく、神(心)を日母に帰すようで、汨(ぐわんとして)流れに乗って下りて行けば、或いは止まるところを知らず。或いは紛紜としてその流れは折れて、忽ちにして繆往(一処に吸い込まれて)来ることもなく、朱汜(地名)に臨んで遠くに逝き、中は虚ろに煩(さざめいて)いよいよ怠くなり、離散せずして曙(あさ)の光がさすようで、内には心を存して自ら持てり。そうして胸の中を澡概(洗い尽くして)、五臓を灑練(すすぎ)、手足を澹澉(浸して)、髪や歯も頮濯(きれいになるというもので)、恬怠(だるさ)を揄棄(すてて)、淟濁(濁りを)輸寫(去り)、狐疑(うろめき疑っていたことを)決め、耳目を發皇(ひらく心地がする)のです。この時たるや、淹病滞疾(いつまでも残っていた病があったとしても)、傴(縮んだ身を)伸ばし躄(萎えきった足を)起こし、瞽を發して聾を披いて濤を観せるのです。ましてや、ただ小さい煩懣(もやつき)や酲醲病酒(ぼやぼやとした酔いのごとき)者などということです。故に曰く「蒙を發(披き)惑を解くには、言などはいらない」というものです。

 この舐め腐っているような丁寧なような喋り方が詭弁的だと思っているのですが、度々出てくる特徴として思いつくのが、初めにもっとも大きくて不穏なものを出して、終わりのほうに少しだけまともなことを云う流れです。

 例えば、病でもっとも酷い様子を出して、いろいろと不健康な様子を書いたあとに「要言妙道の説」を出したり、悲しい曲を描くためにその琴の材となる桐の木がどろはどの悲しみを身に吸い込んでいるかを書いていて、曲そのものはほとんど書かない(のちにこの部分から派生した王褒「洞簫賦」はやはり曲そのものの描写のほうが多い)、濤を観るときも濤を見る前からすでに驚かされること、そのわずかな水力の至る姿が多変を窮めていて、言葉も追いつかないほどになって、気持ちもぼやぼやとしてしまうほどと書いてのちに、少しだけ身の濁りを浄めることを書いてあったりと、いきなり窺い知れないほどに大きいものをぶつけるように書いている感じがあります。

 この突然大きいものがぶつかって来る感じが、「雄節」(雄邁な節奏が突然あらわれる様子)だと思っていて、その雄邁さは奇怪にして幻怪、不気味で不穏でグロテスクに膨らみを持っていて、それがどろどろのろのろと流れて来て、それが流れ終わると後から少しきれいなものが出てくる感じが枚乗らしさだと思います。

 さらに小さいところまでみると「燂爍(だらだらと汗ばむほどに)熱暑(暑く肥えていれば)、たとえ金石の堅さがあっても、なお銷鑠(だらだらと)挺解(弛みきってしまうというもの)。ましてその筋骨の間など……(燂爍熱暑。雖有金石之堅、猶将銷鑠而挺解也。況其在筋骨之間乎哉)」という部分や、「出ずるに輿で入るに輦、これを蹶痿之機といい、洞房清宮、これを寒熱狂わせの媒といい、皓歯娥眉、これを心を伐(乱す)斧といい、甘脆肥膿(甘くとろける油もの)、これを腐腸之薬というのです(出輿入輦、命曰蹶痿之機:洞房清宮、命曰寒熱之媒:皓歯娥眉、命曰伐性之斧:甘脆肥膿、命曰腐腸之薬)」「たとえ扁鵲が内を治し、巫咸が外を治しても、もはや間に合わぬというもの(雖令扁鵲治内、巫咸治外、尚何及哉)」のように、いきなり割れ鐘のような不穏な音が大きく逼って来ることも雄節かもです。

 枚乗は、その不安で不穏なものに描写を尽して、どこまでも美しく快楽的でドラッグ的な美しさを与えて描いているのが特徴で、雄邁奇峭にして脳を溶かすようなものを何度も入れて喜ばせて、それでいてまともな話も通しているという不純物の多さが魅力的です。もう一つ、枚乗らしさのある作品として「上書諫呉王」をみていきます。

臣聞得全者昌、失全者亡。舜無立錐之地、以有天下、禹無十戸之聚、以王諸侯。湯武之土、不過百里、上不絶三光之明、下不傷百姓之心者、有王術也。故父子之道、天性也。忠臣不避重誅、以直諫、則事無遺策、功流萬世。臣乗願披心腹、而効愚忠。惟大王少加意念惻怛之心於臣乗言。

夫以一縷之任、係千鈞之重、上懸之無極之高、下垂之不測之淵、雖甚愚之人、猶知哀其将絶也。馬方駭、鼓而驚之。係方絶、又重鎮之。係絶於天、不可復結。墜入深淵、難以復出。其出不出、間不容髮。能聴忠臣之言、百擧必脱。必若所欲為、危於累卵、難於上天。變所以欲為、易於反掌、安於泰山。今欲極天命之上寿、敝無窮之楽、究萬乗之勢、不出反掌之易、居泰山之安、而欲乗累卵之危、走上天之難。此愚臣之所大惑也。

人性有畏其影而悪其迹。却背而走、迹愈多、影愈疾。不如就陰而止。影滅迹絶。欲人勿聞、莫若勿言。欲人勿知、莫若勿為。欲湯之滄、一人炊之、百人揚之、無益也。不如絶薪止火而已。不絶之於彼、而救之於此、譬猶抱薪而救火也。養由基楚之善射者。去楊葉百步、百發百中。楊葉之大、加百中焉、可謂善射矣。然其所止、乃百步之内耳。比於臣乗、未知操弓持矢也。福生有基、禍生有胎。納其基、絶其胎、禍何自来哉。

泰山之霤穿石、殫極之綆断幹。水非石之纘、索非木之鋸。漸靡使之然也。夫銖銖而称之、至石必差、寸寸而度之、至丈必過。石称丈量、径而寡失。夫十圍之木、始生而蘖、足可搔而絶、手可擢而抜。據其未生、先其未形也。磨礱砥礪、不見其損、有時而盡。種樹畜養、不見其益、有時而大。積德累行、不知其善、有時而用。棄義背理、不知其悪、有時而亡。臣願王熟計而身行之。此百代不易之道也。

私の聞くところでは、全きを得ている者は昌え、全きを失った者は亡ぶとあり、舜は錐を立てるほどの地すら無くても、天下を有しておりましたし、禹は十戸の聚落もなくても、諸侯の間に王となっておりました。湯武の土は、百里を過ぎないほどにして、上には三光(日月星)の明を絶やさず、下には百姓の心を傷つけなかったのは、王術というものが有ったためです。故に父子の道は天性にして、忠臣は重い誅をも避けずして直諫しているのは、則ち事において遺策(手抜かり)無きは、功は萬世に流れまして、臣枚乗も願わくは心腹を披きて、愚忠を効(行わんというもので)、大王も些か意念(思い)惻怛(憐れむ)心を私の言に加えてくださることを願います。

その一縷の任によって、千鈞の重さを釣して、上はこれを無極の高みに懸け、下はこれを測り得ないほどの淵に臨ませれば、たとえ甚だ愚かな人といっても、猶お其の絲の絶えそうなことを恐れるのを知るでしょう。馬のまさに駭かんとして、さらに鼓を打ってこれを驚かすようなものを思ってください、繋いでいる紐はまさに絶えようとして、又たあの絲に重みを加えれば、結んでいるものは天に絶えて、また結ぶこともできません。深い淵に落ち入ってしまえば、また出すことも難しいでしょう。其の出ずると出でざるとの間は髮一本も容れないほどに近いもので、忠臣の言を聴いてくだされば、百たびの事があっても必ず脱します。必ずやその為さんとするところのままですと、危うさは累(重なった)卵のようで、天に上るよりも難しいこと。為そうとすることを変えるのは、掌を反(翻す)よりも易く、泰山よりも安らかです。今 天の与えた命の上寿を極めようとして、さらに無窮の楽しみを尽し、萬乗の勢を究めようとして、掌を反すごとき易さを出でず、泰山の安きにも居らずして、却って累卵の危うさに乗って、天に上る難さに走るのは、此れこそ愚かな臣の大いに惑うところです。

ある人の性にしてその影を畏れてその足跡を憎むものがおりました。背を向けて走れば、足跡は愈々多く、影は愈々疾くついてきます。そのようなのは日陰に入って止まれば、影も消えて足跡も絶えるというもの、人に聞かれたくないというなら、何も言わないに過ぎることはなく、人に知らせないには、何もしないに如くはなく、湯の滄(冷める)を望みながら、一人は火を焚き、百人は揚(かき回していたら)、それは無益というもので、薪を絶ち火を止めるに及ぶ策はありません。彼を絶たずして、此れを救おうというのは、薪を抱えて火を救け(それでいて湯が冷めるのを望むようなもの)。養由基は楚の善く射る者でして、その楊葉を去ること百步にして、百發にして百中ですが、楊の葉の大きさでも、百中すれば善く射るものとされています。しかし、その射れるのは、百步の内に留まるもので、臣枚乗に比べれば、未だ弓の繰り方 矢の持ち方も知らぬというものです。福の生れるには基が有り、禍の生まれるには胎が有り、その基を納れて、その胎を絶てば、禍は何処よりやってきますかということです。

泰山の霤(滴る水)は石を穿ち、殫極(底まで行き来する)綆(井戸の縄)は幹(井梁)をも切りますが、水は石の纘(きり)ではなく、索(縄)は木の鋸でもなく、漸靡(次第次第に擦切っていくことが)そうしているのです。一銖ごとに称(数えていけば)、一石に至って必ず差はあり、一寸ごとに度(測っていけば)、一丈に至って必ず過(ずれ)があります。一石一丈で測って数えれば、径(すぐにできて)寡失(過ちも少なく)、あの十圍(抱え)の木も、始めて生えてきたときは蘖(ひこばえ)でして、足で搔き絶ち、手で擢(掴み)抜いてしまうこともできるのは、その未だ生え切らず、その未だ形をつくらぬ内に依っては先んじているためです。磨礱砥礪(磨いたり砥いだりというのは)、その損(削れていくのが)見えないようで、時が経つと無くなっていて、木を植えて獣を飼うのは、その益(大きくなるのが)見えないようで、しばらくすると大きくなっていて、德を積み行いを累ねるのは、その善を知らずして、しばらくして用(効)もあるもので、義を棄て理に背くのは、その悪を知らずして、時を経て亡んでいくというものです。私は王の熟計(よく考えられて)身(みずから)行われることを願いまして、これこそ百代不易の道というものでございます。

 叛乱をやめるように諭すために書かれている書状なのですが、「一縷の任によって、千鈞の重さを釣して、上はこれを無極の高みに懸け、下はこれを測り得ないほどの淵に臨ませれば、たとえ甚だ愚かな人といっても……」というのは、その危うさを知ってほしいということをやや極端な様子で喩えているもの、「その危うさは累(重なった)卵のようで」「掌を反(翻す)よりも易く、泰山よりも安らか」というのも比喩の作り方は同じです。「ある人の性にして、その影を畏れてその足跡を憎むものがおりました。背を向けて走れば、足跡は愈々多く、影は愈々疾くついてきます。そのようなのは日陰に入って止まれば、影も消えて足跡も絶えるというもの」というのは、乱を起こそうとしながら知られるのを恐れる様子をやや戯画化しているもの、そのあとのお湯の比喩も同じものですが、曼衍横生してやや混乱させてくるのが枚乗の技で、多少訳の分からない奇怪な詩を読まされたような気分にして、けむに巻くような驚かすような雰囲気があります。

「泰山の霤(滴る水)は……」も今はまだ禍が小さいので取り返せるけど、これ以上大きくなってしまうと取り戻せなくなり……というのを幾重にも極端な例を重ねていっています。これをみても、枚乗は初めに大きくて極端な例を入れて人を驚かすような文を書くことが感じられて、この驚かしてくるような詭怪で不安定だけど大きい膨らみや重みのある雰囲気が「雄節」らしいです。

 あと、「七發」で観濤の様子はおそらく『荘子』天運篇 咸池の音楽問答に原案があると思っていて、読んでみると『荘子』の茫々として奇怪な雰囲気に、さらに溷濁して嘩嘩(けばけばしい)雄節を加えている感がある。

北門成問於黄帝曰「帝張咸池之楽於洞庭之野、吾始聞之懼、復聞之怠、卒聞之而惑、蕩蕩黙黙、乃不自得。」
帝曰「女殆其然哉。吾奏之以人、徵之以天、行之以禮義、建之以太清。夫至楽者、先応之以人事、順之以天理、行之以五德、応之以自然、然後調理四時、太和萬物。四時迭起、萬物循生、一盛一衰、文武倫経、一清一濁、陰陽調和、流光其聲、蟄蟲始作、吾驚之以雷霆、其卒無尾、其始無首、一死一生、一僨一起、所常無窮、而一不可待。女故懼也。
吾又奏之以陰陽之和、燭之以日月之明、其聲能短能長、能柔能剛、變化斉一、不主故常、在谷満谷、在阬満阬、塗郤守神、以物為量。其聲揮綽、其名高明。是故鬼神守其幽、日月星辰行其紀。吾止之於有窮、流之於無止。予欲慮之而不能知也、望之而不能見也、逐之而不能及也、儻然立於四虚之道、倚於槁梧而吟。目知窮乎所欲見、力屈乎所欲逐、吾既不及已夫。形充空虚、乃至委蛇。汝委蛇、故怠。
吾又奏之以無怠之聲、調之以自然之命、故若混逐叢生、林楽而無形、布揮而不曳、幽昏而無聲。動於無方、居於窈冥、或謂之死、或謂之生、或謂之実、或謂之栄、行流散徙、不主常聲。世疑之、稽於聖人。聖也者、達於情而遂於命也。天機不張而五官皆備、此之謂天楽、無言而心説。故有焱氏為之頌曰『聴之不聞其聲、視之不見其形、充満天地、苞裏六極。』汝欲聴之而無接焉、而故惑也。
楽也者、始於懼、懼故祟、吾又次之以怠、怠故遁、卒之於惑、惑故愚。愚故道、道可載而與之俱也。」

北門成は黄帝に問うた。「帝が咸池の楽を洞庭の野にて奏したとき、私は始めにこれを聞いて懼れ、またこれを聞いて怠(ぼんやりとして)、さらにこれを聞いて惑(おろおろとしていました)。蕩蕩黙黙(だらだらと心が崩れるようでもやもやとして)、乃不自得(何もできないほどだったのです)。」
黄帝はいう「あなたのそう思ったのはその通りなのだよ。私はこれを奏するとき人にあわせていたけれど、さらに天にもあわせていて、行うには礼義を兼ねて、建てるには太清(大いに清らかなもの)を混ぜたのだから。その至楽というのは、先ず人事に応じて、天理に順い、五德を行なって、自然に応じて、その後に四季を調理して、萬物を大いに和するもので、四季が迭(つぎつぎ)起り、萬物は循(めぐり)生じるのは、一盛一衰して、文武(穏やかなものも荒々しいものも)倫経(離れたり乱れ過ぎず)、一清一濁のように陰陽は調和して、光は其の声にも流れていて、蟄蟲も始めて作(出でるとき)、私はこれを驚すのに雷霆の声を用いたので、さらにその音の巡りには尾がなく、その始まりにも首はなく、一死したと思ったら一生して、一たび僨(僵れて)一たび起きて、常に窮り無く、そうして一つも待つべきものがない。それゆえにあなたは懼しくなったのです。
また私はこれを奏するのに陰陽の和を以てして、これに燭(光を入れるのに)日月の明を以てしたので、その声は長短自如にして、剛柔を兼ねていて、斉一なものを変化させて、故常(古い常規を)主とせず、谷に在りては谷を満たし、阬(穴)に在りては阬を満たし、郤(隙間)を塗(塗り塞いで)それでいて神(中身は)変わらず守り、物によって量(量っていく)ので、その声は揮綽(大きく震い)、其の名は高明(高らかで)、それ故に鬼神はその幽を守り、日月星辰はその紀を行なって、私は有窮(根を離れぬ内に)とどまって、それでいて止まり無い形に流し込んでいるのです。私はこのことを慮(考えてみても)知ることはできず、望みやっても見ることはできず、逐いかけても不能及(追いつけず)、儻然(ぼんやりとして)四虚(四方が虚ろの)道に立っていて、槁れた梧に倚るって吟(歌っているような)気持ちになるだけで、目の知るものは見ようとするものに追いつけず、力は逐いたいものに屈して、私とて及び得ないものなのです。形の中身は空虚で、それゆえに委蛇(ぐにゃぐにゃとしているのです)。あなたは委蛇(ぐにゃぐにゃと力が抜けてしまったので)、怠(だるくてぼんやりしたのです)。
そして私はさらに奏するに無怠(それに留まらない)声を以てして、調するに自然の性命を以てしたので、混逐として沼の泥がめぐりあうように叢生(次から次へと溢れ出て)、林楽(林に吹き鳴る簫のようにして)無形、布揮(様々なものが並び立っているようで)不曳(絡まりあわず)、幽昏なものの声がないものまで感じるのです。無方(遮るものがない)ところに動いて、窈冥な中に居て、或いはこれを死と云って、或いはこれを生と云うのかも知れず、或いはこれを実と云って、或いはこれを栄(華)というのかも知れませんが、行流して散徙して、常声(曲)を主としていないのです。世の人はこれを疑っていて、聖人の間に留まった話ではありますが、「聖」というのは、物の情に達していて天の命を遂げることで、天機(天の不思議さ)は不張(見えずして)五官は皆な備わって、これを「天楽」といい、無言にして心で説(あそぶ)ものなのです。故に神農氏はこれを頌えて曰う『これを聴いてもその声は聞えず、これを視てもその形は見えず、天地に充満して、六極を苞裏(つつんでいる)。』と。あなたはこれを聴こうとして無接(触れられなかった)、それゆえに惑(どうしていいか分からなかった)のでしょう。
楽というものは、始めは懼れさせ、懼れる故に祟(貴く)、私はこれに次がせるに怠(ぼんやりさせましたが)、怠(ぼんやりする)故に遁(みな消えていくようで)、終わりには惑わせましたが、惑(何が何だかもわからぬ)故に愚なのです。愚な故に道(知り得ない道を知るような気がして)、道はそれに載って俱(ともに)居ることになるのです。」

 この深い淵を出ないようで、その中に水がめぐっているような雰囲気が「茫々」、思っても知り得ない不思議さが「奇怪」、枚乗はその水が嘩嘩しい「甘餐毒薬」のように様々な姿をとりながら、表を溷濁させている気がする。一つの壺の中に色々な淵が形を変えているような風景に、秀韻と雄節が見えたりするのが「術」らしくて不思議だと思う――。

ABOUT ME
ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています