好きな記事

10-51  履之震・48-11  井之泰・53-37  漸之家人・39-50  蹇之鼎

本文(履之震)

本根不固、華葉落去。更為孤嫗、不得相視。

注釈

通巽。下断、故曰「本根不固、華葉落去。」兌為華、巽隕落。嫗、老母也。巽為母、為寡、故曰孤嫗。離目為視。(天沢履から震為雷へ)

履から巽(震の裏卦)になるときに通じる。下は断たれるので、「本根は固からず、華葉は落去する」という(下が断たれるはどこから出たか不明)。兌は華(迭象)、震の裏卦巽は隕落(迭象)。嫗は、老母のこと。巽は母(迭象)、寡(説卦伝の寡髪から派生)なので、孤嫗という。震の初~四爻の大離は目なので、視という。

本文(井之泰・漸之家人)

本根不固、華葉落去、更為孤嫗。

注釈

通否。巽隕落、故曰本根不固。兌為華、巽落、故曰落去。巽為嫗、巽寡、故曰孤嫗。(水風井から地天泰へ)

井から否になるときに通じる。巽は隕落(迭象)なので「本根は固からず」という。泰の互体兌は華(迭象)、巽は落(迭象の隕落)なので、「(華葉)落去」という。巽は嫗(迭象の母から派生?)、寡(説卦伝の寡髪から派生)なので、孤嫗という。

巽為枯、下断、故曰本根不固。伏震為華葉、巽隕落、故曰華葉落去。巽為寡、為婦、故曰孤嫗。(風山漸から風火家人へ)

巽は枯れる(迭象)、下が断たれる(何をさしている?)ので「本根不固」という。漸・家人の裏卦に含まれる震は華葉(出典不明)、巽は隕落(迭象)なので、「華葉落去」という。巽は寡(説卦伝の寡髪?)、婦(長女)なので、孤嫗という。

本文(蹇之鼎)

植根不固、華葉落去、便為枯樹。

注釈

巽下腐、故曰植根不固。兌為華、巽為落、為枯、為樹。(水山蹇から火風鼎へ)
巽は、下が腐ること(迭象)なので、「植根不固」という。兌は華(迭象)、巽は落・枯(迭象)、樹(説卦伝)。

日本語訳

本根は固からずして、華葉は落去す。更に孤嫗となりて、(相い視るを得ず)。

植根は固からず、華葉は落去して、便ち枯樹となる。(蹇之鼎)

解説

とりあえず、なかなか難しい詩です。まず、占いとは関係ないのですが、「枯樹」は中国だと枯れ木というより、枯れかけて痩せ衰えている木、ぼろぼろに乾いてなんとか生きている木です。

殷仲文風流儒雅、海内知名。世異時移、出為東陽太守。常忽忽不楽、顧庭槐而嘆曰「此樹婆娑、生意盡矣。」(庾信「枯樹賦」)

殷仲文は風流儒雅にして、海内の人にその名を知られていたが、世が異(変わって)時が移り、遠くに出されて東陽太守(浙江の金華市)に送られてからは、いつも忽忽(ぼんやりとして)楽しまず、庭の槐の木をみて嘆いて云う「此の樹は婆娑(ばさばさとして)、生意が尽きている。」

この「婆娑」というのは、ばさばさとして葉が水気を失ったような木の様子で、乾ききって枯れているというより、ぼろぼろになって生きているという印象です。

あと、もう一つ気になるのが、漸から家人になるときは、漸の初爻だけが変わっているので、その爻辞も読んでおきます。

初六:鴻漸于干。小子厲、有言、无咎。
鴻は干(岸)に漸(ゆっくりとすすむ)。小さい子は厲(傷つけられる)。言があるが、それでも咎はない。

まだゆっくりと升り始めた鴻(水鳥)は、高く升りきっていないので傷つけられることがあるが、それでも大きい咎はない(傷つける言葉があるらしい)。漸はゆっくりとすすむことなので、ゆっくりとすすんでいるときに傷つけられて家人になるとすると、「本根不固」はまだ小さい木の根っこが深く張れていない様子、そんなときに傷を受けて華や葉が落ちてしまう、という意味かもです。

それゆえ、家人になることが「更に孤嫗となる」だとすると、思い出すのがこの一節だったりします。

  山姥
山さとは世のうきよりも住わびぬ ことのほかなる峯のあらしに

 又、この山姥の本意、おそろしく、物すさまじき心かと思へば、憂(愛?)ある所まじわりて、おさなき態(しわざ)あるか。

この比(ころ)は木々の梢も紅葉して鹿こそはなけ秋の山さと(金春禅竹『歌舞髄脳記』より)

これは室町時代の能楽家 金春禅竹という人が、それぞれの役を演じるときにはどのような雰囲気で演じるかを和歌であらわしたものなのですが、山姥を演じるときは山の物寂しさをどことなく悲しむような心で山姥を演じる、あるいは山の美しさを愛しているような雰囲気になるときもある、という一節です。

漸から家人は、漸の初六のようにまだ若い木のときに傷つけられて、それゆえ山に隠れて孤嫗のように行きている山姥の様子で、それを木なのか孤嫗なのか分からないようにしている。さらに、井から泰では

井:(水汲みの桶が)汔(ほとんど井戸の底に)至ったのにまだ井戸を繘(引き上げられて)いない、それはまだ功がないときで、そのときに瓶を羸(倒してしまうと)、これは凶というもの。(汔至亦未繘井、未有功也。羸其瓶、是以凶也。)

という井では丁寧に物事をするようになって、その危うさの中で一つの安定(泰)が出来上がると、山に隠れて暮らす孤嫗のようになること、履から震では、履:虎の尾を履むような危うさを経てその「本根不固」なときに、震:震声に虩虩(おずおずびくびくして)恐懼脩省するときは雷の威を懼れて華葉を落去させて、山に隠れるように住んで「不得相視(びくびくして人に会わない)」という意味だと思う。

さらに、蹇から鼎は、蹇:山の上まで水があるような険しいところに生えている木は、うまく大きくなれず、枝もなく細い幹がのびて、わずかな葉も色が紫がかったような、花もあまり咲かず白さも濁っているような……という形に作られる(鼎)みたいなことかもです。

ABOUT ME
ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を大学院で学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)です。 西洋占星術のブログも書いています