好きな記事

28-16  大過之豫・34-51  大壮之震・43-18  夬之蠱・57-28  巽之大過・63-11  既済之泰・9-49  小畜之革・16-31  豫之咸

本文(大過之豫・大壮之震・夬之蠱・巽之大過・既済之泰・小畜之革)

晨風文翰、大舉就温。昧過我邑、羿無所得。

注釈

震為晨、坤為風。晨風、隼也。艮為隼、震為翰、坤文、曰文翰。『逸周書』王會篇「蜀人以文翰、文翰若皋鶏。」而『説文』翰下引『逸周書』曰「大翰若翬雉、一名風。」然則晨風・文翰為一物、不有『説文』焉知『易林』以晨風與文翰連文之故哉。坎為昧、坤為邑、為悪、故曰羿。坤喪故無得。『詩』秦風「鴥彼晨風、鬱彼北林。」鬱、『斉詩』蓋作温、詳小畜之革。(沢風大過から雷地豫へ)

震は晨(迭象の隼)、坤は風(迭象)、晨風は隼のこと。豫の互体艮は隼(迭象の鳥)、震は翰(迭象の飛翼)、坤は文(説卦伝)なので「文翰(模様のある羽)」。『逸周書』王會篇に「蜀の人は文翰を送ってきて、文翰は皋鶏のような鳥……」とある。『説文』の翰では、『逸周書』を引用していう「大翰は翬雉という鳥のことで、一名は風(晨風)という。」それ故、晨風と文翰は同じ物で、『説文』がないと『易林』でなぜ「晨風」「文翰」を並べているのか分からない。

坎は昧い(連想解釈)、坤は邑(地にあるから?)、悪(純陰)なので羿(弓の名手)。坤は喪うなので「得るものがない」。『詩経』秦風・晨風に「鴥たる彼の晨風(鳥の名)、鬱たる彼の北林。」とある。「鬱」は『斉詩』という学派では「温」としているらしく、詳しくは小畜から革になるときに書いてます。

震旦為晨、伏巽為風、伏離為文、震為羽翰、故曰晨風文翰。『詩』「鬱彼晨風」傳「晨風、鸇也。」『逸周書』王會篇「蜀人以文翰、文翰若皋鶏。」艮為鳥、亦艮象也。震舉離温、艮為邑、為我、坎為昧,故曰昧過我邑、言夜過也。離為悪人、故曰羿。離虚故無所得。羿、後羿、善射、纂夏后氏者也。(雷天大壮から震為雷へ)

震は旦(朝)なので晨(出典不明)、裏卦の巽は風(説卦伝)、震為雷の裏卦の互体離は文(説卦伝)、震は羽翰(迭象の飛翼)なので「晨風文翰」。『詩経』秦風・晨風に「鬱(鴥)たる彼の晨風」とあって、注には「晨風は、鸇(このり)という鳥」とある。『逸周書』王會篇に「蜀の人は文翰を送ってきて、文翰は皋鶏のようなもの」とある。震為雷の互体艮は鳥(迭象)で、これも艮の象意。震は挙がる、離(震為雷の初~四爻は大離)は温かい(どちらも説卦伝から派生?)、震為雷の互体艮は邑(迭象)、我(出典不明)、震為雷の互体坎は昧い(連想解釈)なので「昧くして我が邑を過ぎる」となり、夜に過ぎていくことを云う。離は悪人(出典不明。説卦伝の戈兵?)なので、羿。離は虚(出典不明)なので「得るものがない」という。羿は、後羿ともいわれる弓の名手で、夏王朝を簒(奪った)者のこと。

詳小畜之革。文翰、鳥名、見『逸周書』。(沢天夬から山風蠱へ)
小畜から革になるときに詳しく書いています。文翰は、鳥の名で『逸周書』に見える。

詳小畜之革。(巽為風から沢風大過へ)
小畜から革になるときに詳しく書いてます。

詳小畜之革。文翰、鳥也。(水火既済から地天泰へ)
小畜から革になるときに詳しく書いてます。文翰は、鳥の名。

晨風、鸇也。通蒙。艮為鸇、震晨巽風、故曰晨風。坤為文、震為翰、故曰文翰。文翰、詳大過之豫。艮火、故曰就温。坤為我、為邑、坤黒、故曰昧過我邑。坤為悪、故曰羿。坤虚、故無得。陳樸園云「『詩』「鴪彼晨風、鬱彼北林。」疑斉詩作「温彼北林」」。故林詞屡言就温。温蘊通用、「雲漢」詩「蘊隆蟲蟲」韓詩作鬱。蘊鬱義同。毛伝「鬱、積也。」就温、猶集菀耳。(風天小畜から沢火革へ)

晨風は、鸇(このり)という鳥。小畜から蒙(革の裏卦)になるときに通じる。艮は鸇(迭象の隼)、小畜の裏卦の震は晨(出典不明)、巽は風なので「晨風」。坤は文(説卦伝)、震は翰(迭象の飛翼)、なので「文翰」。「文翰」については、大過から豫になるときに詳しく書いている。小畜の裏卦の互体艮は火なので、「温に就く」という。

小畜の裏卦坤は我(出典不明)、邑(迭象の墟?)、坤は黒(説卦伝)なので、「昧くして我が邑を過ぎる」という。坤は悪(純陰)なので、羿。坤は虚ろなので、得るものがない。陳喬樅(字:樸園)は「『詩経』秦風・晨風に「鴪たる彼の晨風、鬱たる彼の北林。」とあって、斉詩(という学派)では「温たる彼の北林」としていた」という。なので、『易林』の詩は屡々「温に就く」という。温・蘊は通用して、『詩経』大雅・雲漢で「蘊隆蟲蟲」の蘊を韓詩(という学派)では鬱にしている。蘊・鬱は同じ意味で、毛伝という注では「鬱は、積み上がった様子」とする。「温に就く」とは、菀(茂み)に集まること。

日本語訳

晨風文翰の、大挙して温に就(向かう)。昧くして我が邑を過ぎ、羿は得るところが無い。

本文(豫之咸)

晨風文翰、随時就温。雌雄相和、不憂殆危。

注釈

『詩』「鴥彼晨風」傳「鸇也。」巽為風、伏震為晨、為翰、坤為文、故曰文翰。文翰、即晨風。詳大過之豫。艮為時、為火、故曰温。震雄巽雌、兌口震鳴、故曰和。(雷地豫から沢山咸へ)

『詩経』秦風・晨風に「鴥たる彼の晨風」とあって、毛伝では「晨風は鸇のこと」という。咸の互体巽は風、その裏卦の震は晨(出典不明)、翰(迭象の飛翼)、坤は文(説卦伝)なので、文翰。文翰は、晨風のこと。詳しくは大過之豫に書いてある。艮は時(迭象の終日?)、火(迭象)なので、温(温かい)。震は雄・巽は雌、兌は口(説卦伝)・震は鳴く(騒ぐから派生)なので、和(和鳴)という。

日本語訳(豫之咸)

晨風も文翰も、時に随って温に就(往く)。雌雄の相い和して、殆危を憂えず。

解説

注釈がとりあえず色々いってますけど、一々書いていると終わらないので削っていきます。

まず、大過之豫の注にある「晨風は、隼のこと」というのは、震の迭象との関係で、後にいう猛禽とのつながりで出しているだけだと思うので、晨風の本来の意味には関わらないです。

つづいて、晨風がどんな鳥だったかということが延々書かれているのですが、『詩経』秦風・晨風が引用されて、それに関わる様々な注釈が出てくるので、それも合わせて載せてみます。(陳喬樅の説は、王先謙『詩三家義集疏』に引用されているもので済ませます)

鴪彼晨風、鬱彼北林。(『詩経』秦風・晨風)
鴪(素早く飛んでいく)あの晨風、鬱然たるあの北林。

毛伝(という学派の注は)「晨風、鸇也。鬱、積也。(晨風は、「鸇:このり」という鳥。鬱は、積み上がっている様子)」としています。

一方で、斉詩(という学派では)「鴪彼晨風、温彼北林」としていて、鬱が温になっています。温は「温かい」ではなく、蘊(蘊積)の意味になる例としては、『詩経』大雅・雲漢で「蘊隆蟲蟲(暑さの蘊々として雷の音は隆々、薫るような気は蟲々としている)」というのを、韓詩(という学派)では「鬱隆烔烔」としているのがあって、鬱・蘊のもやもやと立ち籠める感じは、蘊と音が通じる「温」とすることもある。なので、「温たる彼の北林」は「蒙々と木の茂っている北の林」という意味です。
(『易林』で、上にあげた詩がすべて「温に就く」というのは「鬱・蘊に就く」といっているのと同じことになります。菀は茂みなので、温・蘊と同じだと思っていいです)

というわけで、次は「晨風」がどんな鳥かになるのですが、まず「晨風、鸇也」についてです。晨風という鳥は、雄は鸇(セン・このり)、雌は鷂(ヨウ・はいたか)というふうに呼び方が変わる猛禽類です。

そして、『易林』で「晨風文翰」と並んでいることについての解説になるのですが、晨風は鸇(このり)という鳥だということだけ覚えていれば大丈夫です。

『逸周書』王會篇では「蜀人以文翰、文翰若皋鶏(周の成王が諸侯を集めたとき、蜀の人は文翰を送ってきて、文翰は皋鶏のような鳥だった)」らしいです。その文翰については『説文』の翰についての解説で「翰:天鶏、赤羽也。……『逸周書』曰「文翰若翬雉、一名鷐風。周成王時蜀人献之(翰は、天鶏のことで、羽は赤い。……『逸周書』王會篇では「文翰は翬雉のような鳥で、一名では鷐風という。周成王の時、蜀人がこれを献じた」)」とあるので、晨風は文翰とも呼ばれているらしいです。

なので、「晨風は文翰と同じ鳥」になって、その二つを並べて書いていると尚秉和(『易林』の注釈者)は解しています。

もっとも、『説文』に注釈をつけた段玉裁は、“「文翰若翬雉、一名鷐風。周成王時蜀人献之」は「文翰若翬雉、周成王時蜀人献之。一曰鷐風(文翰は翬雉のような鳥で、周成王の時に蜀人がこれを献じた。ある説では鷐風とされている)」と書くのが本来の形で、翬雉はおそらく(皋鶏の)誤字かもしれない。「一名」というのは別名を出すときに用いるけど、「一曰」というのは別の説を出すときに用いる。毛伝の「晨風、鸇也」や、『易林』で「晨風・文翰」と並べていることからも、晨風(鸇)と文翰(皋鶏or翬雉)は別の鳥らしいので、「翰:別名では晨風」というより「翰:別の説では晨風のこと」とする方が近い”としている。

なので、『易林』で晨風・大翰が並べて書かれているのを、段玉裁は「別の鳥だから並べて書いている」、尚秉和は「同じ鳥だから並べて書いている」としている。まぁ、なんとも云えない感じだと思っていればいいと思います。

陳喬樅の説では、大体つぎのようなことが『詩三家義集疏』に引用されています(別のところではもっと色々書いていたのかもですが)。

・温と蘊は通じていて、どちらも鬱の意。
・魏の曹丕の詩で「願為晨風鳥、双飛翔北林(願わくは晨風の鳥になって、二人であの北林に飛んでいきたい)」というのは、『詩経』晨風の語を用いているけど、その意は『易林』豫之咸で「雌雄相和」というのに近い。(「晨風」は鸇をみて、その北林の巣に帰っていくことを羨ましがる詩なので)

というわけで、かなり雑にいうと、晨風は鸇という猛禽(鸇は雄、鷂は雌)、文翰は赤っぽい雉みたいな鳥らしいけど、晨風と文翰が同じ鳥かは分からない、それらの鳥が鬱蒼とした林に飛んでいく、みたいな様子です。

羿は夏王朝の頃の弓の名手で、一時は夏王朝を簒うのですが、のちに弟子の逢蒙に弓の技をすべて知られて殺されていて、その羿も晨風・文翰を射ることができないという詩です。

そうなると、気になってくるのが「大舉就温。昧過我邑」なのですが、大挙というと思いつくのがこの描写です。

北冥有魚、其名為鯤。鯤之大、不知其幾千里也。化而為鳥、其名為鵬。鵬之背、不知其幾千里也。怒而飛、其翼若垂天之雲。是鳥也、海運則将徙於南冥。南冥者、天池也。(『荘子』逍遥遊篇)
北冥に魚ありて、其の名を鯤という。鯤の大、其れ幾千里なのかも知らず。化して鳥と為れば、其の名を鵬という。鵬の背は、其れ幾千里かを知らず。怒(奮いて)飛べば、其の翼は天に垂れ込める雲のようで、この鳥は、海の運(めぐれば)南の冥い海に徙ろうとする。南の冥い海は、天の池なり。

大挙して、邑の上を暗くするほど大きくなって飛んでいくこと、その羽は赤々とした文様があって、その飛ぶ姿は猛禽のごとくゆったりと雄邁な気品に満ちている(鳶でも鷹でも、その飛んでいる姿を見たことがあれば何となくわかると思うけど、ほとんど羽ばたかずに大きく羽を広げている)様子で太空に横絶する雰囲気は、「晨風」の質朴で哀婉な感じより、もっと大きいものが動く印象です。

大過之豫だと、大過は木を覆い尽くす水のように大きいものがやってきて患難を拯う様子、豫は雷が地より出でて奮い、気勢迭豫としているときに、先王は楽を作り徳を崇(盛んにして)、上帝を祀り、祖先に供え物をしたことです。

小畜之革だと、小畜は文德を懿(美しく育てる)とき、革は天地の革るようなときに湯王や武王は天命を革めていて、それは天に順い人にも応じていて、革の時には大いなるものがある様子で、この二つを読んだだけでも「又周の創め、武王一たび怒りて天下の民を安くす、臣として君を弑すといふべからず、仁を賊み義を賊む、一夫の紂を誅するなり」(雨月物語・白峰)の、天も目を瞑るような荒療治という意味があるらしいです。

夬之蠱では、夬で王庭に揚って、蠱は甲に先んずること三日、甲に遅れること三日でたびたび令を施して蠱(腐ったもの)を除いていくことで、そのときだけは多少猛禽の如き手荒さも許されること、大壮之震では大壮:雷は天上に在って大いに壮ん、君子は礼にないことは勿履(しない)けれど、震:震らす如き雷の来ては虩虩(恐れさせて)、その後に安心させて啞啞と笑わせて、震は百里を驚かすほどに大きいことです。

さらに巽之大過は、巽(柔らかさ)を重ねて以て命を行きわたらせて、それゆえに濁流が木を流していくように、大きい者が過ぎていくこと(このときだけは濁流的なことをしてもいい)、既済之泰は、初めは吉かったけど、既に出来上がったままになって終(ついには)崩れているところもあるものに、もう一度天地を交らせ、君は天地の道を整えて落ち着かせることだとすると、いずれも真体の内に充ちているものが大挙して、温(茂み)に入っていくまでの間は峰壑や叢林を覆し巻上げるような荒々しさで、羿すら討ち落とせないほどの大きくて気品のある猛禽が飛んでいることです。

ちなみに、豫之咸では、雷が地より出でて奮うときに、楽を作って上帝を祀れば、その感応は時に随って二匹の鳥が相和しながら危うさを憂えずに茂みの中に行くような、という意味です。

ABOUT ME
ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています